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ダンス批評 KIDD PIVOT Revisor 検察官


■批評

― ダンス作品の批評書くんだって?
― そうなの。
― へー。ダンスって見たことない。どんな作品なの?

カナダの振付家クリスタル・パイトが率いるダンスカンパニーKIDD PIVOT の 「リヴァイザー/検察官」。1835 年にロシア語で書かれたニコライ・ゴーゴリによる戯曲 「検察官」をベースにしている。腐敗政治がはびこるロシアの地方都市にお忍びで検察官が査察に来るとの情報が入る。長官や有力者は慌ててこれまでの不正を隠蔽し、 検察官を見つけ出して接待して事なきを得ようとするが、その検察官は人違いでただ の若い役人だったというもの。全 3 幕。

― はぁ。社会で生活してたらあることだね。風刺?喜劇?新鮮味はないね
― 2019 年に作られてるから、トランプ政権への危惧は契機にあったらしいよ。でもね、ダンスなら筋じゃなくて、ダンサーの身体から感じたいんだよね。
― へぇ?
― 1幕、3幕と2幕で身体の在り様が違うのね。それはみんなに通じるものじゃな いかなと思うよ。
― 身体の在り様?
― そう、そこが見えたのは面白かったし、ダンス見ない人にも何か自分の事として感じてもらえるかと思った。
― じゃぁおすすめ?
― それがそうでもないんだ。私はダンス観るの好きだから観てよかったと思ってる よ。今の動向が見えたり、作り方には新しい取り組みもあって。でもダンスが自分の 生活の中にない人を動かす力になるかというと疑問なんだ。
― そうかぁ。今度これはおすすめって言うのがあれば教えてね。
― そうするよ!それに身体の在り様が見えたのは面白かったんだよ!

1幕と3 幕は演劇仕立てだ。声はあらかじめ役者により録音されている。舞台上には机やドア(会議室)、ベット(検察官と勘違いされた小役人・リヴァイザーの部屋) などの道具類があり、役柄に合わせてロシアの服装に身を包んだダンサーが声に合わ せて物語を進行する。

とにかく顔も身振りもうるさい。隠蔽を指示する長官のギョロ目もうるさいし、牧師の身振りもいやらしい。長官の妻が婀娜な蝶が鱗粉をまき散らすかのように身をくねらせて登場し、話もまどろっこしいのには、いささか苛立ちも覚える。

しかし 2 幕を見て、これらは彼らの社会性を反映した身体なのだと気づく。2 幕への移行、牧師が重い衣装を脱いでリヴァイザーに歩んでいくその時、牧師の身体が変わるのが見えるからだ。表情を作った嫌な会議室から出て、自室に戻って息をついた時のように。

この対比が見えたのが一番面白く、気付きがあった。

その 2 幕は一転して抽象的に 1 幕の話の筋が再現される。道具類は消え薄暗く、背景 には時に光が動くように投影される。ダンサー達は役柄の衣装もなくシンプルな黒っぽいパンツとシャツ。音声は背後に流れるように再現される。 長官の下で郵便を盗み読んで反抗勢力を報告するよう命令されている郵便局長は、長官への鬱憤を最も溜め込んでいる人間の 1 人。1 幕では鬱憤を溜めるだけだった郵便局長は長官と向き合って争い、婀娜花のようにうるさかった長官の妻は皆から浮いている孤独を認識していることが浮かび上がる。検察官と間違われたリヴァイザーを長官が接待に招くシーンは、下手に出ている長官の、しかし取り込まねばという切迫感がリヴァイザーを襲うレイプシーンのようで、関係性がおもむろになる。続く接待の シーン、リヴァイザーは貝類の口の襞に絡めとられていくかのようにコミュニティー に飲み込まれていく。ダンサー達の身体がお互いに絡み合い、引っ張り合い、形を変える。閉ざされたコミュニティ、取り込まれる、という地平を失うような感覚は抽象化されたダンスだから伝わってくるものだ。

ダンスの見どころはこの 2 幕であろう。が、登場人物たちは時折 KIDD PIVOT のダンサーに見えてしまい、それは作品の世界に入りこむ妨げになった。この作品から何を受け取ったんだろうと思った時、言葉につまる原因の一つだ。

3 幕は 1 幕同様芝居仕立てに戻る。リヴァイザーが検察官ではなかった事と、この地方都市の不正を告発しようとしていることが皆に分かり、「お終いだ」となって終わる。皆が停止した中、ミーシャがスタンドの電気を消してドアを出る。ライトが下手 から上手へ走り、終幕。

ところで、このミーシャという存在に触れずにはおけない。ミーシャは長官の下の人々と一緒に現れながらコミュニティー‘の属性を持たない。気付かないうちに、いつの間にかそこに居た、というような存在だ。なのに、1幕、2 幕とも鹿の角を付けた異形の姿で現れ主役級の印象を残す。そして舞台幕開けと終幕を告げる机の上のスタンドのライトを、付けるのも消すのもミーシャ。全てがミーシャの下にあるかのような構造になっている。

本作に検察官は姿を表さないが、ミーシャがスタンドの明かりを消して扉を閉じた後、舞台下手から上手へ照明が這うように背後の幕の上を動く。それは社会の枠組みの外側の存在、検察官は神なのかと思わせる。ミーシャはその分身だろうか。

メッセージがクリアになりにくい原作を素材とした事も含めて作為的なポイントを沢山含ませ過ぎるているように感じる。過渡期の作品なのであろうか。どこへ行き着くのか観たいと思う。 

ProLab 第1回舞踊評論家【養成→派遣】プログラム応募・1次選考落選作)

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