#14 私の中の「完璧主義」について
最近学び始めた西洋占星術の考え方で好きなところがある。
それは一人の人間の性格を一つに絞るということをせず、ある程度幅を利かせて二面性なんかも認めながら、それでもあなたがあなたらしくいられるのはこの性格の時、と教えてくれるところである。
「あなたはいつ何時もこうあるべき!」と決め付けることをせず、「この場合にはこんな性格、別のあんな状況ではあんな性格になりやすい。それでも、この状況のこの性格の時、あなたの良さが自然に出ているの!」といった風に。
そしてもちろんのこと、状況と出やすい性格の組み合わせは人それぞれ。
自分を理解していく過程でいろんな自分を発見できる。
そして同様に他の人の内面にも同じだけのバリエーションがあると考えると、いや〜みんな頑張って生きてるんだな〜と愛おしくなってしまう。これが最近感じていること。
前置きはこれくらいにして、今回は「完璧主義」という言葉についてお話ししたい。個人的に最近ホットな言葉である。
私はずっと、完璧主義という言葉には縁がないと思っていた。
日常生活は「雑で適当」が当てはまるし、「一緒にいると緩くてほっとする」と言われると嬉しい。
恋愛なんかでも「ダメなところを愛して欲しい」と思うし「理想の相手」なんてイマジネーション(言いようによっては妄想)の世界で十分。笑
だけど西洋占星術を学んでみて、こんな私にも「完璧主義」な内面があることがわかった。
もっというと「完璧主義になる自分」というのはどんな人にもある、ということがわかった。
というのも「真面目でサボれない」「完璧主義」というのは乙女座的な性格になるのだけど、12星座の一つである乙女座は誰のホロスコープ上にも必ず存在するものであるから。
その乙女座的な性格がどれくれいのウェイトを占めるのか、またそうなりやすい状況(「家の中」「仕事」「恋愛」など)は人によって違ってくる。
その性質を前面に出した方が良い人もいれば、逆に出てしまうことによって苦しくなりやすい人もいる。(と少なくとも私は理解し納得している。)
私は天秤座であるので、乙女座的な性格は私を表すメインの性格ではない。
私の良さが最大限発揮されるのは「乙女座な私」の時ではなく「天秤座な私」の時であるのだ。
それでもホロスコープ上、私は「社会的地位」「目標」「結果」といった言葉が関わってくる文脈において「完璧主義」に代表される乙女座的な性格が出てくる傾向があるらしい、ということがわかった。
これを知った時、ピンとくることがあった。
高校卒業くらいから夢として掲げている「通訳」や「英語」についてだ。
過去の話であるが中学・高校時代は、私にとって青春という言葉は当てはまらず、ビターな思い出が多い。
どちらかというと、うまくいかない日々の中で我慢や忍耐を学んだ時期ととらえている。
そんな日々の中で、唯一小さい頃から続けていた「英語」は、いつか私を広い世界に導いてくれる、と信じていた救世主的な存在であった。
そんな英語を生涯の職業にしたいというシンプルな思いから、言語の一番のプロフェッショナルである「通訳」になりたいと自然に思うようになったのである。
今でも英語は「お世話になっている」と表現したいくらい大事な存在であるし、通訳という職業には強い憧れがある。
今までの人生で一番の時間とお金をかけてきたのも、このためである。
通訳に少しでも近づくため、色々と努力を続けて来た。
留学にも行き、通訳学校にも行き、辞書も洋書も買ってきた。
オーストラリアに来た理由の一つもそれである。
それでもなお、私の英語は私が求めるレベルとは程遠いと感じるし、実際そうである。
そんなパーフェクトでない自分に負い目を感じることが多々あるのだ。
そこで、私の中の自分に対して完璧を求めてしまう「乙女座的性格」ってここかな?と向き合ってみた時に、深いところで納得することができた。
天秤座である私に、乙女座的な頑張り方はフィットしていない、だから苦しくなる。
得るものも確かにある、でもこれ以上闇雲に続けても楽にならないよ、と。
負い目を感じてする努力は、好きで続ける努力よりもずっとエネルギーがいるし、効果もそれほどないってわかっているでしょ自分?、と。
そもそも「英語」以外の文脈で私がここまで完璧を求めることなんて滅多にない。
基本的に自分に甘いし、それを悪いとも思っていない。
自分にご褒美を与える頻度なんて、イルカショーでイルカがジャンプするたびに魚一匹与えられるみたいに、私も小さなことを一つ達成するたびに自分にチョコレートを与えてしまう。
そんな私が「英語の勉強」にだけ自分に厳しくなるなんて無理な話であるのに、それを無意識にしてしまっていたのだ。
「社会的地位」「目標」をパーフェクトな形で獲得しなければと走り続けても、自分で自分を置いてきぼりにする感覚が残るだけ、ということに気づいた。
自分と向き合うことができたので、次に今の自分にできることを考えた。
まず、「完璧な結果を求めて先走る自分がいる」ということを受け入れること、そして、ゆっくり歩みを進めるように意識すること。
視野を広げると、今まで気にもしていなかったことに気づけるようになる。
そんな発見こそが自分の糧になるのだから、すっ飛ばしてはいけないのだと自分に言い聞かせる。
その一つ一つが積み重なって人生の「目標」が見つかるのではないか、そんなふうに感じる今である。
歩みを進める中で、私が最終的に求める「社会的地位」「目標」は、今まで私が思っていた「英語」「通訳」ではないことに気づくのかもしれない。
それはまだわからない。
でも、そうなったなら過去の自分に固執せず、新たに人生の梶をとっていけるような柔軟な人生を歩んで生きたいと思う。
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