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音楽は人に何をもたらすか

作曲家、ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏家、音楽教室主宰者のマギです。
だいぶひさしぶりに、noteに記事を書かせていただきます。

教室が出来上がって以降、音楽ワークショップをふたたび教室内で行っています。
うれしいことに、大人になってから作曲をしてみたい、音楽に取り組みたいという方も何人か来てくださっています。

しかし、はたして。「音楽に何ができるのか?」という話がよく出てくることもあります。
なんなら、無力感を感じている音楽家もたくさん見てきました。

ここ最近、その話が自分なりにおちついてきつつあるので、少しずつ書いていこうかなと思っています。
以前は「役に立てる文脈を見つけなきゃ!」とか躍起になってましたが、そんな必要なんかなくって、私の中ではシンプルな答えにまとまりました。

音楽は役に立つ?立たない?

これについては、価値観によるところがあります。
しかし、史実から考えても、外せない話があると考えています。

大きくまとめれば「教養・メディアとしての役割」「内省・精神鍛錬としての役割」があるかと。
ちょっと出典などまで書いていけず、備忘録的なものになりますが、ひとまず。

教養・メディアとしての役割

wikipedia 「大名行列」より引用English: Daimyou gyouretu of Ushikuhan 日本語: 牛久藩大名行列(2) Date 昭和54年1月1日 Source 牛久町史 Author 茨城県牛久町教育委員会

昔話として伝わる歌の中には、「やってはいけないこと」「立ち入ってはいけない場所」を伝える教養としての歌があります。
たとえば「ずいずいずっころばし」。諸説ありますが、大名行列の前に出てはならないという話を伝えていたという説があります(茶壷=お茶壷道中)。

源平の世の後、武士のたしなみとしてうたわれてきた薩摩琵琶の音楽では、勇猛な武将の物語を語り継ぎ、奮い立たせる役割もあったように思います。
ほんとうにたくさんあります。扇の的(那須与一の話)とか。

西洋の吟遊詩人は、領民にメッセージを伝える役割を持っていました。
時には領主に有利になるような情報を喧伝する、情報操作をする人としての役割もあったとか。

現代では個人的なメッセージを伝える、共感を得るなど、多くの音楽をやっている人が感じるところだと思います。

内省・精神的な癒しの役割、内観・精神的成長のための役割


wikipedia「モンセラートの朱い本」より引用 English: "Mariam matrem virginem" from the Llibre Vermell de Montserrat, a collection of late medieval music.
Español: ""Mariam matrem virginem" en el folio 25r del Llibre Vermell de Montserrat.

西洋のバロック期・ルネサンス期の特権階級のもとで、教会音楽は発展を遂げてきました。
中世ヨーロッパではキリスト教の布教にともなって、どんな人でも歌えるようにと楽譜が開発され、もともと異教徒だった人にもわかりやすくするために宗教音楽の挿絵が進化したりと、布教に特化したものになりました。
その上で、ルネサンス期には多声音楽(メロディだけではなく、コードやハーモニーを持つ音楽)が発展し、メロディにいかにしてコードをつけるか、厳しい規定のもとで作曲方法が発展。バロック期には、心の動きを音にすべく、さまざまな試みがなされました。たとえば、不協和音をショックな歌詞にあてていくなど。

ルネサンスの作曲家のパレストリーナ。ただただ神聖で完全性のある和声のもと、作曲が行われています。
https://www.youtube.com/watch?v=0yd5EE0hAB8

ルネサンスからバロックへと移り変わる過渡期の音楽家、カッチーニの「美しきアマリッリ」では、完全な和声だけでなく感情そのものがのってきます。
https://www.youtube.com/watch?v=g21hYxQvgMs

バロック期の作曲家、ビーバーの「ロザリオのソナタ」。磔にされるキリストの曲。音が上ずるような変則チューニングに加えて、鞭打ちなどにあたる音が使われています。
https://www.youtube.com/watch?v=StaLigRmbAQ

西洋音楽一つとっても、すごい、きれい、かっこいい以外にも、感情を表すものが入ってくることで、次第に変化していくものです。
マンガや小説で感動したりするように、音楽で語られる話にも心を動かされることがあるかと思います。
なんとなくこの曲が好き、つい繰り返し聞いてしまう、など。

音楽を通して感情を追体験すること、語り継ぐことによる精神的な共感、宗教であれば結束感など、当時から今まで、存在しないとは言い切れない部分があると思います。

ほかには、農民が歌っていた田植え歌は、気分を奮い立たせて辛い年貢の取り立てや農作業を乗り切るための応援歌的な役割(悪口も兼ねていたものもあったはず)。
辛い気持ちを歌にした女工の歌なども、ある意味で自らを慰めるものであったかもしれません。当時を生きていないので察することしかできませんが…

ここからは、参考になる文献をうまくまとめられていないので、自分の中での理論になってしまいますが。
似たようなことは、私が子ども時代にお世話になっていたスズキメソードの創始者、鈴木鎮一先生も近いことを著書で書かれています。
https://amzn.to/42TyHLX

日本の武士や西洋の王族・聖職者など、特権階級のもとで発展した部分もある音楽。
ただただ政治をして経済的に発展すればよいというのであれば、音楽も芸術も誰も目を向けなかったはずです。

個人的には、現代でもこうした役割があると考えています。
感情を歌にそのまま載せるのが一番わかりやすい例ですが、そうでなくても、わざわざこういう音を選んで使った価値観、音楽ができあがったときに出来上がった起承転結やストーリーラインなど、その曲が出来上がるまでの心の動きは、たとえどんな人が作ったものであってもひとつひとつ、貴重な役割があると思っています。
それを、作曲者自身が振り返り、感じることは、自分自身の思考を客観視するものではないかな、と思っています。
演奏にしても、「ここでは緊張して昂りすぎた」「見せつけようとしてしまった」など、スポーツのプレイの失敗のように、精神的な反省点が多数出てくるものです。

作曲や音楽を学ぶことは、内観する力を鍛えることでもあり、自分自身を知ることにもつながるのではないかなと思っています。
音楽を通して自身の感情を見つめる力を養い、心を安定させることで、きつい状況をのりきったり、正しい判断につなげていったり。
特に、自分の内部での動きを見つめる力を養うことができれば、自分で考えの矛盾に気づいたり、ものごとに集中してやっていく力、適切なタイミングで休む判断など、現代の人の多くのことに役に立つはずです。
子どもだけではなく、大人にとっても大事な話。

現代では、この精神的な成長の役割は、決して無視できないものだと思います。
スキルだけあればやっていけるのであれば、うっかり良くないことに手を染めてしまうとか、精神的に揺らいで失脚するということがあり得ないということにもなりえます。

心も大事。

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