東京ジンジャーエール百景 14杯目『日帰り大阪と小堺さん』

最近はコロナの影響で自宅で仕事をすることが多く、少しずつストレスが溜まってきているのがわかったので、仕事終わりにしか飲まないと決めているジンジャーエール(ウィルキンソンの辛口)を昼間も解禁するようになった。お酒が飲める人にとっては、昼から酒を飲んでいる感覚と同じだと思う。

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3月末、『サタデープラス』から小堺さんが卒業されるということで、始発の新幹線で大阪のMBSのスタジオに向かった。

『サタデープラス』が始まったのは2015年4月。土曜朝8時からの生放送で、メインMCは関ジャニ♾の丸山隆平さん、小堺一機さん、小島瑠璃子さんの3人。私は番組の立ち上げスタッフの1人となり、2年半ほど携わった。

私が担当していたころ、オンエア終わりにMC3人とスタッフによる、反省会という名の歓談タイムがあった(今は知らない)。基本的には和やかな時間なのだが、いつからか小堺さんからスタッフへの無茶ぶりが恒例となった。そして、何故かそのメインターゲットは私だった。

その無茶ぶりというのが、私の着ている服を見て小堺さんが思いついたことを言うというものだった。例えば胸にドクロがついたパーカーを着ていたら「あ、ドクロ発見!ドクロ発見!」と、指をさされる。これに即返さなければいけないのだ。3秒も間があくと「あーあ」とガッカリされる。正直言って、ジョニ男さんレベルの芸人さんのスキルが求められる芸当である(と、私は思っている)。

私は全然返すことができず、返せたとしても「わー、ドクロ!」みたいなオウム返しが関の山で、毎週めちゃくちゃにスベっていた。ただ、僕がスベったあとは必ず丸山さんや小島さんがツッコんだりフォローしてくれるので、その場はまた和やかな空気になり歓談タイムが続くのだが、私は週を追うごとに無茶ぶりを恐れるようになっていった。何せ、その歓談タイムはスタッフ全員参加だった。

その頃の私は番組の総合演出を任されていて、いわゆる現場の一番トップの立場にいた。毎週、ディレクターが作ってきたVTRを「ここが違う」「この編集は面白くない」とダメ出しをしているのに、毎週オンエア終わりに誰よりスベっていた。実は凝った返しをする必要がなく、何かしらをテンポよく言えばいいと理解するのはだいぶ先の話だった。

私は悩みすぎて、オンエア前日に先輩ディレクターを呼び止めて「明日もこの服着るんですけど、どこいじられると思います?」と、わけのわからない相談をするようになった。

しかしお笑い界のトップランナーには、そんな素人の小手先の対応は通用しなかった。ある日、胸に数字の"9"がプリントされたパーカーを着ていたので、絶対に"9"がらみのフリが来ると踏んで「(指で3を作って)3、(数字を指差して)9!」と返そうと決めていた(すでにこの時点で何も面白くないが許してほしい)。しかし小堺さんからのフリは「出た!フード男!」だった。私は完全にフリーズし、いつも通り盛大にスベった。

もうどうしていいかわからず、私は無茶ぶりの話を同僚にするとき、「小堺」と呼び捨てするようになり、みんなから「やめとけ!笑」とツッコまれることで、なんとか笑い話にするようにしていた。

無茶ぶりされ続けること数ヶ月。えらいもので少しずつ返せるようになってきた。しかし次の問題が発生した。小堺さんが、山内いじりに飽きてきたのである。

これはこれで困ったなと思っていた矢先、新たなノリが始まった。小堺さんが私の死角から近づいてきてこしょばすという、恐ろしく単純なドッキリだった。しかし私のリアクションがおかしかったのか、無茶ぶりではありえなかった爆笑が起き、これが毎週の恒例になっていった。

2017年秋、私は最後までこしょばされながらサタプラを離れ、違う番組に移った。あれから2年半経った2020年3月、久々にサタプラのスタジオを訪れた。小堺さん卒業の日。

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オンエア終了後、MC陣とスタッフが集まって簡単な打ち上げが行われた。MC陣の挨拶のあと、歴代の総合演出も一言話すことになり、私が小堺さんとの思い出を話していたら、番組プロデューサーが「山内のこしょばし、面白かったよなぁ」と急に放り込んできた。

嫌な予感がした。そしてその予感はすぐに的中した。

小堺さんが「久々にやっとく?」と、私に近づいてきて全力でこしょばしてきた。無茶ぶりに比べれば何のことはない、大きなリアクションさえすれば大丈夫なノリのはずだった。

めちゃくちゃスベった。

私は出演者を送り出したあとすぐに新幹線に乗り、東京に戻った。

その日は、久々にジンジャーエールを飲まなかった。

#ジンジャーエール #サタデープラス #お笑い