Beyond Robotic Biology - あらゆるものが循環する世界 -
これは今から10年、20年ほどの間に、世の中はこのようになるだろうという至極勝手な個人的見通しの一端である。「書く」ことが実現に至る重要なファクターとなる時代、ある程度言語化できるくらいに輪郭を持ち始めた未来予想図をここに置いておく。様々な情報や技術により世界の複雑さが可視化され、VUCAな時代と称される現代において、これをニーズと取るか、シーズとするか、企業戦略や研究課題創出の一助となれば嬉しく思う。
Introduction
これまでの20年ほどの間、世の中の移り変わりや話題、社会の構造や国際情勢、そして結局人は何に興味を示すのだろうかといった色々を何歩か引いて眺めながら、興味の赴くままにいくつかの研究分野に関わってきた中で、世の中の潮流として以下の2つを感じてきた。
細分化して取り組んできたことが統合され、複雑なことに挑戦し始めた
複雑なものを複雑なまま眺めると、普遍性が浮き彫りになってくる
1は異分野融合による研究領域の拡張や新領域の創出、2は例えば数学的解析手法を用いつつ生命とは何かを哲学するようなものだろうか。
これらを織り交ぜつつ、技術革新を持って古来からの謎に立ち向かうことは、いわば超大陸パンゲアを目指すようなものかも知れない。
それらは全てであり、元々一つだったものだ。
実験室における不都合な真実
実験室が大量の産業廃棄物の発生場であることは知る人ぞ知る事実である。
論文一報あたりの廃棄物量は一体どれほどのものだろう。
廃水、廃液、廃土、廃培地、針、メス、実験生物、空容器、こぼれた薬品を拭いた紙、観察済みの色々が付着したプレパラート、使用期限切れの薬品といった実験由来の廃棄物のほか、実験機器の消耗品パーツや安全キャビネットのフィルターなどの実験室設備由来の廃棄物まで多種多様なモノが消費され、仕方なく廃棄されている。
実際にはその “仕方ない” を隠れ蓑に無駄遣いされるケースもゼロではないだろう。それが人間の仕方のなさでもあるのだから。
特にバイオ系研究室では多種多様なプラスチック系消耗品を驚くほど大量に使い捨てる傾向にある。もちろん培地も実験生物も使い捨てだ。恐らく最も「使い捨てカルチャー」が定着した研究分野だと言っていい。
ラボラトリー・オートメーションの潮流
近年はバイオ系実験室における作業も自動化されつつある。
主に分注技術が先導する形で、今や腕を持つロボットが人間用の実験機器を使って実験室に立つ時代になった。勿論まだまだ人が担う部分はあるし、人間にしか成し得ないこともあるだろう。
しかしながら今回はワークではなく、オートメーションの対象として実験室における「物質循環」に注目する。
日本人の美学
ロボティック・バイオロジーが盛んになると共に実験系消耗品類の消費速度は爆発的に加速し、そのインプット/アウトプットはこれまで以上にヒトの意識の外側へ埋没してゆくだろう。
これは想像でも推測でもなく、研究内容に関する議論の比重を上げるために繰り返し作業や些末な作業を手放すのだから当然の行き着く先だが、使い捨てありきのシステムのままでは、資源の枯渇と共にロボティック・バイオロジーの短い栄枯盛衰を目の当たりにすることは避けられない。
儚さを美学とする日本人とて、これを容認できるだろうか。
超文明の末路
超文明が歴史的に繰り返してきた「短命」という末路をラボラトリー・オートメーションの潮流が辿らぬよう、むしろミニマムな社会モデル形成をも見据えて、システマティックに洗練する絶好の機会である捉えたい。
見立ての生物学
「生き物」から学んで技術を生み出したり、アナロジカルに解釈して「生き物」を理解する。それは人間特有の面白い思考プロセスである。
ex)
・生物模倣『生き物の機構を真似た技術革新』
・細胞建築学『建築家のいない建築の構造力学』
・細胞内マイクロ建築学『細胞という小さな社会のインフラ分子設計』
・人工知能『人間の脳内ネットワーク再現』
・ロボット工学『人間とは何かを考え抜く』
であれば、実験室という「生態系」の中で生きるAI-Robot体系を創造することはできないだろうか。
生命システムと生態システム
生き物は生命を維持しながら、自己を複製する機能を持っている。周辺環境と自身を構成する物質を組み合わせ利活用することでその機能を多様化し、あらゆることに対応する方策を編み出してきた。
一次代謝:最低限の生命機能の維持
