『かぞくのわ』を観た。

 こんにちは、異羽です。
 良い天気! こんな日は、すべての時間を自分のために使うに尽きますわ。
 てなわけで観劇です!
 道楽息子『かぞくのわ』! 西武池袋線富士見台駅が最寄りのアルネ543にて3/27〜31までやってます。
 かねてより表情豊さんの作品には心を掻き混ぜられており、今回も例に漏れず自らぐちゃぐちゃになるため観てきました。

 さて、感想ゾーンです。
 ちょっとだけ、開演前の心境を以下に記しとこうと思います。

 開演前です。きっとすごいものが観れる。同時に、どんな劇薬を形見にしてこの作品が終わってしまうのか、既にちょっと恐れている。
 長らく楽しみにしていただけに、普段の観劇前とは違うドキドキに包まれている。
 表情さんの作品であるから、一筋縄ではいかないだろうなと思っている。僕の持つハードルがどんどん上がっているのを感じる。でもきっと今回も越えてしまうのだと思うと、総括して楽しみですよね。
 正真正銘、開演前の客席での記録です。
 では、『かぞくのわ』を観てきます!

 観てきました。
 あの、ちょっと......心が形を保てなくなってて、もっとこう、あーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 とんでもない劇薬を置いていきました......。
 群像劇として描くには一つ一つが大きすぎて、持ち帰れないほどの大きさの感情が僕を包んでいます。今。
 すごいんですよ、マジ、いいですか、僕は本当のことしか書かないので覚悟して読んでほしいのですが、ずっと悔しいんです。観てる間。
 悪気のない、心無い、何もないただの言葉が、誰かを傷つける場合があって、でもそんなの1割以下の確率なのに、人ってほんと運命の奴隷だからその1割ばかりが当たってしまう。気付けば傷ついた人だらけで、そんな人たちを観客である僕が癒せるはずもなく。現実として目の前にいたとしても癒せるとは思えないまま、悔しいと思い続けて『かぞくのわ』が始まって終わるんです。おいこれどうしたらいい!?!?!?!?!?
 エピローグ、そこに救いを見出した気になってた。でもちょっと待ってよ。心が前向きになったって家族はそのままで、それぞれが明るい未来に進んだって結局そこはそれぞれの元地獄であることに変わりはないわけで。
 地獄なんて平たい言葉で片付けたくはないけれど、解決できない苦しみがあったらそこは地獄なんですよ。もう取り返しのつかないところまできてしまったりだとか、自分の力ではどうしようもない要因だったりとか、それらが強く重くのしかかることで、形成されるもの。
 それぞれにとっての地獄を、脱せたのかというとそれはそれぞれで。ことユウキに関しては本当の本当に"これから"でもあるわけで。
 えっヤバい!!!!!!! マジヤバいんですけど、なんも終わってなくない!?!?!?!?!? 世界が終わらない限り生活は続くんですけど!?!?!? じゃあなんも終わってないじゃないか!!!!!!!!!!! 助けてくれマジで。マジで!!!!!!!

 えー、以上が終演後の電車で書きしたためた直情的な感想です。
 これ以降は時間を空けてから書くのでもう少しまとまりがつくと思います。

 さて、と。
 ここから冷静な感想に入ります。
 例に漏れず、以下には個人的解釈や勘違い、深読みなどが込み込みになっていますので、解釈違いがあってもなるべく許していただけると有り難いです......!

 まずはネタバレ配慮込みの感想です。
 面、白、かっ、た、んですよ。ただこれは大手を奮って「あーーー!!! おもしれーーー!!!」のそれではなく「面白かったわ......」だったので感情が伝わりにくい。てか面白いかどうかを判断する前に向き合うことが多すぎる。
 ですんで既に予約してる方も、これから観に行きたいって方も心配せずに富士見台駅まで向かってもらって大丈夫です。そこは安心してください。僕の言葉がどれだけの担保になるかはわからないけど、少なくとも1人の心には深い釘が打たれました。
 事前に案内があった通り、現在世の中で慎重に扱われるべき題材を多く含んでいるため、心身への影響の恐れがある方は控えた方がいいというのは確かな気がします。描き方というよりかは、人によっては「作品内で己に近い問題が寛解しない」ということに怒りや辛さを抱いてしまうかもしれないから。あくまで自己判断の上で、健やかな観劇体験をしてほしいというのが僕の感情。
 観る勇気と観ない勇気、この作品に関してはどちらも尊いものだと思うので。
 そこまで思う必要ある? って方もいるかもしれない。備えあるから憂いもなかったって状況が一番良いでしょ。

