いつも本屋で泣いている
海辺の田舎町の本屋でも
銀座の一等地のビルの高層階の本屋でも
安部公房「箱男」(新潮文庫)は税別630円。
安心する。
1人で行く旅先、誰かと行く旅先で
どうしても私は本屋に立ち寄る。
土地によってラインナップや陳列が違って素敵ね〜
とかいうことじゃない。
どこの本屋にも私が手に取ったことがある本が、私が購入したのと同じ金額で売られているのを目で確認して安心したいだけです。
たまに部屋の本棚に既にある本をレジに持って行ったりする。宿泊先や移動中に開いて安堵のため息をついたりする。
映画だって上映館によって全く金額が違う。
ハンバーガーだって、コーラ一本だって、違う。
予想よりも額が高いとギョッとしてしまうし(買うのやめますなんて絶対に言えない)、安いと普段の自分を慰めないといけなくなる。
そんなわけで、あたしの心に優しい本屋がなんだか大好き。
あと普通にフィジカルの本が大好き。
この間訪れた本屋で、受賞した賞の書いてあるポップとともに、大田ステファニー歓人さんの本が陳列されていた。
彼の物語は本当にクールで、チャーミングで、サイケデリックで。重たい辞書で頬をぶん殴られたような気持ちになった。
事前に彼のコメントも聞いていたので、それも相待ってああなんて稀有な才能が現れたんだろうとひりついていた。
とにかく私は発売されてすぐに買って読んで、素晴らしいなあと緑色の素敵な本を抱きしめていた中の1人だったわけだ。
そんな中で彼の本が陳列されているのを見ながら、
この物語にまだ出会っていない人がいるのだなあ、とぼんやり考える。
賞のポップの下には、彼の受賞コメントがテキストになって貼ってあった。
文字になると、より際立つその強い言葉たち。
そのまっすぐ発射される一文字一文字が、なんだか眩しくてそのテキストの前から動けなかった。
あたしはポロポロ泣いた。
キャップをまぶかにかぶって静かに泣いた。
大田さんありがとう、と思って泣いた。
泣いている私に気が付かずに、私の後ろをカップルが通り過ぎた。
彼らはおしゃべりに夢中で、指を絡ませるのに夢中で、そのテキストに気づいていなかった。
こんなにも眩しい世界がこんなに近くにあるのに、気づかずにすぎていく人たちの方が多いなんて。
勘違いしないでほしいのは、過ぎて行った彼らを否定したいわけじゃないということです。
私にそんなことはできないし、する権利がない。
私が素晴らしいと思ったものを、他の人が素晴らしいと思わなくちゃいけない義理はない。
彼らは彼らで、私の知らない素晴らしい世界を知っているから。
ただこの世の色々なことは有限で、それぞれがそれぞれの価値観によって生きていて、皆んな死ぬまでに知ること触れることができる範囲は限られているということが、
身体の中勢いよくバーっと押し寄せてきて。私の心に大きい波のようにかぶさって。飛沫が立って。
とにかくとても心細かった。
果たして、良いものをつくるってなんなのだろう。
私は普段は広告やプロモーションに関わる仕事をしているけど、そこでやっていることって結局何なんだろうとぐるぐる思う。
売れるとか、大衆にとか、みんなに伝わるとか、
そんなものにまるっきり意味なんてないんじゃないかと思う。というか思いたい。そう思わないとやってられない。
でも、そこで一緒に働いている人たち、その道のプロの方々は本当に素晴らしい仕事をしている。学びしかない。私は尊敬の念でいっぱい。
正しさってもしかして架空だったりする?
その日々のパラドックスに、ぎゃんぎゃんに脳を苦しめられている。でも仕事は結構おもろい。
だから心は平気。厳しいのは脳だけ。
ダラダラ書いてはいるけど、とにかく大田ステファニー歓人さんの作品がとても良いなと思って。
本当にそれだけなんだけど。
毎日自分の周りの魅力的なことにどれだけ気がつけて、そしてどれだけ見逃して通り過ごしいるんだろうと思った。
これは共感を求めているんじゃなくて、今の気持ちを忘れないようにしたいってやつ。
ちなみに安部公房の100周年フェアの前でも少しだけ泣きました。
新潮文庫でその企画会議とかをしていた人たちに拍手したい、抱きしめたい、すごい格好良い仕事だよ。最高。少なくともあたしは2、3年寿命が伸びたね。
あたし、安部公房も大好きだよ。
渡部有希