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大阪で13年ぶり、「国芳展の決定版」 約400点
浮世絵は江戸時代、折々の風俗や流行を描き広く庶民に普及した。その名のように当時、当世風の絵画だが、テレビや新聞、グラビア雑誌がない世の中で、今ならさしずめ旅の絵本や美人女性の写真集やファッション誌であり、歌舞伎役者のブロマイドでもあった。江戸中期以降、人気を博した浮世絵師に歌川国芳がいた。大阪中之島美術館で「歌川国芳展 ―奇才絵師の魔力」が2月24日まで開催されている。武者絵や戯画をはじめとした幅広い画題の浮世絵版画や貴重な肉筆画など、約400点を展示する大阪で13年ぶりの大規模個展で、「国芳展の決定版」との触れ込みだ。
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武者絵が大当たり、風刺画や戯画でも異才
浮世絵には、大別して肉筆と版画がある。肉筆は絵師が絹や紙のキャンパスに直接描いた一点物だ。大名や豪商らの注文を受け、高価に取引された。しかし平安期に生まれた木版技術が改良され、安く手に入る版画が一気に庶民に広まったのだ。とりわけ写楽の役者絵はじめ歌麿の美人画、北斎や広重の風景画などが人気を呼び、大量に出回った。
浮世絵は庶民が育てたわが国独自の文化だが、明治期の文明開化で西洋文化が入ると、にわかに退潮の憂き目に。ところがフランスの画家が日本から送られてきた陶器の包み紙に《北斎漫画》の紙片を見つけたことがきっかけとなり、モネやマネら印象派の画家や、ゴッホやゴーギャン、ドビュッシーらに大きな影響を与えた。
さらに浮世絵はパリ万博などに出品され注目を集めたのだった。やがて来日した海外の愛好者らに、西洋絵画とは異質の新鮮な芸術として高く評価され、欧米のコレクションとして買い求められ、大量に流出した。
江戸末期の浮世絵師、歌川国芳(1797-1861)は、江戸日本橋の染物屋に生まれる。幼少期から絵を学び、12歳で描いた作品が初代・歌川豊国門下豊国の目に留まり、15歳になって入門。長期にわたって若くして人気街道をばく進していく兄弟子の国貞を横目に見ながら、鳴かず飛ばずの日々を過ごす。
努力を怠らなかった国芳にチャンスが訪れたのは31歳の時。中国や日本の物語に登場する豪傑を描いた武者絵が大当たり。さらに風刺画や戯画などでも異彩を放ち、江戸の話題を集める。 国芳は、それまでの浮世絵の歴史を塗りかえる斬新な作品の数々を世に生み出し、国内外で高い人気を誇るようになる。その奇抜なアイデアや、現代に通ずるデザインセンスとユーモアは、浮世絵という枠や時代を超えて多くの人々を魅了してやまない。
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ジャンルごと展示、独自の構図や描写力
今回の展覧会では、国芳の仕事を「武者絵・説話」「役者絵」「美人画」「風景」「摺物と動物画」「戯画」「風俗・情報・資料」のジャンル別の7章立てに加え、「肉筆」の特別展示もある。
見どころとして、主催者は次の三点を挙げている。第一は「イケメン、ダークヒーロー、巨漢に怪童」。3枚続きの大画面を活かしたダイナミックな構図と、物語の決定的瞬間をつかむ描写力など、武者絵は国芳の手で大きく進化した。まさに「武者絵の国芳」による魅惑のヒーロー大集合!といった展示内容で、出世作の「通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壱人)」連作/シリーズなど、国芳の代名詞である武者絵の数々が一堂に並ぶ。その魅力は、現代の漫画やアニメにも通じる。
第二は「お江戸を沸かせた“笑い”の力」。機知に富んだ戯画の数々に、幕府の禁令も何のその笑いを誘い、時に風刺を潜ませた戯画も、国芳の得意なジャンルの一つだった。猫、金魚、鳥、さらには道具や玩具をも擬人化させたり、絵に二重の意味を持たせたり、言葉遊びを織り込んだりと、手を替え品を替え、多くの戯画を描いた。天保13年(1842)に、役者や遊女を描くことが禁止された際にも、戯画による笑いと風刺で苦境を乗り切る。
第三は「猫を描いた新発見作品も!」。愛猫家ならではのアイデアと観察眼が光る。国芳は大の猫好きで、絵を描く時にも懐中で子猫を可愛がったと言い伝えられるほど。国芳の猫たちは、戯画、役者絵、美人画などジャンルの枠を超えて登場し、人気役者に扮したり、遊郭の客になったりと、人間顔負けの活躍ぶりだ。新発見作品の《流行猫の変化》も出品されている。
迫力、ユーモア、創造性豊かな多彩な作品
主な章と展示品(いずれも個人像)を取り上げる。
