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悪を正すことは、悪なのかもよ

悪者はやっつけなくてはならない。
こらしめないといけない。
はたしてそれでいいのか。

何百年にも渡って多くの人間を殺しまくってきた鬼舞辻無惨(『鬼滅の刃』のラスボスですね)は、わかりやすい悪者です。
鬼舞辻無惨は、めっちゃ強くてめっちゃ悪い。
だからそんな奴ほど、めっちゃやっつけたい。
ちなみに『鬼滅の刃』は2024年8月現在、アニメでは佳境を迎えて、あとは映画3作品を残すのみとなっているのだけど、ボクはもう我慢ができなくなって漫画全23巻を買ってしまいました。
もちろんその結末は書けませんが、悪い奴がどう退治されるのかという物語は、とっても魅力的なのです。

悪者がやっつけられると気持ちいい。
悪が正されると気持ちいい。
だから人は悪を正したくなる。

さて今はオリンピックが佳境です。
もちろんスポーツに善悪はありません。
他国の選手が悪者で、自国の選手がその悪を退治しているわけではないはずです。
しかし反則まがいの行為や、微妙な判定などを見ると、どうやら人はそこに”悪”を見つけてしまうようです。
反則をした選手は悪い。誤審をした審判は悪い。不透明なことをする組織は悪い。

悪を見つけてしまうと、人は居ても立っても居られなくなるようです。
悪を正したくなる。
あらゆるSNSが湧き立ちました。
当該人物へ直接の誹謗中傷はもちろんのこと、この比較的冷静なnoteでさえ、「柔道 反則」や「オリンピック 誤審」で検索すると、山のように記事が投稿されていました。
もちろん、冷静さに欠くエックスやトイレの落書き同然のヤフコメなどは嵐のようだったでしょう。
多くの人が言いたい事を言いまくって、悪を正した気になり、溜飲を下げ、気持ち良くなりたいようでした。

さて、ボクは以前、善悪は相対的だと書きました。
善悪はその時々の社会が決めるものであって、絶対的なものではないのだと。
論理的に説明すると哲学的な話になるのでやめますが、というか論理的に説明する能力がないだけですが、とにかく要するに、シマウマを襲うライオンが悪者なのか、という話なのです。
シマウマにとってはライオンは悪い奴です。
しかしライオンは肉を食べるしか生き残れません。
シマウマを助けたら、それはシマウマにとって善行でしょうけど、腹を空かせたライオンにとっては悪業でしょう。
つまり善悪とは相対的であるはずです。
絶対悪と思われた鬼舞辻無惨も、人間を食べるしか生きられない鬼側に立つと、悪ではないでしょう。

立場によって変わる善悪には、拠り所がありません。
悪を見つけて自分の理論をぶつけたところで、悪と思われている側は反省するはずもないのです。
結局、世の中を良くしたような気分になり、自分が気持ち良くすっきりしたいだけなのでしょう。
ずいぶん醜悪じゃないですか。
そういう感情が世界の紛争の大元なのかもって、、

あっ。いかん。
前回に引き続き、話がまた説教臭くなっている。

しかし、どうすればいいのだろうなあ。
悪を正したらカタルシスがあるということを、さんざん映画やドラマや小説などで脳に刷り込まれているからなあ。
ラスボスを倒したらドーパミンが溢れるという勧善懲悪の快楽。
悪を見つけたら、やっつけたくて正したくて。
もうそれは正義中毒というものかもしれない。
正義は甘美なものだから、かえって悪を待ち望んでしまうのかも。

ありゃあ。
悪を正すという正義に酔っていることを悪として、ボクはその悪を正すという正義に酔っているだけじゃないか。
結局ボクも溜飲を下げたかったようだ。昼からビールを飲む中毒の方がよっぽどマシだ。それではまた。


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