とーます模話のこざこざシリーズ 11「病気がもたらした人生の転機①」
30代後半のことだった。
人生のはじめのざせつのおかげで…私は結果的に自分の天職と出会うことになった。
いい人と思われたい思いと…反対の極性をもつ極端ないやな性格は、
時折入れ替わりながら、「いきづらさ」を伴い、
人生にあらゆる問題を引き起こしていた。
とはいえ、人間関係の問題とは裏腹に、仕事ではある一定の結果を得るように変わってきていた。
ルートセールスから出版関連の仕事へシフトし、
もっとも地道な職種ともいえるジャンルに出会うことになった。
そこで、私は初めて「社会の中の歯車」としての喜びを味わうことになった。
安部公房の棒のように、社会の歯車にはなりたくないと思っていた学生時代から一転して、社会人になってまったく通用しない状況を経験した。
「歯車にさえなれない」
それは、大きな傷となって…20代の自分を苦しめた。
ある職業が自分に「社会の歯車」への成長を助けてくれることになった。
私は歯車になれたことを、心から喜んだ。
そして、還暦を過ぎて、まだこの職業で稼ぐことができている。
幸せなことだった。
人間関係は数年もたつとほとんどがうまくいかない状況が続いた。
本来の性格を隠して、良い人間と思われるように行動し続けた後に、
反動がやってきては…「壊す」という強いエネルギーをもたらし、
私はすべての関係をゼロにするということを続けることになった。
仕事での成功の代償といえるのかどうかはわからないが、
ある意味、プロとして認められたとき…私は倒れた。
激しい回転性のめまい症だった。
あまりにも苦しいので、
精密検査をうけると、小さな脳梗塞がみつかったのだ。
「人生は終わった」
そう思った。
絶望の日々が続いた。
その大学病院の他の科でのさらなる検査が続いた。
しかし、MRI検査の予約が1か月以上後だったりで、
身体の不調を訴えても、なかなか治療が進まない不安があった。
当時かなり肥満していた私は、
直観的に大幅な減量を決意することにした。
区役所の管理栄養士、医療相談等を受けたり、
健康のための無料の体操の講習を受けたりの日々が続いた。
管理栄養士からは、
「一生、とんかつなどは食べないほうがいい」
と言われ、絶句した。
自分が節制のためにつけていた食事の記録を見せたが、
あまりよい反応ではなく、
極端な減量はよくないとのことだった。
しかし、自分は、命がけで減量に取り組んだ。
その結果、1年足らずで20キロの減量を成功させた。
その過程で受けた脳神経外科の検査では、
脳梗塞が認められなかった。
主治医によると、
微小脳梗塞の場合、節制や治療などを早期に行うと、
まれに梗塞部が解消されることがないわけではないと謂われた。
「人生は終わった」と思ってから、1年が経過していた。
仕事に復帰し、身体の状態がよくなった自分に、
なにかそれまでとは違う意識が生まれていたように思う。