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第二章:Megatrend 2040「医療」

「Megatrend 2040」 シリーズでは、今後日本がどうなっていくのか?というテーマのもと、高齢化や労働力不足といった人口動態、量子コンピューティングや AI といった技術など、先行きが比較的予見可能なメガトレンドをベースに、9つの産業領域に関する未来洞察を行います。

Megatrend による9つの革新領域

第二章となる今回は、Megatrend における「医療」を考察していきます。

日本では少子高齢化に伴う医療制度の持続可能性の揺らぎや医療従事者の不足が浮き彫りになりつつあるなかで、バイオテクノロジーを中心とした医療の発達や人々の健康に対する意識変化がこれらの課題解決につながる可能性、社会に与える中長期の影響を探ります。

医療を取り巻く社会課題

医療制度の持続可能性の揺らぎ

テレビやネット等のメディアではよく「2025年問題」が話題となります。2025年問題とは、すべての団塊世代が後期高齢者(75歳以上)となり、国民の5人に1人が後期高齢者という超高齢化社会を迎えることで、医療、福祉などの社会にもたらす諸問題を指していて、現役世代が負担する税金や社会保険料の増加が見込まれています。

特に、現役世代の減少や総人口に占める現役世代の割合の低下により医療施設の利用者数や医療費は増加する一方、医療サービスの提供はより難しくなると予想されます。

また、追い打ちをかけるように問題となるのが「2040年問題」です。団塊の世代の子ども世代にあたる「団塊ジュニア世代」が2040年頃に65歳を迎える結果、現役世代がさらに減少することが予測されています。

内閣府によると、日本の総人口に対する高齢者(65歳以上)の人口割合は、2019年は28.4%だったのに対し、2065年には38.4%に上昇することが示されています。一方、生産年齢人口は1995年に8,716万人でピークを迎えていますが、その後減少に転じており、令和元年には7,507万人と、総人口の59.5%となっています。

総務省「人口推計」令和元年10月1日(確定値)『内閣府第1章 高齢化の状況(第1節 1)』より Magic Moment作成

また、全国の将来の出生、死亡及び国際人口移動に対しての仮定を設け、これらに基づいて日本の将来の人口規模並びに年齢構成等の人口構造の推移について推計した将来推計人口によると、2065年には以下の点において問題がより顕在化してきます。

  • 2065年には人口9,000万人を割り込む

  • 約2.6人に1人が65歳以上、約3.9人に1人が75歳以上

  • 現役世代1.3人で1人の65歳以上の者を支える社会の到来

少子高齢化により、社会を支える医療制度の収支のバランスが崩れつつあります。社会保障を支える現役世代の負担が重くなり、国民皆保険(病気やケガにあったときの高額な医療費の負担を軽減するため、原則的にすべての国民が公的医療保険に加入する)をはじめとする現行の医療制度の維持が難しくなっています。

医療従事者の不足及び医療従事者の高齢化

先述の少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少は、高齢者1人に対する医師や看護師などの医療従事者の減少も意味します。特に、日本において医療従事者の不足は他国に比べて問題となっています。

経済協力開発機構(OECD) が発表する「人口1,000人当たりの医師数」の直近のデータでは、日本は2018年の人口1,000人当たりの医師数において、OECD加盟38カ国中33位(2.5人)にランクされています。日本は1位のギリシャ(6.2人)、2位のオーストリア(5.3人)と比べて半分以下と医師が少なく、また OECD の平均値を大きく下回っていることが分かります。

2019年または至近年における人口1,000人当たり医師数『日医総研ワーキングペーパー 医療関連データの国際比較』より Magic Moment作成

また、OECD の同レポートでは、医師の高齢化率にも焦点を当てています。総医師数に占める65歳以上の医師数の割合は世界的に上昇していますが、なかでも日本の65歳以上の医師の割合は、2000年には17.2%、2018年には17.4%となっており、OECD加盟国内においても比較的医師の高齢化率が高いことが示されています。

今後も医師1人当たりの患者数が増加していくことを踏まえると、医療従事者の負荷を軽減しながら最適な医療を実現することが重要となってきます。しかし、次に述べるように医療従事者の負荷は依然として高いことが推測されます。

