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世界で一番、着陸が難しい空港|Buthan

スワンナプーム空港で待ち受けていたのは白い雷竜だった。
手に玉を握りしめ、硬い鱗に覆われた肢体をうねらせて、飛び立つその時を今か今かと待っている。幸せの国へと誘うこの白い雷竜は、一体どんな空を魅せてくれるのだろう。


Druk Yulドