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映画『小学校~それは小さな社会~』を観て、哲学対話(いかに空気を読まないか?という対話法)について考えてみた。
映画『小学校~それは小さな社会~』
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小学校1年生と6年生に焦点をしぼり、春からの1年間を追ったドキュメンタリー映画。
随所に、日本らしい教育が垣間見られる箇所が沢山。
掃除当番や給食当番。下駄箱の靴を几帳面にならべる姿や、廊下をきちんと一列に歩く姿。
自身の小学校を頃をまざまざと思い出しました。
コロナ禍まっただなかの撮影で、給食を食べる際も全員前を向いて黙食で食べる姿など時代を切り取った場面も。
オリンピックは開催されるのに、林間学校は中止など。
社会の欺瞞に対して、「なんで?」と怒り、悩む生徒達の姿も映されていました。
個人的に印象に残ったのは、(少しだけネタバレになります。)
「自分の殻をやぶって!欲しい」との思いで、生徒の前で、模型の大きな卵を頭で割るパフォーマンスをする先生。
(頭をケガして血が出ていました。)
演奏会の練習で、ある生徒が、楽器の演奏がまだ上手く出来ず「楽譜をみたい」と言ったら、先生から「楽譜をみなければ出来ないのは、練習不足では?」
「他の皆は、なんで楽譜をみなくてもできるの?」他の生徒が一斉に「練習してるから!!!」
ちなみに、その先生は、後できちんとその生徒のフォローをされてらっしゃいました。
几帳面で、礼儀正しく、協調性が高いと言われる日本人(本当にそうかは別として)らしさは、小学校の時に学ばされるのだなと。この映画を観て改めて思いました。
映画では、日本的教育をただ賛美しているのはなく、集団性と協調性はもろ刃の剣であることも描かれていました。
教育の現場で、悩み、学び、成長する、生徒と先生の姿を映しています。
先生も自分や学校の方針に思い悩みながらも、生徒に一生懸命向き合おうとしていました。
しかし、「自分の殻をやぶって!」と言っている先生の言葉に覚えた、違和感。
「その殻を作っているのは、先生や学校教育でもあるのでは?」
自主性も育てたいのは、わかるけど。
確かに、集団生活では、皆に気を使い、迷惑をかけず、先生の言う事をきく、良い子であることが求められる。
それでは、場の空気を読んで、先生や、その場で権力を持つ人たちの意に沿う事を言い、行動する人たちしか育たないよ!!!と思ってしまいます。
社会や集団で生活していくには、確かに必要なことだけど・・・。
先生達も生徒を思っての指導だと思うけど・・・。
そんなモヤモヤを抱える中で、最近読んだ本について考えてみたいと思います。
「考えるとはどういうことか」
0歳から100歳までの哲学入門 著者 梶谷真司
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東京大学教授である梶谷さんが、2012年の夏。ハワイで、現地の「子供の為の哲学」授業に出合い、そこで実践されいた「哲学対話」に魅了され、自身でも実践していくお話。
哲学対話とはなにか?について書かれた著書です。
現在、色々な場で、哲学対話が行われ、哲学対話ルールの読書会も開かれていますが、哲学対話って何?と思う方もいるかもしれません。
哲学対話とは、以下のルールのもと、対話を行うものです。
①何を話してもいい。
(不道徳なこと、非常識なことでも。いまの自分の考えと逆のことでも。)
②人の意見に対して、否定的、攻撃的な態度はとらない。アドバイスもしない。
③何を話さなくてもいい。
(だまって聞いているだけでもいい。発言は強制されません。)
④一人でたくさん話過ぎない。人の話を途中で奪わない。挙手制。
(自分の心の安全性が脅かされたと感じたら割り込んでもかまいません)
⑤お互いに問いかけるようにする。
わからなくなったら、みんなに(または話をしている人に)問いかける。
発言は決めつけではなく、なるべく問いの形にする。
⑥知識は話さない。自分の経験にそくして話す。
⑦話すことは、まとまってなくていい。また、途中で考えが変わってもかまわない
⑧対話を終えてから、ここで話されたことを誰の話かわかる形で外部に洩らさない。
⑨人の話をきちんと聞く。
⑩人それぞれで話を終わらせない。
⑪自分の言葉でしゃべる。
ルールは、哲学対話を開催される人により、少し違います。
上記のルール中でも、絞って行われる対話もありますし、
上記以外のルールで行う場合もあるそうです。
ルールを書かせて頂きましたが、
学校や会社などで良しとされる、議論・対話・会議のルールと全く違いませんか?