医療従事者の過重労働

2019年に実施された厚生労働省の調査によると、病院・常勤勤務医において男性医師の41%、女性医師の28%の1週間の労働時間が60時間以上に及ぶことが分かっています(労働基準法では週40時間以内)。

また、男性医師の9%、女性医師の6%に至っては1週間の労働時間が80時間以上に及ぶということです。さらに詳細を見てみると、性別・年代ごとの病院・常勤勤務医の週当たりの平均勤務時間は減少傾向にはあるものの、20代や30代の比較的若い医師の勤務時間が長くなっていることが分かります。

性別・年代ごとの病院・常勤勤務医の週当たりの平均勤務時間『厚生労働省 医師の勤務実態について』より Magic Moment作成

医療従事者の過重労働が改善しなければ、医療従事者の健康状態が悪化し、医療の質を確保することが難しくなるため、負担を軽減するための対策が必要になってきます。

また、今後の医師の確保を鑑みると、医師の労働環境の改善に対してさらなる取り組みが求められていると推測できます。

社会課題の解決に向けた先端医療の発展・社会の変化

バイオテクノロジー・デジタル医療の発展

異種の細胞を融合する「細胞融合」や DNA を物理的に細胞へ導入する遺伝子改変技術(遺伝子組み換え)を応用したバイオサイエンス、バイオテクノロジーの研究開発が急速に進んでいます。

皆様の知るところでは、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授が作成に成功した、細胞を培養して人工的に作られた多能性の幹細胞である「iPS細胞」などの再生医療や酵素の「はさみ」を使ってゲノムを構成する DNA を切断し、遺伝子を書き換える「ゲノム編集」が挙げられます。

昨年(2023年)の6月にはこれらの技術を応用して、公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団(iPS財団)が HLAゲノム編集技術による「臨床用HLAゲノム編集iPS細胞ストック」の提供を始めています。

HLAゲノム編集iPS細胞は、体から異物だと認識されやすい部分をなくし、拒絶反応が起きにくい工夫をしています。よって、1人のホモ接合体ドナーでカバーできる範囲よりも広くなり、自分の細胞を用いるよりも時間とコストを抑えることが期待されています。

HLAゲノム編集iPS細胞ストックのコロニー(細胞の集合体)(出典:公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団)

体の一部を新しい細胞や組織で修復する再生医療やがん治療・遺伝子疾患治療に応用されるゲノム編集などの技術によって新たな治療が生まれたことで、これまで根本的な治療法がなかった疾患領域においても治療の選択肢が増加しています。

また、AI やハイパースペクトルカメラによる画像診断の精度向上、遠隔診療によるアクセス改善、ヘルスケアデータを利用した予防医療など、デジタル医療の導入が進んでいます。

2023年には韓国の漢陽大学で、詰まりを起こした血管の治療をより簡易的に行うため、血管内を移動できる小型のロボットを用いて造影剤を投入するという方法が開発されており、その概念実証に成功したことが明らかになりました。脳卒中や心筋梗塞、末梢動脈疾患などの血管が詰まることによって起こる、外科医が手作業で行うことが難しかった治療を先端医療で解決するという事例が出てきています。

医療ニーズの多様化とヘルス&ウェルネスへの関心の高まり

先述のバイオサイエンスやバイオテクノロジーの進展により、細胞治療・遺伝子治療を筆頭に新たな治療法が生まれたことで、これまでは根本的な治療法がなかった癌をはじめとする疾患領域の一部において治療の選択肢が増えてきています。

この発展のプロセスにおいて、病気が「生命を脅かしている存在」だったものから日常生活の中で「長期的に付き合っていく」ものへと変化していくことが予想されます。患者が医療に求めるゴールも重厚な医学的介入や延命だけではなく、「副作用を避けつつ症状を緩和する」「できるだけ在宅で生活を続ける」「家族の介護負担を低減する」など多様化していくでしょう。

また、身体だけではなく心や精神を含めて健康的であろうとするヘルス&ウェルネスへの関心が高まっています。健康推進・生活習慣病予防を目的とした禁煙施策やバランスの良い食生活、適度な運動を心掛けた改善プログラムなど、健康寿命を延ばすための取り組みが公的保険外のサービスとして提供されるようになっています。

