無宗教な宗教のすすめ
ボクはまったく宗教というものを信じていない。
しかしどういう訳か毎日欠かさず宗教的な行為をするようになった。
毎朝起きると仏壇に線香をあげて「今日もよろしくお願いします」と心の中で言い、夕食前には父が好きだったビールを仏壇に供え、寝る前には「今日もありがとうございました」と手を合わせて感謝しながら仏壇の扉を閉めている。
毎日ではないけど、母を連れて近所の神社にも散歩がてら頻繁にお参りするようにもなった。
それでもボクは宗教をまったく信じていない。
日々何度も向き合っている仏壇も、お参りする神社も、そこに神聖なものや霊的なものは絶対に宿っていないと心の底から思っている。
毎月、父の月命日にお坊さんがやってきてお経を上げてもらっているのだけど、ありがたい気持ちどころか、何だこの慣習は、何でお布施を用意しなければならないんだ、この先これが何十年と続くのか、と腹の中ではモヤモヤしている。
仏壇の金箔を金として取り出したら10グラム以上はあるかな、じゃあ10万円にはなるな、なんてことや、さらにもっと不敬なことをたくさん思っているのだけど、以下同文ということで書かないことにしよう。
とにかく、仏教に限らず神道も、中高ミッションスクールに通って馴染みあるキリスト教も、その他全般の宗教についても、なーんにも信じているものはない。
ボクの「宗教を信じない」という中味を突き詰めると、宗教にまつわる一切の奇跡の話、人智を超えた話、非科学的な話、霊的とされる話は1ミリたりとも信じていないということだ。
具体的に挙げるとそれぞれ具体的に宗教を特定してしまうからボカすけど、
ある神がこの世を創世しただの、
ある聖人が死から蘇っただの、
ある聖地は拝まないといけないだの、
ある像を拝むと御利益があるだの、
ある経典を唱えていると救われるだの、
ある食べ物は食べてはいけないだの、
働いてはいけない日やハッピーな日や忌むべき日があるだの、
もうそんなこんなの合理的科学的に説明できない話の一切合切を信じていない。
それどころか、信じている人を、マジか、正気なのかとも思っている。
なのでボクの「宗教を信じない」とは「宗教の非合理な部分を信じていない」と表した方が正しいかもしれない。
このへん油断すると「宗教とは何か」みたいなところへ踏み込んでいき、難しい宗教論と戦う羽目になるかもしれないから、そろりそろり、おそるおそると進んでいくことにしよう。
「宗教の非合理な部分」があると言ったからには、宗教には「他の部分」もあるということだ。
ただそれが合理的かどうかについてはそろりそろりと保留するとしよう。
さてでは宗教にどんな部分、要素があるのか考えた。
それが以下だ。
1.非合理(神秘・オカルト)な要素
2.哲学的要素
3.生活の規範となる要素
4.社会(施政者)の要求
神秘オカルト以外をおそるおそる一気に説明しよう。
哲学的要素は「生きるとは」「死とは」みたいな人生などを考えさせる要素、
生活規範要素は自堕落にならずしっかり生きようねという要素、
社会の要求は年長者を大切にしましょうみたいな社会秩序を乱さないでねという要素だ。
多くの宗教の各々の教えは、これらのミックスになっている気がする。1.2.3.4の境界は曖昧な感じだ。
大昔は、太陽や月や山や海や、雷や嵐や地震や、病気や死などが訳わからなくて、みんな不安で恐れおののいていたから、鎮めてもらう神秘的なオカルト話、生きるとは死とは何かみたいな哲学的な話、などが自然と要求されていたのだろう。
そこへ、貧しくても不平を言わずしっかり働くのだ、世の中穏やかに平和に過ごすのだ、みたいなことを、よくできた神秘オカルト話にうまく加えることができた考え方の体系が、何だかんだで末永く残って、今ある数々の宗教になったのだろう。おーおそるおそる。
なので、太陽や雷や病気があらかた解明されてしまった現代において、神秘オカルトの奇跡話は要るんかなあ、逆に作り話がバレバレで眉唾感が増すなあと思ってしまっているのだ。うーひやひや。
ではなぜにボクは毎日仏壇に手を合わせているのか。
なぜ神社の鳥居拝殿でペコペコしているのか。
たぶん、生活の規範のために利用しているのだと思う。
先にあげた宗教の4つの要素のうち、1の非合理要素はバッサリ棄却できた。2の哲学的要素は勝手に考えるから特定の宗教に依るつもりはない。4の社会の要求は適宜対処するつもりだ。
なので残る3の生活の規範については、日々ちゃんとしよう、自分をそれなりに律していかなければならん、しかし自信ないなあ、と思っていて、ちょっと何かにすがりたい気持ちなのだ。
そのために仏壇やら神社を利用することにしたのだ。
日々、感謝をして、自堕落にならず、イライラせず、大きな心を持って、驕らず、人に優しく、過ごしていく決意みたいなものを自分に言い聞かせるための、シンボルというかアイコンみたいなものとして仏壇やらを利用しているのだ。
別にそれが他のものであってもいい。
今視界にある、フェルメールのレプリカ絵画でも、何が書いてあるか不明の書(「撗超」て何だ?)でも、鬼滅の刃全23巻でも、レッチリのTシャツでもいい。
ただ金ピカ仏壇がわかりやすく荘厳な雰囲気をまとっているので利用しているだけなのだ。
線香を焚くと香りもあって、一日の始まりを心静かに迎えられて気分がいいのだ。
宗教って、こんな感じの、ゆるーい、、、
あっ、この手のことは人様にアレコレ勧めるものじゃないか。タイトルで「すすめ」てはいるが。
ま、日々アクセントをつけて自分を律するって気分がいいものなのです。
とは言いつつも、連日のこの暑さ。
ついつい昼からビールを開けてしまうんだよなあ。
神様、仏様、ご先祖様、どうかどうか、昼飲みがやめられますよう、ボクをお導きください。救いたーまえー。それではまた。
そういやこんなのも書いてました。