さて、ここからは多分にネタバレが含まれますので最終日に観劇される方が読まれることはオススメできません。

 いいですか。

 いいですね。

 書きますね。

 よろしくお願いします。



 以下ネタバレがあります!!! 
 以下ネタバレがあります!!! 
 以下ネタバレがあります!!!
 以下ネタバレがあります!!!



 よーいどんで書かせていただくと、ありえないほど目を背けたくなりました。開演前に表情さんが「肩の力を抜いて観られます」と言っていましたが僕からすれば真っ赤な嘘みたいなとこがあります。
 演劇って現実を濃縮するか希釈するかの二択みたいなところがあって、今回は濃縮によって克明に、それぞれの人物が持つ楔を目撃することになる。
家族ってそれぞれじゃん、なんか腹に潜ませてる。言わないだけで、それが普通なのだ
 わかってたようで実はあんまわかってないところを作品全体で指さされて「こういうことだと思うよ」と言われている感覚。
 前述した「悔しい」という感情はここから来ているのかも。あくまで一解釈でありながら、確実な一意見であって、それを否定することができない。

 ぐちゃぐちゃ申しておるけども、僕の心には今確実に澱が溜まっていて、それは理解/検証/体験がないと晴れない気もしていて。
 どれも今の僕にはできないことだから、悔しい。僕の視界の外ではあるかもしれない世界、を見せられた。

 僕はね、ユウキがとても、とっても悲しい人に見えてしまった。驚くべきところなんだけど、作中一度もユウキは自分の性別について語らないんですよね。それはきっとスズに向けた言葉が物語っている。
 己の心の内を明かすことが、相手に責任を背負わせることだと思っている。ひとつの境地に至った人間の考え方。でもこれって誰にも頼れなくなる一本道だから、誰もユウキを助けてくれる人はいない。
 というか邪推めいた解釈なのだけど、ユウキさ、ハジメが男の子を欲していたことをどこかで知ってしまったんじゃないだろうか。
 極めてローな立ち振る舞いと、頑張って出す低い声。自身の生物学的な仕組みを無視して無理しようとしてたんじゃないか。
 ずっと気になってることがある。それは、ラスト、ヒトミへ見せた姿。学ラン姿で現れたユウキの表情は、努めて無感情だったけれど、僕には少しでもヒトミを救いたいんだという意思を受け取った。
 自分の心に従いたいけれど、それによって生まれる不和も想定できて何も言い出せずセーラー服に袖を通している、というのが素直な感想だけどごめん、自身の性別を捨てきれない結果がラスト以前のユウキなのではないか。
 マジでね、邪推だとは思うんですよ。ただ、あれだけ愛する家族が荒れたのを目撃して、家庭内で一番幼く力を持たないユウキができた決断は、もう「振り切ること」だけだったのではないか。
 あの学ランはスズからの贈り物だったと解釈しています。あれも押し付けではあるのだけど、親切心によるものに他ならない。きっと周囲から見てもユウキの振り切れなさにユウキ自身が苦しめられているのがわかったのかな、と。
 作中、漫画を描くことの意味を「何か言いたいことがあるから」と表現していて、そういった意味ではユウキ以上に適任はいなかった。
 ただ、背負うものが多すぎて、ユウキは筆を替え油絵に取り組んだ。
 自身のことでも手一杯なのに、家族のことも、言えないことばかりになっていって、いくら「何か言いたいことがあるから」といっても、ありすぎて、漫画なんかでは解き放てなくなってしまった。
 それを、他の誰でもないスズが重荷を下ろそうとしたことに意味がある。ユウキを近くで見てきて、芽生えた感情に疑問を持ち、最低限の嘘を吐いて、最後にひとつだけ賄賂を渡す。
 誰にも頼ってこなかったユウキを見ているだけじゃ、学ランがあのタイミングでどんな意味を持つかなんてわかるはずもない。ただ、きっとユウキは漫画を描こうとするんじゃないかなぁ……。であればいいな。

