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#自己振り返り
ことばの獲得を振り返って
大学時代に作成したレポートを整理するにあたり、「ことばの獲得」を自分の経験から今の早期教育に対して伝えていきたい。以下、当時のレポート内容(2010年8月作成)を再加筆、修正したものとして引用しているため文章内にある背景と現状は異なることに留意して、読んでいただければ幸いです。
私の経験から見るこうして欲しい教育的配慮の考え方
―幼年期から少年期(1・2年)へのことばの習得とコミュニケーション
もう一つのきこえる世界とは・・・
前回の投稿では、「家族と親戚」、「大学」「バイト先」について触れて見たがここではもう一つプライベートにおける関わりについて触れていく。
ある副業として短い時間ではあったが、出会いがぐーっと上がった貴重な機会であったことをお礼申し上げたい。結局は長続きできない自分の性格上というのもあったり、また繋げてくれた人の関係性もあまり良い気ではなかったので日々経つ度に距離が離れてしまったということかな。ちな
ろう者の世界観に触れる
ここで挙げる私のろう者の世界観というのは、以下の通り。
10代前半→ろう学校
10代後半→全日本ろう学生懇談会、聴覚障害者協会青年部
20代→聴覚障害者協会、聴覚障害教職員懇談会
30代の現在→ある某団体の聴覚障がい児支援団体
特に高校卒業から、20代は役員を背負うことが多く全国各地に出掛けることも1年に4〜5回は多かった。その経験を通して、全国各地の情報など色々と持っている私には、北海
補聴器と人工内耳どっちが良かったのか?
さらっと簡単に3回に分けて、自己紹介しましたが・・・。ここでは、私の聴覚障がいとコミュニケーションに触れていきたい。
聴覚障がいと一言でいうけれど、もう少し踏み込むとすればそれは難聴でもないし、ろうでもない。生まれつき難聴であるというのが一般的な症状である。
これは、生まれた時から耳が聞こえなかったというわけだか親に聞いてみた。本当にそうだったのか?と。
そしたら、詳しくはわからない。医師の
まずはじめに自己紹介③
(写真は、「ろう学校の巣立ち」をイメージしたものである。)
聞こえない世界で小学→中学→高校と18年間、学校生活を満喫してきた。これは、コミュニケーションというより同じ聴覚障がい者という同じ境界で生きる人々の繋がりがあったから、抵抗もなく色々と楽しく吸収できることは多かった。
そんな環境から一転、全く経験したことのない未知数なきこえる世界に飛び込んだ大学生活の始まり・・・。
耳がきこえ
まずはじめに自己紹介②
新しい学びの場所、銭函で私は家族と離れて生活した。しかも各地から集まった同級生や先輩方、当時は120名近くであった環境。。
そこで3年間過ごしてきた中で分かったこと。
上下関係が厳しかったし、辛かったことも。嫌だと思うこともあれば、楽しいことも。これは、卒業生も在校生もみんな同じ経験でよくあることだろう。
ただ2つだけ、私は違う印象を受けた。
1つ目は、手話で学ぶ!手話を使う環境である出会
まずはじめに自己紹介①
私、記念すべき一本目は「note投稿を始めます。」と出しましたがいきなり本題を投稿するには本末転倒です。そこで読んでいる皆さんに私のことを簡単に知って頂くべきかと思い、軽〜く自己紹介します。
私はma-hideの挑戦マスターです。聴覚障がいを持つ30代。
平成元年にちょうど生まれてきた真面目でありながら、時にはふさげるような2面性を持つ性格です。何かを始めたら、そこに集中して周りが見えないこと