二次代謝:種特有の多様性:色、香り、旨味、毒(紙一重で薬)
オートファジー:不要となった物質のリサイクル機構
生物間相互作用:物質の受け渡しによる共生
個体は群となり、異種が関わり合うことで生態系という動的な安定を保っている。その構成要素は生物的要素(動物、植物、微生物)と反応場要素(水、大気、土)に大別される。
バイオロジーの世界も他の研究分野と同様にこれらを切り分け、扱いやすく解釈しやすい構成で領域を区切って研究がなされてきた。ならば各研究領域で重ねられてきた知見や技術を統合することも、原理的には可能だろう。
Emissions Dynamic Order: EDO構想
日本は元来、科学や技術をよりよく生きるための術というだけでなくカルチャーとしても養ってきた国である。特に江戸時代の鎖国下において限られた資源で都市生活を成立させていた資源循環の技術大国であることは有名で、あらゆるものを大切に扱ってきたマインドが八百万の神やアニミズム、そしてMOTTAINAIという感性に繋がっている。
何より江戸時代を生きた人々には廃棄物という概念がなかった。
あらゆるモノを資源として、とことんリユース・リサイクルする様は日常風景の一部であり、修繕スキルやカスケード利用の知識は庶民の生活を豊かにするだけでなく衣食住を楽しむ風習としてのカルチャーを形成した。
生きることに忙しい都市生活の活気を描いたエモーショナルな浮世絵がジャポニスムとして西洋文化に衝撃を与え、日本の存在を世界に知らしめたことも史実として有名である。“見立てのカルチャー” もまた、浮世絵の大胆な構図と共に流行した知的な趣向の一技術である。
超リサイクル社会
ゆくゆく自動化技術はプラント技術と融合し、資源循環の分野でも大いに活躍するだろう。自律的な都市機能システムへと進化を果たす可能性も大いにある。
そのモデルケースとして実験室というクローズな場を生態系に見立て、ミニマムかつ合理的な循環系の構築を思索し挑戦することは、日本の技術を高度に結晶化するミッションと成り得るのではないだろうか。
必要性と無益性の境界
化学の分野では必要十分の材料で合成する計算化学(グリーンケミストリー)の概念も採用されてきたが、複雑な生物を対象とするバイオロジーにおいては研究の本質ではないこともあり、過剰設定の実験プロトコルが文化的に繰り返されているという側面がある。
これに対するアプローチとして、以下の2種類が挙げられる。
実験プロトコルを最適化する
現状のプロトコルを他の実験と組み合わせてバランスをとる(相殺する)
プラスチック
そしてプラスチック系の消耗品は、まず本当に必要なのかを見直す必要があるだろう。人間の作業効率上の観点で使い捨てられてきたものが、自動化システムにとっても真に有意義なのか、思考停止させることなく考え抜くことも必要だろう。
建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが遺した”Less is More” の美学は、自然界において多様性を展開する生物の構造とその生命システムの中に垣間見られる真理でもある。複雑さが内包する普遍性と最低限の要素を見出すことで、自ずと美しく洗練されたシステムが生み出される。
それが機能美として讃えられるものだ。
自己組織化するラボ・オートマタの概念設計
バイオロジー研究は多岐に渡るが、ここでは自動化が進む「細胞培養」に注目する。
1. Medium Regeneration - 培地を再生する
培養中に栄養不足が生じると実験が成立しないので、培地の栄養条件は当然ながら過剰量が基本設定となる
そのため使用後の細胞培養培地には、糖をはじめ栄養成分が残る。ただし動物細胞を培養した培地には、代謝の結果不要物として排出した窒素NやリンPが蓄積しているため、これを再び動物細胞の培養に使用することはできない。よって棄てられる。
けれど視点を変えれば、その窒素NやリンPが、植物や藻にとっては栄養素になるため、動物細胞を培養した後の廃培地に消費された栄養素を追加して調整し、植物や藻を培養すればいい。
混ざり合い溶け合うものから選択的に取り除くのは骨が折れるが、追加するだけなら実に単純である。しかも植物や藻に窒素NやリンPを消費させる、つまり浄化させることで、もう一度動物細胞の培養に使えるようにすることも可能かも知れない。
動物細胞培養と植物細胞培養を融合することで、新規に用意する培地量は低減され、廃棄培地は実質ゼロとなる。
