【悪因悪果】を考える

【悪因悪果】あくいんあっか

 悪い行為はかならず悪い結果や報いをもたらすということ。
(豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典 改訂第3版より引用)

 こんにちは、異羽です。
 先ほどiPhoneのユーザー辞書に(豊富な〜〜引用)を登録しました。これからもずっと付き合っていくワードですんでね、毎度打つの面倒なんです。

 辞典の注記で「仏教のことばで『因果応報』の悪い方」と載ってて、「因果応報」が良い方の意味も持っていることを初めて聞きました。までも考えてみればそうか、原因があれば結果があるってただそれだけのことを指した四字熟語だもんなあれ。
 どうしても見え見えの暗礁に乗り上げた人への手向け言葉に見えてしまうんですよ。知らないとこで細分化されてたのか。
 ていうかなんで良い方の四字熟語が注記に載ってないんだ。探せってことか。

 悪因悪果を想起する出来事、まぁいっぱいあります。人の記憶は悪いことの方が強く残るらしいですので。
 大人になる前からなんとなくわかっていたけど、言い訳はいい結果を生まないなと思いまして。結局怒られが発生した時は素直に認めるのが大事なのだなと気をつける今日この頃です。
 ただね、必要な言い訳も極少ないながらにあります。それは「自分(だけ)が原因ではない怒られ」です。当たり前ではあるもののなぜかそれすら受け入れてしまう人が多いため、僕はその牙城を崩せないかと日々画策しています。

 言い訳の言い方で1番あるのが「でも〜〜だったんです」ってやつですが、これさえ回避すれば怒りを発している人と会話できる可能性があります。
 その回避先として有能なのが「そう思って〜〜を試してみたんですよ」とか「それに僕も気付いて〜〜にしてみたんです」です。あくまで僕流です。
 如何にせよ、自分のシロを主張するよりは、クロになったけどチャレンジはしたのだよ、という過去の自分を今の自分を通じて伝言する感じですね。それだけで割と相手は自分を糾弾してこなくなります。
 大人っていうのは相手より自分の方が本質をわかっていると思っているので、その本質に近付こうとしているという意思が見えると手を緩めてくれます。
 こんなとこでこんなこと言っていいのか。
 僕はこれで怒られを緩めることを過去何度かしてきました。割と失敗する方なので、回避術に長けてしまった悲しい化け物です。許してください。

 「僕はこんなふうに悪因から悪果を遠ざけてるよ!」って話にしようと思ったら、この回避術自体が悪因となって将来クソでかい悪果を引き起こすかもしれないと気付き、たった今から震えが止まりません。寒いからです。言い訳が遅い。

 クソでか悪果に見舞われた際はTwitterでわかりやすく「ピエ~~~~」と泣き喚きますので、ぜひ慰めてもらえればと思います。
 怒り、怒られの関係についても言いたいことは無限にあるのですがそれについて言及するのは卑近な四字熟語を見つけたときにします。adieu。

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