タイタニックのジェームス・キャメロンは理系要素が強すぎて損している監督である

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 映画監督に必要な才能として、美術要素、文系要素、理系要素があると考えています。美術要素は観客をいかに美しさや迫力や音楽で感動させるか、文系要素は文学的な部分や演技や言葉でいかに感動させるか、理系要素はプロットの組み立てや細部で感動させるか、これら3つの才能があると思っています。
 全部が必要だとは思っていません。偏りがその映画監督の個性だと思っています。黒澤明はどれも突出していますが、美術要素が強め、小津安二郎は文系要素が強めですかね。例えが古い。

 そしてタイトルにあるようにジェームスキャメロンは理系要素が強すぎる監督です。たった今、ウィキで調べたら、案の定、大学で物理学などを勉強していました。物理学なんて理系の中でも変態級に理系です。なんか後出しジャンケンのようですがホントに今調べたのです。やっぱりなー。

 タイタニックが日本で上映されたのは1997−98年頃のようで、当時どういうわけか会社の女の子二人と観に行きました。ほぼ満席で前から二列目でした。前の席の輩(やから)が映画の途中で携帯電話の着信に出るという暴挙がありました。大ヒットしたからか色々と普通じゃなかったです。

 すでにヒット中で、大感動の映画と聞いていました。確かに良い映画だったとは思いますが、後半寝てしまって気付いたらジャックが海へ沈んでいくところでした。
 ワーワーキャーキャーの大スペクタル映画だったなー、でも主人公たちに感情移入ができなかったなー、というのが正直な感想でした。二人の女の子が感動していたら冷めさせてはならないので、正直な感想は言わずに映画館を出て即バイバイしました。
 一緒にご飯を食べに行くとかしなかったんだ。当時はボクは結婚していていて、どんな経緯で独身の女の子二人と一緒に行ったのか記憶にありません。

 それはともかく。アカデミー賞をたくさん取ったとのことですが、つまらない映画も取りますし、映画批評的にどんな位置にあるのでしょう。スノッブな(知的ぶって嫌味な)映画通的には手放しで傑作扱いしていないのではないでしょうか。
 タイタニックで感動したと言うと、スノッブ連中にバカにされそうな、そんな映画です。でもディテールを再度確認したいと思わせるものはあります。
 しかしなー、寝たしなー。ボクのスノッブな映画通的な部分が言うには、「手」のモチーフがうまくハマらなかった、もう少しやり方はなかったのか、というところですかね。

 老人となったローズの手、若いローズの手、ジャックの手のスケッチ、汗で曇る車中の窓の手、などなど、やりたいことは分かるのですが、ハマっていない感じです。どうせなら海底探査船のロボットアームのアップから映画を始めた方がよかったかな。冒頭で手を強調させて、要所でその伏線を回収していくのです。

 とにかくこの辺り、全体の理系要素が強すぎて細かな文系的要素を出したくても出せない、伝わらないというもどかしさがあります。SF映画から来た人というバイアスで観ていたかもしれません。
 ローズはジャックの影響を受けて、結局貴族的な束縛から離れることができて自由奔放に生きたんだ、という文系要素も何だか心に残りません。ダイアモンドもうまく活かしきれていないのですよ。なんだか惜しいのです。

 たぶん「アバター」も文系的要素をたくさん入れているのでしょうけど、3Dという理系要素が強すぎて、印象が何も残っていないのです。ただ3Dてんこ盛りだったという印象だけです。アバターで3D演出をやりすぎて、その後の3D映画界自体が焼け野原になったような気がしています。

 彼には脚本と技術系だけやらせて、総合監督は文系要素の強い人に任せたほうが傑作が撮れそうです。SFを撮らせても文系も強いドゥニ・ヴィルヌーヴとか、クリストファーノーランとかと組んだら面白いかもです。

 とにかく映画監督には美術、文系、理系要素があって、それぞれの強弱がありまっせ、というところだけが言いたいのです。それではまた。

※その後またタイタニックについて書きました。
映画タイタニックを監督気分で撮り直す

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