2022.729

今日は新月なんだそうな。たまに気にして新月の願いとか書いてみたりすることもある。おもしろいよね。でもね、月のリズムに合わせて生きようとしてみても、結局時計に左右されまくってる自分がいるのよ。自然に調和してゆくのって、とても忍耐力がいるよね、現代人。

私は続けるのが苦手すぎて、新月のたびにとか満月のたびに何かをすることはできないのだけど、何か行き詰まっているときとかに助けられることもあるから、ありがたいと思う。この新月の願い、の発端が何なのか、とかは知らないから人にオススメするほどではないけどね。でもさ、小さい頃に信じてたおまじないだって、誰が言い出したかわからないけど信じてたし、結構叶ってたんだよね。だからそれの続きのような…なんか魔女的な、少女たちの遊びのような…そういうものを感じまする。

今は息子がテレビを見るというので、見せながら書いている。テレビとかスマホとのつき合い方をどうしていこうか…というのが今の私の気にしてるところ。

スマホで写真や動画を撮って、アプリにどんどんアップロードして、家族や親戚に見てもらっているのだけど。最近は息子自身がスマホでできること、を理解しつつあって、スマホを触りたい遊びたいっていうのがでてきたので、あまり触らせたくない気持ちになって、写真も撮りづらいなと。というか、実際動画を撮ろうとすると、近づいてきて「みたい」と言われるので撮れないのだけどね。


なんであまり触らせたくないんだろう?
電磁波?目が悪くなる?スマホ脳?(って何か知らんけど)

感性が鈍くなるのがイヤって気がする。
スマホの何がそんなに感性を鈍くさせる気がするのだろうか。と、考えてみると…
その場にいる人のこと忘れ去るくらいの吸引力があるからね。自分の状態も周りのことも見えなくなるほど、限定された集中力を使うというのが、気になる。

そのことを理解して、自分で「今」の感覚に戻ってきてくれるようになってない子どもに、与えたくないのだね。
私自身が、こうしてスマホで文章を打ってる途中に、息子に話しかけられた時に、すぐに彼の方を向けるようにしていないと!という意識があるので、そもそもスマホを触ること自体がめっちゃ疲れるというのもある。

こんなに疲れるのに、触りたくなるのだから。
中毒だよね。

何が良くてなにが良くないか、その人によって違うから、私の感覚だけで、ダメ!というのもどうかと思うのだけど、それでもまだ一歳の息子を思うと、まだ彼の世界にいらんやろスマホ、と単純な心の声がするよ。

それでも私は「スマホでできること」に救われて今を生きられてるので、それは感謝している。
その上でやっぱりスマホでできること以外で、自分ももっと感性を磨きたい。テレビがおもしろくて、振り返って目を輝かせて、「見て!」というのを全身で伝えてくる、そんな息子の一瞬を見逃さないようにしながら、いろいろ思い巡らせる午後の備忘録。



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