埼玉県議の条例案と「させていただく」はどうでもいい
最新の社会ネタに斬り込もうかな。それはやらないと決めていたのだけど。
認知症の母と暮らしていると、さすがにテレビで間を埋めないわけにはいきません。
母の話し相手をしたり、運動や脳トレをさせたりするだけでは日中のスケジュールは埋められないのです。一方でボクにも用事はあるし自分の時間も持ちたいしnote記事も書きたいし、かと言って母を放置していると、母は何もしようとはせず、ぼんやりするだけでどんどん無表情になってしまいます。
その顔を見ると、着々と認知症が進んでいくようで、何か刺激を与えなければと焦ってしまうのです。
しかも母は読書習慣もドラマや映画を観る習慣もない無趣味な人なので(と言うかそんな暇なく働き詰めだった。そもそも短期記憶ゼロでは無理か)、結局はワイドショーやらバラエティなどのどうでもいいテレビ番組に頼るしかないのです。
そして母の耳はまあまあ遠い。
テレビの音量レベルを30以上、だいたい掛布(31)くらいにしようとする。
ボクとしては岡田(16)で十分、番組によっては真弓(7)でも大丈夫な時もある。しかしこればかりは仕方がない。
横でnoteの執筆などをしたいのだけど、掛布(31)ではなかなか集中できない音量だ(ちょうど現在もそうだ)。せめて山本和(25)にならないかな。
そういや父や祖母の最晩年はバース(44)くらいまで上がっていた。家の外でも聞こえてたなあ。母もそうなるのだろうか。イヤだなあ。
各数字は1985年の関西なら常識でしたね。どうでもいいか。
さて、そろそろ旧聞に属しますが、埼玉県議の条例案の話です。
少しでも子どもを一人にすれば虐待だ条例違反だ、ゴミ出しにも子どもを連れて行けというアレです。
物議を呼びました。
It's been controversial.
しかしその内容の是非には全く触れません。
そんなことはどうでもいいのです。条例案はどうでもいい。
埼玉県のシングルマザーが困ろうがどうでもいいと言っているのではありません。
とにかく条例案の内容はどうでもいいのです。
ボクが注目したのは、県議が発した以下の言葉です。
「内容に瑕疵はなかったが、説明不足で猛省させていただきます」とのことでした。
瑕疵?
瑕疵があったから取り下げたのではないのか。瑕疵がないなら突っぱねようよ。
そもそも「瑕疵」は土木建築界の用語で、そこから法律用語としても使われるようになりました。
専門用語感の強い単語でしょう。普段では使いません。なので使うと賢そうです。
確かに条例だから法律用語を持ってくるのはおかしくないように思えるけど、法律自体に瑕疵を当てはめるのは違うように思います。
言っていることの矛盾はともかく、私は賢いんだぜという主張が透けて見えました。
政治家が説明を求められているのだから、平易な言葉を選ばないと選挙民には伝わらないのに。
しかしそれも実はどうでもいいのです。
「瑕疵」を使おうが使うまいがどうでもいい。
問題は「猛省させていただきます」です。
以前にも書きましたが、自分の意志でする内発的な行為に「させていただきます」を使うのは変でしょう。
させていただくからには、第三者の許可か好意の下に行えることが暗黙の前提のはずです。
「猛省」や「反省」などの内発的な行為には使えないはずです。「妊娠」に使えないのと同じように(←その以前の記事を読まないとわかりにくいかな)。
さて以前に記事にした「させていただく」問題を再び取り上げているようですが、今回はその是非も実はどうでもいいのです。「させていただく」はどうでもいい。
勝手にさせていただいとったらええがな、ということです。
さっきから何かを取り上げては文句を言いつつ、いやそれは実はどうでもいいを繰り返しています。
ええ、わざとやってました。
さあようやく、どうでもよくないことを書くことにしましょう。
Now, I'm gonna write what matters.
読み終わると、どうでもいいなと思われるかもしれないけれど。
When you finish reading this, you may think it doesn't matter, though.
最近意味なく唐突に英訳するのがマイブームなのです。
マイブームは英訳しにくいですが。
実は新聞社の記事やネットの切り抜き記事のほとんどが、音声の「猛省させていただきます」を文章では「猛省している」と書き変えていました。
後から確認のためにネットを探し回ったら、なかなか文字起こしされていないのです。
どういう目的で書き変えるのでしょうか。
ボクが冒頭でテレビの音量などを書いていたのは、テレビで音声を実際に聞いてのことを強調していたのでした。何の意味もなかったみたいですが。
とにかくテレビを観ていると、この手の「させていただく」をテロップでは単なる「する」などに変えている例がとても多いように思います。
ライターなのかディレクターなのか、個人的な言語感覚で修正しているというより、社内の方針で変えているように感じます。
例えば「食べれます」みたいな「ら抜き」言葉はわざわざ「食べられます」のように「ら入り」に変えてテロップ表示しているのをよく見かけるでしょう。
これはおそらく各社の方針でしょう。それと同じように「させていただく」も方針として修正しようとする意思が感じられます。
「ら抜き」言葉は正しい日本語ではないとされているので、正そうとするのは理解できます。
しかし「させていただく」は日本語として間違っていません。単に冗長とか慇懃すぎるとかの美意識の問題です。
そう、となるとこれは修正ではなく脚色なのです。
つまり今回は政治家の言葉を勝手に脚色したということです。
ボクは使う言葉に人間性が表れると考えています。
だから勝手に言葉を脚色してはならない。政治家の発言であればなおさらです。
あの政治家は「猛省させていただく」という気色の悪い言葉を使う言語感覚の持ち主なのです。マスコミはそれを省略してはならなかった。正確に伝えるべきでした。
ということが、ボクの感じたどうでもよくないことなのでした。ね。相変わらず面倒くさい。
それにしても、たまにワイドショーを観るのも勉強になるなあ。
47歳の副社長が、記者会見という場で自社の社長を「H山さん」とさん付けで呼んだり、「H山さんがおっしゃった」などと敬語を使っていたり、質問には「マジっすか」と言ったりしているのを聞くと、使っている言葉から人間性よりも組織の未熟度が垣間見えました。なので、その後のグダグダな展開はさもありなんと思うわけですね。
それこそどうでもいいか。それではまた。