私は、このルールを始めて聞いた時、びっくりしました。
哲学対話の特徴で、びっくりしたことを箇条書きにさせて頂きます。
◎何を話しても良い。
いきなり別の話題になっても良い。
空気を読まなくても良い。
哲学対話は、空気を読まない訓練でもある。
←学校や会社では、相手の話の流れをきちんとくんで、話しなさい。
その場の空気を読んで、場の空気に合った話をしなさい。
先生や上司の意に沿う発言をしないといけない。
◎人の意見に対して、否定的、攻撃的な態度はとらない。アドバイスもしない。
←あなたの話に興味を持つとは限りませんよ。
あなたの話が私にとって何の意味があるんですか?
私があなたにアドバイスしてあげましょう。
アドバイスは、ゆるやかな否定でもある。
本当に、実社会で否定されず、安全に話せる場があるのでしょうか?
◎意見が途中で、変わっても良い。
←自分の意見を貫きなさい。意見を変えてはいけない。
意見をかえるなんて、ちゃんと考えてたの?
◎話の途中でも、時間がくれば、哲学対話はいきなり終わる。
←ちゃんと結論を出しなさい。
対話をすることに事により何を目的とするかをきちんと考え、
目的を達成するために対話を行いなさい。
議論をする前に、議論の目的を考えましょう!!!
議論の最後は、何を話したかをまとめて、次になにをするか決めましょう。
◎挙手制で話をする。
←相手のテンポに合わせてしゃべりましょう。
相手と相手の話の切れ目を見計らって話をしないといけない。
◎何を問うても良い。
←実生活で、何を質問しても良い場面などない。
すでに、皆が知っていそうなことは質問してはいけない。
知識のなさが、ばれる様な質問をしてはいけない。
何でも質問してよいと言われる場面で、何でも質問すると怒られる。
相手をうならせる。するどい質問しかしてはいけない。
わかるのが目標で、質問がないのが理想。
◎話さなくても良い。
←黙ってたら解らない。ちゃんと意見を言いなさい。
話に参加しないのなら、あなたは必要ない。
◎知識がなくても良い。
経験にそくして話すことで、すべての年代の人が対等にはなせる。
子供は子供なりの。大人は大人なりの自身の経験にそくして話すことができる。
知識だけで喋る方は、哲学対話だととたんに喋ることが出来なくなってしまいます。
←知識があることが素晴らしい。
知識は武器であり、より広く、深い知識があることが有利。
きちんとした知識をもとに話しなさい。
◎沈黙を楽しむ。沈黙があると言う事は、皆んなで考えていると言うこと。
←沈黙はあってはいけない。何か喋らないといけない。
人の考え・場の空気をいかに読み、いかに有意義な結論を導きだすか?という事に
ひたすら、学校や会社で訓練されて来た私には、非常に驚き出した。
このルールで対話を行う事により、いかに安心して、自由に話せるか?
考えが深まっていくかというのは、哲学対話に参加した方でないとわからない感覚だと思います。
学校や社会で学ぶ、集団性・協調性は、確かに無くてはならないものですが、
それと同じ位、自由な対話や思考、言い換えるならば「いかに空気を読まずに対話するか?」という事も大事なのではと考えさせられました。
ここまで、読んで頂いた方は、きっと哲学対話に興味を持って頂いたに違いありません。
最寄りの哲学対話に参加してみては?
また、『人の意見を否定しない』や、哲学対話をもとに読書会を開催している猫町倶楽部という読書会コミュニティーがあります。是非、そちらも覗いてみてください。