勉強とは、本質を考えることー後編ー
前編では、私の苦しい過去経験から勉強を教えることに疑問を持つべきだということを執筆してきた。「勉強とは、本質を考えることー前編ー」を読んで頂く上で続くお話になる。勉強を教える・学ぶということは、両方とも人生においてとても重要だということは過去の投稿でも何度か伝えている。これは一人一人それぞれのきっかけや背景だったりして様々な考えがあるだろう。でも共通していることは、何にも得ない人間と色々と得る人間は大きな差がある。ということで「勉強」は人生において休むことないということだ。
でも勉強すると言っても、何をするのか。そして教養を学ぶというのはただ教科書通りに見てそのまま詰め込みで覚えるのか。先生の話を聞いていれば、安心だというのか。親から言われた通りに生きていけば、本当に自分らしさなのか。そこにまずは疑問を持つことが大事だろう。
とここで「ドラゴン桜」のドラマを観ている方や漫画を読んでいる方は、共感だと思っている人いるだろうか。主人公桜木先生の台詞の中で強い印象がある。
「勉強とは、ただ詰め込みだけが正解じゃない。」「どれだけ本質を考える力があるのかということだけで(人間には)差がある。」
「日常、目にするもの、全てに対して<なぜ?>を考えて本質を見ようとすること。」これを意識するだけで、つまりこういうことだ。「昔からそうなんでしょ?」と押し付けるような考えではダメ。一つ一つのあらゆる角度の中で必ず、物事には意味があるだけではなく、本質がある。ということを理解しそこを捉える姿勢が重要である。
これは私も大学での学びだったり、青年部活動を通して気付いた収穫するところでもある。また漫画のように空想ではなく、実際の東大生の学生の話をテレビから聞く限りでも多くが言っている。つまり、詰め込みとか教師主導での学びが正解ではない。生徒自身がどれだけ、本質を考えることできるかの姿勢で成長するかが決まるということ。これを現代の社会は求めているということだ。
実際に私の取り組んでいるオンライン授業をもつ小学生には、もうすでに新しい授業スタイルを実践することにより、自分で考えようとする努力に芽生えが見え始めている動きがある。その上で、今まで学習してきたことを手話言語で表現して回答し、そこで間違いに気付くときにわかったというような笑顔が漏れる反応が自然に表れていることが伺える。これだけではない。
青年部活動においても一つ一つ、気付いて成長する卒業生も多い。最近起こった出来事を挙げるとある卒業生は、メールのやりとりなどでこういう質問を私に言ってきた。
「最後のところってどうやったらできるんですか?」
いつものメールのやりとりに私は必ず、<署名機能>というのを使ってきちんと名前やきこえない障がいがあること、そして連絡先を明記した上で返信するように設定している。この署名機能に「なぜ?」(「これやってみたい。」)ということを感じた卒業生が署名機能のやり方を教えて欲しいと私に質問してきた。このきっかけがとても大事であることだ。学校では教えてくれないことを、改めて知ることができた時、一つの武器が増えて成長するということ。これが教科書にはない学びということだけで、同時に本人があらゆる角度で色々と考えようとすることの姿勢が成長しているということが良いと私は考える。
つまり青年部活動だけではなく、ろう運動においてもたくさん得られるべきなことは多い。非会員が多いが非常にもったいないことをしていると私は痛感するので、楽しいことを伝えながらどこかで学ぶということを広げていきたい。本質を考えるというきっかけは、非常に難しいように思っても意外に誰でも出来ることなのだ。
学問から挙げる本質を考えることは、また後日にいくつか執筆する。またYouTube動画「デフ・スタディの時間ですよ♪」シリーズは、これらのテーマそれぞれに本質を考えるという姿勢で自分なりにまとめたものを発信しているので、ぜひ一つの考えとして視聴して頂ければ幸いである。