 印象的なシーンで言うと、マリがアキラに言った「ファンタジーにされていい人じゃないんじゃないですか」という台詞。
 後にマリが似た境遇の(相対的に)上手くいってる方であることが明示されてより強く思ったことなんだけど、優しい言葉なんだよな。
 アキラにとってツヨシは腐れ縁という名の絆を感じていて、自分に必要な人間だから、ただ全ての行動が愛によって動かされているだけなんだと思うのよ。
 アユミがいてもいなくてもきっとそこは変わらないけど、アユミがいるから今の形があって、それを軽く否定されてしまうことにアキラは強いショックを感じる。
 僕はBLが好きで、まぁ色々と創作したり読んで楽しんだりしているのだけど、ここで一つ断言するとこれによって僕のBLへの楽しみ方は変わらない。ただ、それが色眼鏡による楽しみではなく「その人間とその人間」であるから楽しいんだ、と逆に胸を張って言い切れるかもしれない。
 愛の形の話はもう無限にされてるけど、ここで改めて僕の意思を表明しておくと、結局人は人を愛することをやめられないし、その矢印が誰に向かうかなんて決められないものだと思っている。正直なところ「同性愛」って表現はあんま僕の辞書では濃くなくて、「愛」だけで全部済んじゃうんじゃないかと思っていて、まぁあくまで僕個人の意見なのでそれがあるからといって何がどうだとかはないんだけど。
 ツヨシがアキラに持ちかけた関係解消は、あくまでアキラの仕事が波に乗ってきたからであって、ことごとくアキラからの矢印には気付いてないんだよな。ツヨシにはツヨシの常識があって、その埒外だったのかな。
 気付かない残酷さってものは勿論ある。愛ゆえの行動を「ほぼ家政婦」なんて言葉で片付けてしまうのだから。でも、幸福の一面もある。それは、この解消の根源に嫌悪がなかったこと。基本全ての愛は報われてくれ〜と願っているけど、このケースはそうではなかった。すごく切ないしショックではあるけれど、でも、相手の常識に自分の常識が合致しないことで怒り出すアキラじゃなかったことが、その後の関係を続ける足がかりになったのだと思う。
 アキラがアユミに心中を吐露するシーンで「何者にもなれない」と言っていたけれど、少なくとも僕はあの150分の中で松田家の一員であったアキラを見ているし、その事実だけはかけがえのないものだと思っていてくれると僕が嬉しい。ママでもパパでもウルトラマンでもないアキラは、アキラという一人の人間なんだよ。

 カオリ、カオリカオリ……僕から見て、悩みと呼ぶには慄くほど大きいネガティブを「ベタだなぁ」だとエミに言ってもらえたことは、他らなぬ救いだったように見えた。
 この作品、徹底して「どの問題が特別」とはせず、それぞれが「問題」という同じ荷物を抱えた人として描かれてるのがとってもよかった。
 群抜きでカオリの楔は重く、それによりカオリは自身を苦しめることしかできなかったけれど、でも、エミの言葉がカオリの顔を前に向かせた。
 エミって凄くて、自身が持ってない要素に対して自分事のように思えるんだよ。だから、勇気を持って「ベタ」だと言える。自分の子供を殺めかねない人を見て、勇気づけることができる。それがどれだけカオリの行動を変えられるかはわからないけれど、それをきっかけにカオリは仕事を手にすることができたし、事実となった過去は無かったことにはならないけれど、これからもあの「ベタ」を心に前へと歩いていけるんだろうな。
 ハルトのことを思うと、素直にカオリのことを許せるわけではないんだけどね。どんな理由があってもいけないことはいけないことだ。それは断言しておかなければならない。ただ、手の届かない世界、作品の中の出来事だから、こればかりは都合よく思わせてもらう。
 将来ハルトがカオリを許さないこともあり得る。というかその未来しかない気はするけど、でも、最悪の未来ではないんだよ。許さないという選択も、生きているからできる。
 とはいえ、とはいえなぁ……やっぱ考えてしまう。命が助かっただけで犠牲ではあるハルトのことを。前述の「寛解しない問題」がハルトの存在。この件に関しては、これ以上軽々しく僕は触れられない。
 カオリはどこかで強く償う必要があって、ただそれが今ではない、ということ。