健康寿命を伸ばすことで高齢者の医療費を抑える効果も期待できます。これまで中心だった「対症療法」から「予防療法」が注目を集めていることもその1つだと考えられます。

未来に起こりうる可能性

集中投資によるイノベーション速度の加速

日本は平均寿命が高く、他の先進国に比べて早く超高齢化社会を迎えます。これらの背景からイノベーションによる施策の加速化も見込まれています。特に、経済への効果を試算し、必要とされている領域に資金を再配分することで集中的に研究開発を促進させていく潮流は、社会全体の健康を底上げし、GDP を押し上げる効果も期待できます。

実際、McKinsey & Company による書籍「マッキンゼー ネクスト: アフターコロナの勝者の条件」によると、「生産性の向上」「社会参画の拡大」「疾病の減少」「若年死亡者の減少」の4つのチャネルで健康が GDP に与える影響を定量化することが可能であるとしています。

健康の経済的なインパクト『マッキンゼー ネクスト: アフターコロナの勝者の条件』『Institute for Health Metrics and Evaluation』より Magic Moment 作成

このイノベーションの加速に向けて、国は官民連携による科学技術・イノベーションを推進しています。内閣官房が発表している「新しい資本主義の グランドデザイン及び実行計画 2023改訂版」では、健康や医療の領域において以下の3つのイノベーションの推進を掲げています。

  • 認知症等の脳神経疾患の発症・進行抑制・治療法の開発

  • ゲノム創薬をはじめとする次世代創薬の推進

  • 再生医療

ヘルスケア産業の拡大に伴うヘルスケアデータの活用促進

健康を保持・増進するために必要な「食」「運動」「睡眠」「民間保険」などのヘルスケア産業の成長及びサービスの開発・提供に伴いヘルスケアデータの活用が今後益々期待されます。

経済産業省が公開している資料「令和2年度商取引・サービス環境の適正化に係る事業 (ヘルスケアイノベーション環境整備支援事業)」によると、ヘルスケア産業の市場規模は2019年の24兆300億円から2030年には31兆700億円と約1.3倍にまで成長すると予測されています。特に、ヘルスケア関連アプリ/サービスの提供やフィットネスクラブ、高齢者向けの食事宅配サービスなどが大きく成長すると見込まれています。

また同報告書によると、公的保険に含まれない個人が利用するデジタルヘルス産業の市場規模は、2019年の2,449億円から2030年には1兆733億円に拡大すると見込まれていて、より大きな成長が期待できます。特に注目を浴びている分野が、「健康データ測定デバイス」や「健康データ関連アプリ/PHR」などです。ここにも先述した健康志向の高まりが読み取れます。

健康志向の高まりによって運動量や心拍数・消費カロリーなど身体に関するデータを確認・管理できる Apple Watch や Fitbit に代表されるウェアラブルデバイスが一般化してきていることもその1つだと考えられます。

健康管理スマートウォッチ FitBit versa 4(出典:Google FitBit)

この社会の健康意識の高まりと対応するサービスの提供を皮切りに、データを活用したヘルスケアへの注目が高まっていくことが予想できます。企業や自治体、団体は多様な健康データを個人の予防医療や生活習慣の見直しに役立て、生活習慣病や精神疾患などの事前予防に活用するなど、データをどのように統合/活用してヘルスケアやウェルビーイングに繋げていくかが問われています。

データを活用した医療に関して、中国では蓄積した診療データと AI を活用したオンライン診断サービス「微医(WeDoctor)」が広く普及し、オンラインで健康相談や問診を受けられるようになっています。また、地方で専門的な診断や治療ができる医師の数が不足する中で、自治体と提携し農村部で定期的に移動診療や健康診断を行い、そこで収集したデータを解析して AI による事前診断に活用する先進事例も出ています。

今後は、日本でも患者タイプや症状、そこから導かれた疾患名について何億件もの情報を集約・分析することによって最適な治療へと繋げていくことや、「かかる医療」から「積極的な健康管理」に発想の軸足を置いた製品やサービスが登場することが期待されます。

バリューベース・ヘルスケアへの転換及びシステムの構築

医療のデジタル化・健康志向の高まりによりヘルスケアデータの活用が促進され、加速度的に健康・医療データが蓄積されることで、データに基づいて医療が患者にもたらす価値を定量化できるようになると考えられます。

