【生成AI】『石膏像』という耽美的プロンプト
当記事は2220文字です
どうも、マグさわです。
生成、してますか?
というわけで今回も生成AIのお話です(当方StableDiffusion使用)。
○○な人、○○する人のことを○○ラーっていうことありますよね。
90年代なら『アムラー』が有名でしょうか
となれば生成AI界においても令和の「ラー」があってもええじゃないか!
(何の引用やねん…)
生成AIといえば…
さ、これを『ラー』可してみましょう(英語でいうとerですね)
英語読みのままだとしまらないのでこれを『ラー』化させます。
僕はもうタンブラーでいいです。
スタバのタンブラーってビジネス戦略として頭いいなあって関心します、はい。
とまあ、余談はこの辺にしておいて、タイトル回収しますね。
みなさんは『ヴィレッジヴァンガード』は好きですか?
サブカルの発信地みたいな場所ですね。僕も昔はよく行きました。
サブカルっていう言葉を意識していたわけではないですが、なんか他とは違う感性の俺かっこいいみたいな思春期特有のアレです。ああ、青臭いイカ臭い。
ドグラマグラの表紙とタイトルのその”異様”さを知ったのもヴィレバンの文庫本コーナーでしたね。
今にもヴウウーーン…って耳鳴りがしそう…ああ、狂いそう…
ちゃうねん、夢野久作の話ちゃうねん!
とにかく十代の頃のマグさわはとりわけ薄気味悪いものに敏感だったわけです。好奇心をくすぐられるというか、なんか心臓のあたりに毛虫が引っかかる感覚というか、ムズムズ、モゾモゾする感覚が心地いいみたいな。
そういった意味で、ヴィレヴァンの書籍コーナーはもうダイレクトに感覚にぶっこんでくるわけですよ。表紙デザインのクリエティブからガツーンと。
なんでこんな話をするのかとういうと、仕事でもあいかわずAI分回しで色々生成しては、ちゃうねん!こうじゃないねん!って要は『失敗作』がフォルダに生成AIの廃棄場かのようたまっていくわけですよ。
まるでNieR:Automata (ニーア オートマタ)の世界かのよう。
ああ、amazarashiについて語りたい…
我慢我慢…。
そんな中で、商業的、実用的な観点から見れば『失敗』だとしても、アート的な観点、表現としてのものとすれば親和性高いんじゃないかってものもあるわけです。
その生成されたメタデータを紐解くと、表現の幅を広げてくれるプロンプトに出会うわけです。面白いですねえ。
それが
『石膏像』
プロンプトでいうなれば『plaster statue』
これだけだとモデルによっては肌感が多少出てくるので併せて『white skin』をいれてやると…まあ、なんということでしょう。
生気のない、それでいて危うい、耽美的な少女が生まれてくるでなないですか。
これを、こうすると…
ノイズ強度とかいじると同じプロンプトでもパターンだしてくれるのが生成AIのいいところ
こういう”表現としての出力”をする場合、いわゆる『bad anatomy』は気にしない(笑)
むしろネガティブプロンプトにはあえて描画破綻系にデバフをかけるくらいのテンション。
四肢欠損やクリーチャー的表現も芸術の分野では耽美的なアプローチとして昇華しないか、というのが今回のテーマというわけでした。
(タイトル回収できたかな)
それではまた!
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