 ヒカリ、名は体を表す、まさに光のような人だよな。めげない。強い心の持ち主。ただそれって翻って鈍感とも思えて、この作品よりずっと未来で決壊してしまうんじゃないかという危うさもある。
 あっけらかんとして誰にでも態度を変えることなく場を照らして、そんなヒカリの心の声を誰が聞けただろうか。
 何事も軽く考えるばかりでは、人間はただ生きていくことすらできない。から、自身の家族にあった出来事に対して思うところはあったはず。おそらくそれを表にするのは良しとしない性分がユウキと少し似ている。
 ツヨシにも似た意に介さなさがあって、それがユウキを少なからず苦しめることになるけど、誰かが悪いわけじゃないから観てるこっちも苦しい。
 ヒカリにとっては普通のコミュニケーションでもユウキにとっては意識せざるを得ないわけだから、これがドタバタコメディだったらどれだけよかっただろうと……。
 マリへ帰省を勧めるのも、考えがあってのことだろうけど葛城家のことを知ると「ん”、どうだそれは、ん”!」となってしまう。こういった人間性が全ての人間を救うわけではない、という描写だと僕は見た。
 ヒカリのような人が幸せでいることがなによりの幸福だけれど、その分苦しむ人も確かに存在する、その按排。あ〜、どうしろっていうんだ。

 リョウタ……なんでこうあなたは魂を輝かせるのか……。
 決断があったから家庭の事情を吐露して、それが重いことに自分で引いて取り繕って、でも伝えなければならないことだからなんとか伝え切って、どうにもならなくなって……多分僕が一番泣いたのはそのシーンだと思います。
 どんな人間にも己の正義に従う行動を取る瞬間があって、それがリョウタの場合はここだった。説明責任を自分なりに果たして、かといってそれでスッキリするなど断じてせず、対話に取り組もうとする。まぁ退っ引きならなくなって混乱した挙句身体を交わそうとするのだけど。
 キャパオーバーになることなんてわかってただろうに、これもまたカナメへの愛ゆえなんですよね。
 きっとリョウタはマサヒロにその行動を詰られることすらわかっていたはずだけど、ここでも説明責任を果たす。自分はこういった家庭環境で育って、それを知った相手がどうなるか、その相手のことを考えてマサヒロがどうなるか、全部分かった上で、「受け入れるために手札を明かす」ようなことをする。
 じゃあ他にベストタイミングなんてあったか? と言われると、あの場所あの瞬間しかなかったんだよな。これより早くても遅くても、何か歯車がおかしな挙動をしてしまってた気がする。
 家庭環境に引け目がある人間にとって、一番勇気の要る行動だろうに、感情の濁流と共にそれを言葉にできたリョウタを、それを受け入れたカナメを、強く祝福したい。

 思うにスズだけがずっと1人だったのかもしれない。
 家庭内で頼りたい母は居らず、学校で頼りたいユウキには「責任を負わせるな」と言われてしまい、もはや自身に関した願望を持つことに疲れてしまったのではないか。
 自分の重荷を誰にも背負ってもらえないなら、せめて......の形がユウキに渡した物だとしたら、健気すぎる。
 「ユウキには理想の自分であって欲しい」という理想。ただもっと穿って考えると、スズの理想に近づいたユウキにもう一歩踏み込んで欲しくて、あれが2度目のSOSだったんじゃないか。
 一方的とはいえユウキに一番期待しているスズが、それと併せて「ユウキの漫画を読みたい」と伝える。
 思えばあの世界は、スズ以外誰も他人に期待していないように見える。
 他の人と同じく自分の問題から目を逸らしつつ、相手の明るい未来を期待している。
 スズ、幸せになろうとするその先で本当にユウキの漫画を生きて読んでる未来があるのか?
 ダメだ、書きながら泣けてきた。
 わかんないけど、スズは「幸せになる」としか言ってなくて、具体的にどうするかはわからない。それが僕にはとてもほの暗く思えて、スズにとっての幸せがどんな「ばいばい」なのかを考えてしまう。
 嫌だけど、スズの問題に「ベタだなぁ」と言ってくれる人が、居ないんだよね。
 うわああああー......!!!! 助けてくれ。