まず第1章は「武者絵」で、見どころに書いているように、国芳は「武者絵」で一世を風靡し、「役者絵」や「美人画」と並ぶ新たな人気ジャンルへと押し上げた。その卓越した画力はもちろんのこと、国芳ならではの構図や三枚続きのワイドな画面を用いた迫力ある画面が、元となるストーリーの世界観をよりドラマチックなものへと昇華させている。
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《相馬の古内裏》(弘化2-3年・1845-46年、個人像)
とりわけ代表作の一つ代表作の一つ《相馬の古内裏》(弘化2-3年・1845-46年)は、山東京伝の読本に基づいている、朝廷に反旗を翻した父・平将門の無念を晴らそうと謀反を企てる娘、滝夜叉姫が妖術によって巨大な骸骨を召喚する場面が描かれている。三枚続きのワイドな画面いっぱいに、巨大な骸骨が描かれ、その下部を隠すことで、画面から飛び出してくるような迫力を生み出している。ダイナミックな構図と緻密な描写から、国芳の創造性が感じられる。
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《坂田怪童丸》(天保7年頃・1636年頃)は、現在「金太郎」として親しまれている。足柄山の山姥の子として生まれ、幼少期から怪力で知られていた。筋骨隆々の金太郎が、滝を登ろうとする巨大な鯉と格闘する姿は、水しぶきが飛び散り、躍動感にあふれ、そのダイナミックさに圧倒される。
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第2章では、当時の人気ジャンルのひとつであった役者絵」を紹介している。国芳が絵師になりたての頃、歌川派の絵師らによって市場が独占されており、師匠である初代豊国や兄弟子に当たる歌川国貞が人気を博していた。やがて国芳は、国貞らとも異なる独自の表現が注目されるようになるが、とくに《日本駄右ェ門猫之古事》(弘化4 年・1847年)のような大掛かりな仕掛けの舞台をユニークに描いている点や、色彩の豊かさには注目すべきところがある。
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第4章は「風景―新奇の構図」。葛飾北斎の《富嶽三十六景》(天保元-4年・1630-33年)や、歌川広重の保永堂版《東海道五十三次之内》(天保4-6年・1633-36年頃)が.人々の心をつかみ支持を得た。国芳の風景画は、スナップ写真のように、風景の中の人々の姿を生き生きとカビ上がらせた《忠臣蔵十一段目夜討之図》(天保2-3年頃・1631-32年頃)は、夜の闇に紛れて吉良邸良邸へ討ち入る赤穂義士たちを描いた作品だ。吉良邸と浪士たちはほぼモノクロームで表現され、淡い色彩で描かれた空などの描写が美しく、西洋画の技法を取り入れた風景画となっている。
国芳は大の猫好きで、絵を描く時にも懐中で仔猫をかわいがったと言い伝えられるほどだった。国芳の猫たちは、戯画、役者絵、美人画などジャンルの枠を超えて登場し、人気役者に扮したり、遊郭の客になったりと、人間顔負けの活躍ぶり。
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第6章の「戯画――奇想天外なユーモア」には、新発見作品の《流行猫の変化》(天保12-13年頃・1841-42年頃)は、いろいろなかつらや被り物を切り抜き、猫の頭に重ねて遊ぶ子ども向けのもので、全部で13種類ある。猫の着物には、蛸や小判といった猫との定番の組み合わせが描かれていて、ユーモラスな作品だ。
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《みかけハこハゐがとんだいゝ人だ》(弘化4年頃・1847年頃)も、ユーモアにあふれている。タイトルは「見かけは怖いが、実はとても良い人だの意味」。遠目には一人の人物の顔に見えるが、近づいてよく見ると、複数の人々が集まってその顔を構成している。国芳の遊び心と独創性が光る。
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この章には《きん魚づくし ぼんぼん》(天保13年頃・1842年頃、個人像)なども出品されていて、興味をそそる。
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このほか、《遊女道中図》(弘化・嘉永期・1844-54年) や、《鏡面シリーズ 猫と遊ぶ娘》(弘化2年頃・1845年頃)、《吉野山合戦》(嘉永4年頃・1851年頃)など多彩な作品が展示されていて、興味が尽きない。