【悪逆非道】【悪逆無道】を考える

【悪逆非道】あくぎゃくひどう
【悪逆無道】あくぎゃくむどう

 はなはだしく人の道からはずれた、とんでもない悪事。
(豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典 改訂第3版より引用)

 こんにちは、異羽です。
 今回ちょっとイレギュラーで、どちらも同様の意味ということで纏めます。
 どちらかというと非道の方が聞きますが、意味としては無道の方が芯を食ってるっぽい。後に生まれたのが非道かもしれません。わからん。

 注記によると「悪逆」ってのはガチ悪事の「八逆」のひとつ、肉親を殺そうと謀る罪らしいです。
 仮にも社会に身を置く存在なので、そんなことをしようとも思ったことはないのです。これまで書いてきた通り家族のことは大好きなので......。

 ただこれを拡大解釈して「そのレベルのヤベーこと」と考えるならば、小学生時代にスポットが当たるかと思います。
 その世代のあるあるとして、無邪気であることが挙げられますね。そしてその例としてよく言われるのが蛙に爆竹などですが、僕はそうではありませんでした。
 なにしろ当時の僕が触れた動物は犬と猫と兎と鶏ぐらいのもので、それ以外は道具を用いて間接的でないと泣き虫が発動するぐらいだったのです。
 そんな僕の悪逆非道ですが、被害者はザリガニでした。
 同級生のI君と、帰路の用水路にザリガニが群生していることを発見した僕らは、どうにかしてザリガニで遊ぼうとしました。その思考の繋がりは何故なのかわからん。
 とはいえ僕はもちろんI君もザリガニには触れないので、偶然持っていた傘に白羽の矢が立ちました。
 傘の石突でザリガニを追い詰め、上手い具合にザリガニが傘を抱きかかえる形になったら道に引き上げる。それをどうするかというと、車道に放るのです。
 そこで僕とI君は「あと何台の車が通り過ぎたらこのザリガニが轢かれるか」を競っていました。
 今思えばそんなことをする意味などは無く、しない方が絶対にいいことはわかるのですが、当時の僕からすればなんらかの回路を経た上でそれに楽しみを見出してしまっていたのです。

 死後閻魔さんに相見えるならば、確実にその罪を糾弾されることでしょうし、よしんば僕に蜘蛛の糸が降りてきたとしてもその時のザリガニ、ザリガニたちがその糸を切ることでしょう。

 いつのまにかそのザリガニ遊びに飽きた僕は、普通に帰るようになります。
 ザリガニから命の尊さや、遊び自体の無意味さなどを学ぶでもなく。大人になって気付くんですよ。
「あぁあれが無邪気ってやつだったのか」と。

 その時に生物の中身に興味を持ったら、多分色々と違う道が開けたのかもしれないですが、別の世界の僕の話なのでこの僕には無関係ですね。
 先ほど蜘蛛の糸を例えに出しましたが、僕は虫が完全に無理で蜘蛛を生きて帰したことがおよそないのできっと蜘蛛の糸すら降りてこないでしょう。
 地獄に行った際には、僕に恩を感じている何者かが何かを差し伸べてくれるのを待つだけの存在になるのでしょうか。

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