 リナとモモカ、作中ではその楔のフィーチャーがあまり多くなかったけれど、でも彼女らも確実にこの世界の住人で、愛せずにはいられない。
 人妻という属性を用いる風俗で働く四人の中で、リナは夢の実現のため、モモカはひたすら生活を続けるために日々を生き続けている。
 この二人は、特に特にリナのカミングアウトのシーンが良くて、いや良いとかじゃなくて、良いんだけど、すんごく現実で。
 何かを抱えた人間は笑ってちゃいけないのか? というのは水面下の命題な気がする。子供ができない体であるという事実が、リナとモモカで重みが違うから表面化したシーン。どの人物たちも、常識と常識が互いの正面に立ち塞がることで、違う人間であることがわかる。今作はずっっっっとこれがすごい。
 リナにとってはそれは他のことで笑ってしまえる問題。じゃないか、今は笑えるだけの問題。これは僕の解釈だけど、マリの存在がこれをそれだけの問題にできているのではないか、と。
 子供を作ることだけが幸福ではなく、愛の行き来が成立していること、これこそが目標なのだろうな……。そう考えるととっても自立しているというか、凛としている。それがリナという人間。
 モモカにとって、それはとても大きな問題。自身に子供がいることは勿論、おそらくモモカが持つ常識の深いところに「子を持てることは幸せ」という項目がある気がする。
 だからこそそんな問題を抱えてなお笑えているリナに納得がいかない。というよりは、自分が向けた共感によって想定したのとは違うリアクションが帰ってきたことが疑問だったのかも。「普通は悲しいでしょ」みたいな。
 結局どんな問題もそうなのだけど、自分は自分で他人は他人なんですよね。同情が正しいとは限らず、時には「そうなんだね」で済ます方が丸い時がある。
 モモカは思ってたより等身大な人間ですよね。オーバーラップしていた配信シーンの台詞「いや気まずいよ」「勘弁してくださいよ」がモモカの心中を代弁していた。実際、他人から聞かされるこっちにはどうしようもない問題ってこう思ってしまうのかも。言わないだけ、とても誠実。
 同じ場所で働いていて、同じように身を削っているわけだから仲間意識がその誠実さを引き出しているし、それが要らぬ同情を引き出したと思うと、一概に悪いこととは言えない。勿論。
 これもまた、誰も悪くなく、ただ常識同士が直面しただけなのが、またコミュニケーションよね。
 リナはその後問題を意に介さず同性婚を目指して生きていくし、モモカは自分の子供のために文句を言いながらも身を捧げていく。とても良いコンビ。幸福が訪れることを願うばかり……。

 リンコとミズキを語ろうとすると、ユウキのドライな評価が的を射すぎていてあんま僕からの言葉はないんだよな。
 でも、関わり方の不器用さがすっごく思春期で、人の逆鱗の危うさというものを明らかにしていた。
 不器用さも、今作の通念なんじゃなかろうか。みんな言葉を間違えて、関わり方を間違えて、その先で大間違いに気づいて、修復したり暗い未来に進んだりする。
 こんなこと言ってはいけないとわかっているんだけど、不器用は物語になる。ただ今作は物語ではない。物語じゃなくて、生活とそれにまつわる交流の記録なんですよ。これは強く言いたい。物語とするには訴えかけるものが大きすぎて、だから飲み込みきれないところがまだまだたくさんある。
 そうか、物語じゃないから、不器用さが全面に出てきているのかもしれない。誰も世渡り上手ではなく、その最たる例がリンコとミズキですね。
 リンコは家族のために手を出せてしまう優しさと危うさの人。一口に優しい子であると言うには、家族の存在がデカすぎて、不用意に触れるのが怖い。でもそれを隠して友人と交流している強かさがある。
 ミズキは豊かさに無自覚であるし、不器用No.1だけど、仲直りする時の瞬間最高風速がとんでもない。これもまた勇気ですよ。
 自分の一言が相手の暴力を引き出した時、素直に自分が悪いということを認められる人はそんなに多くない気がする。それを行動に移せる力と同時に、言葉の上では素直になれずに「自分の目で見て確かめる」という姿勢で謝罪に向かおうとする不器用さ。ちょっとほんと、宝かもしれない。