2. Microbial Fuel Cell - 微生物燃料電池で廃液を浄化する
当然ながら、細胞を培養すると死細胞や余剰の細胞が廃棄されることになる。さらには細胞固定に使用したホルムアルデヒドのような有害物質も使用後廃棄される。
有機物を含む一般的な水処理方法として、活性汚泥(微生物叢)による分解が挙げられるが、微生物の生存に必要な空気を送り込む曝気という処理に相応の電力を消費する。
そこで最近は微生物燃料電池(Microbial Fuel Cell; MCF)という技術が注目されている。これは担体に微生物を固定して有機物を分解させると共に、微生物が水中で排出するイオンを回収するという水処理と発電を融合した画期的な新技術である。
3. Electricity and Water Sourse - 電力と水
一般に実験室では電力や水は外部から供給されるが、前述のように廃液を処理してアウトプットされた電力や水は実験室内で利用できる。そして電力を供給されたロボットやAI、計算機が、Medium Regeneration(培地再生)を担う。
使用後の培地組成は毎度異なるため、都度、残留成分を計測し、追加栄養素を計算し、各種物質の添加作業を行う必要があるが、人間にとって変動する数値と単純な繰り返し作業の組み合わせは混乱やヒューマンエラーの種であり、実験作業中にそれが怒りや絶望の火種となることはそう珍しくもない。
つまりその部分が自動化されると人間の負担が減り、データの解釈や議論にエネルギーの比重を置くことができるため、研究がとても楽しくなる。
一言で言えば、「自動化するととっても有意義」である。
4. Microbial Culture - 新たな培養系の創出
微生物燃料電池(MCF)によって生み出された処理水は、洗浄に使用したり精製することで新たな培養系を立ち上げることも可能だろう。これまでの系でアウトプットされた酸素や二酸化炭素も、培養に使用することができる。
例えば微生物培養系で腸内細菌を培養して動物細胞培養系で作ったヒト腸内細胞と組み合わせ、腸内細菌とヒト腸内細胞を細胞を共培養することで、近年注目を集めている人間の中の生態系と健康について考える分野へもアプローチが可能となる。
5. Circulation Laboratory - 永久機関を夢見る生物学的機械
これまで個々に分割され洗練されてきた研究分野や技術を繋ぎ合わせることは、言うほど簡単ではないだろうけれど、これらは元はと言えば地球という環境の中で循環が成立しているシステムでもある。
そのように捉えれば「繋がる」ことは原理的に可能である。
そしてこれまで分断されてきた研究が一つの場で繰り広げられることで、シームレスかつ多角的に眺める研究領域を新たに創出することも可能ではないだろうか。
Across the Pluriverse
ここで取り上げた技術は、個々にはすでに実用化されていたり研究され始めている。けれどそれをさらに統合的に融合していくには、幾つもの山を乗り越える必要があるだろう。
これは予測ではなく単なる理想かも知れないけれど、自己組織化するラボ・オートマタは権威のある誰かに先導されるのではなく、かつて太古の海でなされた生命誕生のような、ドラマチックなストーリーによって生まれることを期待する。
其処此処で「単なる興味」が寄り集まって分子になる。親和性によってさらに集まり内と外を隔てる膜となる。その中で大小様々な物質が考案され、やがて一定の機能が定着して一個の生命となる。アナロジカルに捉えると、人という粒子もまた「生命」を生み出す膜と成り得るのではないだろうか。
爆発的に増加した人口、複雑化する社会、個の時代。
ただそれだけのことであれば、エネルギーは散逸的に霧散する。
けれどそこに「目的」という制限事項を投入することで、人類は自己組織化を始め、新たに集約的生命機能を生み出すかも知れない。カオス論的に眺めると、どのような仕組みが生み出されるかは、その初期段階が要である。
どのような人が集まり、何から始めるか
何を見て、どのようなベクトルを持つか
どのような相互作用で、如何なる熱を生むか
地球という反応場に増殖した人間が持つほぼ限界のエントロピーが、霧散一歩手前の現代だからこそ成し得ることもあるだろう。
時は、すでに満ちている。
initial draft 2024.09.20
rewrite 2024.09.25
change 2024.10.2. :Top画像の変更