よって、患者が自分にとってベストな病院や医療サービスを選べるようになったり、医療関係者及び医療機関、保険者が医療の効果を最大化し、コストを適正化できるようになっていきます。

患者・医療従事者またその関係者の多方面にとって最適化された医療『バリューベース・ヘルスケアによる医療の変革 野村総合研究所』より Magic Moment作成

「バリューベース・ヘルスケア」においては医療の効果1つとっても、疾患の診断精度や疾患の完治の程度など疾患そのものに対する医療従事者視点の客観的な改善度合いのみではなく、診察に対する満足度や生活の質などの患者の主観的な度合いなど、多くのデータを含むため、ヘルスケアシステムの構築そのものが重要になります。

これを早くから実践しているのがスウェーデンです。スウェーデンは1970年代から国を上げて疾患データベースを構築し、疾患ごとに患者情報、診断プロセス、アウトカムなどのデータを収集していて、現在は22の疾患に対して患者数の85%をカバーできています。

また、NRI のレポートによると、テキサス大学の MD Anderson Cancer Center では、前立腺がんの主要な治療法である「放射線治療」「ロボット切除術」「陽子線治療」における医療従事者、ケアサービス事業者、患者からの医療データを分析、研究を行いました。結果、陽子線治療が治療後の生活上の機能の保存状態において良好である点、また患者がこの項目への満足度が高いことを特定するなどしています。

バリューベースの医療/プログラムの実現を掲げる研究所(出典:THE UNIVERSITY OF TEXAS MD Anderson Cancer Center: Institute for Cancer Care Innovation)

こうした事例の根幹には、バリューベースのヘルスケアシステムがあると考えられます。バリューベースのヘルスケアシステムの再設計が進めば、指標が低いと指摘された医療機関は他の施設のベストプラクティスを学べます。一方で、評価の高い病院では複数の病院から専門分野に特化した人材を集め、知見やノウハウの継承を通じた医療の高度化・医療の質の底上げが促進される可能性があります。

バリューベース・ヘルスケアのモデルを今後導入していくための重要なファクターに関しては多くの研究があります。アメリカ国立医学図書館(NLM)のデータベースによると、4つのデータベース内の直近10年間(2013年-2023年)の3,000件近くの論文から基準を満たす12件の研究を対象にしたレビューにおいて、バリューベース・ヘルスケアの導入・推進のための4つの要素が挙げられています。

  • 患者の視点を含むリーダーシップの存在

  • 統合的な治療ユニットにおけるケアの組織化

  • 治療的介入/危険因子/予後因子などの予測因子による結果(転帰)の測定の標準化及びデータへのアクセシビリティの向上

  • 時間及び人的資本の十分なリソースの確保

特に、バリューベースのヘルスケアシステムの根幹となるデータにおいては、臨床試験における患者自らの主観的評価や症状の訴え及び健康状態を知らせるプラットフォームの構築や ITシステム内のデータの検索を可能にする ITツール、1次ソースからの情報の体系的な記録を可能にする ITシステム、測定された結果のマッピングにおける統計的手法の獲得機会などを挙げています。

加えてバリューベースのヘルスケアシステムの構築に向けては、バリューベース・ヘルスケア推進チームに患者が関与すること、またサイロ化した専門部門による医療システムで生じる患者の経過観察のハードルなどを組織的に乗り越えていく必要があります。

次回

今回は「医療」をテーマに、医療における社会課題からバイオテクノロジーを中心とした直近の先端医療の発展、また今後医療において重要性を増すデータ活用及びバリューベース・ヘルスケアシステムを解説しました。

医療制度並びに医療従事者不足の課題感やバイオテクノロジーの進化、個々人における医療ニーズの多様化、健康志向の高まりに対して、ヘルスケアデータを活用することでどのように医療の質・効率性の改善につなげていくかが問われています。

次回は「サステナビリティ・環境」を考察していきます。気候変動や地球温暖化が引き起こす環境被害が浮き彫りになりつつあるなかで、Co2排出権のコスト化やサステナビリティレポートの公開をはじめとする公的な取り組みがこれらの課題解決につながる可能性、社会に与える中長期の影響を探ります。