 ハル!!! 相方を全うする姿に普通に泣きました。
 集団心理的に、むずいんですよ。「今これつまんないんですけど」って言うの。等身大のハルなのか、芸人というキャラクターが乗ったハルという人間の言葉なのかはわからないけど、あの場でアキラを守った姿は評価されないはずがない。そういう世の中になったと思う。
 笑えりゃ良いけど、それだけじゃないんだよな。笑えない人がいると、芸人って生き物は許せないはずなんですよ。それが自身、ひいては相方のこととなると尚更。
 でも、アキラが本当にその当人だとは思い至らない。思い至るわけないじゃんな、アキラは言ってないんだから。だからこれも誰が悪いわけでもない。それが多くって、ヤバい。
 誰が悪いわけでもないなら、防ぎようがないんですよ。配慮に配慮を重ねれば最大限防ぐことはできるだろうけど、行き着く先はコミュニケーションの一定化というか、個人差のない交流になってしまう気がして。
 時には無配慮によって思わず発展する交流もあったりするし、僕は正直これ以上配慮が敷き詰められたら、それを「配慮が横行している」と思ってしまうかもしれない。そういった意味でもあのシーンはリアルな気がした。
 今作、端々で過去自分が放った言葉が実は刃だったのではないかと思い返す瞬間が多かったんですよ。すごく、内省につながる作品。痛く、苦しい。
 どの人物にも自分に通じるかもしれない要素があって、それを見つけてしまったら最後、人によっては立ち戻れないほど落ち込むことになるかもしれない。でも、きっと自分一人だけじゃ気付けないだろうからこの観劇で内省の道が開けるのは確実に価値がある。思い返しながら感想を書けば書くほどそう思う。

 マリのことを考えていると、寄り添うことに遠慮を抱かない優しい人だと思うんだよね。
 前述のアキラへの言葉もそう。ユウキをユウキくんと呼ぶこともそう。常に鋭い目つきだけど、その分相手のことをしっかりと見ていて、寄り添った振る舞いを考えて出すことのできる、一見不器用だけど脳内は器用な人間。
 エピローグでアユミに見せた笑顔が、きっと本来マリが人に見せたい表情なのかなとか勝手に思っている。表情からは読み取れないほどとても感情豊かな人だと思うんだよな。好きなものもあるし、両親との交流が途絶えてもヒカリとは会う名残惜しさも感じさせるし、笑わないとわかっていつつアキラのライブに足を運んだりするアグレッシブさも持ってるし。一面の多彩さで言えばマリがダントツだった気がする。
 表情作品を読むといつも「もっとこの人のいろんな面を見たいよ〜!」って思ったりするんだけど、マリに関しては「いろんな一面を見せてくれてありがと〜!」ってなってる。
 あぁ、そうか。自らの立場を知った両親の行動を反面教師にしてなるべく人に寄り添いたいと思っているのかな。だとしたらどんだけ優しい人なんですか。

 マサヒロは苦しみの人だな……。家庭環境によって自分は二進も三進もいかなくなって、でも善性が残っているからその狭間で苦しんでいる。
 母親が、ああだったらいいのに、どうして、なんでこんな、と思い続けて、それゆえにカオリを鬱陶しがりながらも放っておけずにいる。借金返済のためとは別箱で、母親への幻想が、マサヒロに仕事をさせている。
 はっきりとした善性の行く先がリョウタを進学させることで、そんなリョウタがマサヒロにとって「やってはならないこと」をしたから、強い言葉をかけるしかできない。不器用だなぁマジでさぁ!
 家庭環境が他人にとって爆裂に受け入れ難いことをリョウタもわかっているだろうと思ってたところに結婚の打診と報告を受けたら、そうなることは頷ける。リョウタを守ろうとしてたんだな。
 思いの外カナメが受け入れてくれたから良い方向に転んだものの、やっぱマサヒロの懸念を「乱暴だ」と唾棄することはできない。
 人を愛するってことがなんなのかを自分より先に弟が理解したっていうその事実もマサヒロの行動のきっかけになったのかもしれない。

