髙橋大輔 全日本選手権2018 ショートプログラム
外に出てて行くことは勇気がいる。こわいことだ。外は自分ではないから、大切なこともルールもコミュニケーションの取り方も、平たく言えば自分の当たり前は、全部当たり前じゃない。小さな時から少しずつ行動範囲を広げるなかで、私たちはその勇気がいることに立ち向かっている。
小学校に入学するとき、担任の先生のことはお母さんだと思って、困ったことがあったら何でも言うんだよ、と母は言った。その言葉で小学校という未知の世界への不安が和らいだことを、今でも覚えている。
外に出て行く時、心に芽生える恐れ、その克服の仕方の一つに、外側の世界もここと同じ世界だと捉えるという方法がある。先生はお母さん、というのはその例に挙げられる。
一方、自我の確立をもって外に対峙する力を持つ西洋的やりかたもあるのだろうが、日本人にとって西洋的自我は「ハクライ品」でしっくりとに身についているとは言い難いようだ。すると外の世界は依然として恐怖を伴うから、そこに向かうとき「こわばり」や「(必要以上の)へりくだり』が現れてくる。
日本人の精神史を扱った猪瀬直樹さんの「黒船の世紀」の冒頭にこんな記述がある。シーンは開国を迫ってやってきたペリー率いる黒船の甲板上で、日本代表が招かれた祝宴の席だ。酔って焦点の定まらない眼をした、日本代表の末席にあった松崎老人が、ペリーの顔を覗き込んだ後やおら抱きついた。
ペリーはこう記している。「彼の腕を私の首のまわりに投げかけて、英語に直すと”日本とアメリカ、皆同じ心”という意味のことを日本語で繰り返し、そして彼の酔った抱擁のなかで、私の新品の肩章をつぶしてしまった」
この松崎の(中略)安堵の気持ちを、僕らは嗤うことができるだろうか。そして、「皆同じ心」と信じてしまう迂闊さについても。
(中略)ペリーは余裕の苦笑を投げ返している。なぜなら、ペリーは日本人が驚くこと怖がることを期待すべく、大艦隊を率いてきたのだった。日本人を脅しすかし、交渉のテーブルにつかせるためである。
無理矢理に門戸を開けさせられた日本人は、あれこれ理屈を並べて交渉の引き延し作戦に出たくせに、饗宴の場においては人が変わったごとく平気で酔っぱらい、抱きついたりもする。他者というものを理解しない、いや他者とはなにか、わからないのである。(引用ここまで)
ささってくる指摘だ。
または、河合隼雄は「昔話と日本人の心」のなかで「近代自我の確立が人類にとっ極めて重要であることは認めるにしても、それを唯一絶対とは言い難いのである。」と述べ「日本人、あるいは、非キリスト教圏の人々の生き方も、それぞれの価値と意義を有し、」としつつ、その明文化に苦慮している。
これも、よくわかる。あるはずの価値を明文化するのが難しく、結果として共通智になりにくい。
そんな中、髙橋大輔である。
髙橋大輔の空間は大きい。
アイスショーで次々と呼ばれるスケーター達の登場のシーンで、彼が飛び出してくると、その纏う空間が段違いに大きい事に驚く。そしてそこには、「世界に受け入れられてる感」があるのだ。
前回の現役時代、ケガに苦しみ始める前の2011〜2012年のシーズンまでの髙橋大輔は基本的には年を重ねるごとに、試合の演技のなかで観客と感じ合い、双方向に交感する事で演技のエネルギーを増幅させていた、(私はその頂点は2012年の世界選手権と国別対抗戦だったと思っている)だから、髙橋大輔の演技は観ている一人一人に直接、自分との関係性としてダイレクトに届くのだ。
2018年、現役復帰をした髙橋大輔のこれまでの演技は
10月7日、8日 近畿日本選手権
11月3日、4日 西日本選手権
11月11日 レジェンド・オン・アイス
そして先日の12月22日 全日本選手権 ショートプログラム。
実際の得点の上昇に現れている通り、プログラムの実行精度を上げながら、試合勘を取り戻し、落ち着き、プログラムをまとめる事ができるようになってきている。その中で、かつての交感を期待する私に、髙橋大輔の身体から届いた言葉は「ひたすらに、試合をする」だった。
他の踊りの舞台を見ても、日常の生活や社会的背景がすけてみえるような人ではなく、この人には今ここで踊る事しかない、というような踊りをする人が好きだ。髙橋大輔は以前も今も、そういう演技をする。今、今この瞬間、スケートに取り組んでいる、その今だけである。
以前はその中から客席との交感が投げかけられてきた。今はひたすら試合をしている。それは身体的な準備建てが以前と違う事もあるだろう、が、だからこそつぶさになった、髙橋大輔自身が見える。
評価される試合という”外”に対して、なんとしなやかに、何のこわばりもない素のままの在りようで、そこにいるのか。
外を知らない子供が無防備にそこにいるのではない。十分にその怖さを知った上で。西洋的自我の強さを纏うのではなく、柔らかい自らのままで。
ショートプログラム「The Sheltering Sky」はあらゆる残酷な事も起こる地上、過去からずっといつまでも続いていく時を通じて、地上のはるか上空で、止む事なく吹き、うねり続ける風のような美しさがある。
その美しいベールをふわりと差し出されながら、私の心がおののくのは、髙橋大輔が踏み出している、その未踏の大きな一歩に、なのだ。
2018年12月24日 16:00記 ”外”への幼さを抱えたものゆえに。