 カナメ、それぞれの事情を「そんなもんなんじゃない」と言える人間。強すぎる!
 言葉は若干強いけど、でも素直さが伝わってくる性格をしている。
 ヒトミの不倫が判明し、ハジメの本心が見えた時、とても受け入れられない様が完全に人間でした。
 リョウタの告解を受けて、まともにショックを受けられるのも、人間すぎる。モモカと通ずる実現性を感じる。
 知りたくないことばかりの中で、リョウタという頼る先があってよかった。等身大ゆえに家族以外に逃げ場がなかったら、その後の人生は想像したくない方向に進んでいたかもしれない。
 リョウタにとってカナメの姿勢は救いだったし、カナメにとってもリョウタは安心できる場所なのかな。わがままでいられるというのは素直の証で、それをリョウタはずっと受け入れてくれるでしょう。マジで幸せになってくれ。

 ツヨシ、不倫すな。としか言えないけど、魅力度で言えばすごい高くて、なぜかというと全面オモテみたいな人間なんですよね。
 不倫をする姑息さはあるけど、アユミのことは愛しているし、そこが両立するからツヨシというキャラクター造形が絶妙なんですよ。
 アキラの行動の理由に気づかない鈍感さ、それゆえに関係解消をあんな言葉で片付けようとする無神経さなどを取り上げれば簡単に批判できてしまうものの、彼の作る作品が誰かを楽しませていたことも事実で、じゃあツヨシにとっての「何か言いたいこと」とはなんだったのか。何がツヨシを突き動かして漫画家たらしめていたのかが気になる。きっと、アユミを守るという決意や死別した妻のことが引き金になっているのだろうけど、明らかにはされていない。からこそ、「何か言いたいことがある」ユウキの存在が浮き彫りになって、客席に座っている僕は強く「ユウキ、漫画を描いてくれ」と思ってしまうんだよな。
 こう書くと踏み台みたいな印象を抱くけど、結局この「何か言いたいことがある」という漫画家の理由はマリ独自の視点であって、そことは別の地平にツヨシはいたのかもしれない。彼の理由は僕には掘り下げ尽くせない。

 まだ語れてない人がいますね。
 ヒトミとハジメです。今作において主人公とは? と聞かれると僕はユウキと答えてしまう。でもきっと、「『かぞくのわ』の中心にいるのは?」と聞かれたらヒトミとハジメと答えるだろうな。
 ヒトミは、人に向ける愛の形を図り損ねてしまったのかもしれない。
 良い子にする、という根底が、逆に自身を良い子から遠ざけてしまう。より遠くへ行ってしまった良い子の理想像を追うために、家庭内では良い母でいようとする。せめて子供の前では。
 どんな人間にも息抜きは必要だけど、それがよりにもよって多くの人の倫理に反する形だったのはとても悲しいことなんですよ。もっと違う安寧な形で現れる可能性があったのかというと、あまり想像できないのだけど……。
 良心の呵責がないわけはなく、ただ悪いことに手を染める陶酔感からも逃れられず、結局自らの行いで不和を取り返しのつかないところまで広げてしまう。何がヒトミを救えたのか。きっと作品内では語られてない家族の時間にヒントがあるのかもしれない。
 ハジメにはなんかもう、怖いという言葉しか当てはまらない。
 ツヨシが全面オモテだと言ったけど、ハジメはウラをちらつかせたオモテが全方位に見えている感じ。全然逆ではないけど、でも真逆なんですよ。ごめん、伝わるかなこの感じ。
 笑顔が消えたハジメ、目が真っ黒で真円なの本当に怖い。あんなの漫画でしか見たことがないです。
 そんな怖いハジメも、なんの所為かを考えるとヒトミの不倫に他ならないのが可哀想なんですよ。健やかな父親だったはずが、最初の不倫で何かが外れてしまった。
 許すという行為は全面的に被害者が主導権を握る形だから、それがハジメを深い支配欲の人間に完成させてしまったのだよな。
 男の子が欲しいっていうただの願いが、縛りになってしまって、カナメやユウキに対しての秘密になってしまったことが積もり続けて、二度目の不倫で決壊してしまった。
 怖い、怖いんですけど、あの状態に陥るのも無理はない気はするんだよ。だからって性行為の強要(強いて言えば)が正しいとは言えないけれど。
 確実に間違っている点と、可哀想であるが故に同情せざるを得ない点が近いところにあるのになぜか線で繋げない不可思議な人間性。それがハジメなのかもしれない。

 ヒトミが度々見ていた子供のメタファーは、ありゃなんなんだろうね。色々と考えたんですよ。幼い頃のヒトミの幻影であったりとか、また女の子を産んでしまうかもしれない恐怖であるとか。色々と。でもどれもおぞましくてそれ以上考えられないんですよね。
 出産って、マジで命を賭けた生命活動じゃないですか。僕は男なので知識程度でしか知ることはできないけど、やはりそれをまた経験するかもしれないっていうのは子供が増えるっていう一般的な幸福を越える恐怖があるんじゃないかと思うんですよね。カナメもユウキも愛しているはずなのに、今苦しんでいるのは自分の行動がきっかけだから、どんな愛情にもひそかに「せめてもの」が付きまとう感じ。
 次がある、という恐怖。決して言葉にはされないけど、それは確実にあるんじゃないかな。頑張るって言葉だけで頑張れるほど優しいものではないはず。それをハジメは想像できない。
 その不調和をどうにか気にしないために、子供のメタファーは「いってらっしゃい」と言っている、とヒトミは思い込んでいるのかな。
 だからこそ最後、ユウキが「ただいま」と言ってくれたことがヒトミにとって救いであってくれたら、少しは僕も救われるかもしれない。
 自分が誰かにとっての帰る場所である、っていうことが、家を守る自分への価値になるはずだから。

 『かぞくのわ』というタイトル。「一人じゃ作れないんだ、家族は」とハジメは言った。自分の手を握れば一つの輪ができるけど、それは一人が通れるギリギリの大きさにしかならない。家族がいれば、手と手を繋いで大きな輪ができる。強く手を握れば何が通っても揺らがない強い輪になる。
 様々な家族が出てきて、それぞれの輪が描かれて、どれも違う大きさ、強さだった。その輪が重なりあったり離れたりして、作品になっていた。


 と、めちゃめちゃに書き殴ってきた感想もそろそろおしまいです。
 これまでの表情作品の中でも一際笑えなかった。今ある軽快の裏には大なり小なり無茶があって、それが互いに見えれば良いのに、それに限って見えないまま、おもろいをやってる。
 ずっと放送事故みたいな、もちろん褒めてるんですよ。でもこうとしか言えなくて。
 ハジメの「舐めてよ」で起こった笑い、あれマジで客席で二分化されてたリアクションでした。「えっ......」と「ドン引きなんだけどwww」ではっきりと。いい加減怖いよ!!!! どんだけ僕に"わからせ"てくるんですか!!!!!!
 今後、この作品で生まれた言葉や行動の刃を自分が相手に向けない保証はない。ずっと内省がおわらない。いつかこの作品を思い出して、人と誠実な関わりが出来る自分でありますように。
 マジで、ずっとズゥン......としています。でもなんだろうね、劇場から「いってらっしゃい」されて今。やっぱり清々しさもある。いや、「いってらっしゃい」て!!! 現実頑張るかぁ......。
 なにより今作、どのキャストさんも訴求力が半端ないんですよ。「全部ブッ伝えてやる」みたいな、パワーを感じました。
 最前席に座ってよかった。一度観ただけではまだまだ解釈を深めきれていないけれど、上演台本を買ったので読んで劇場の空気を思い出してみようと思います。
 素晴らしい体験をありがとうございました。夢がすごいことになるかもしれない。

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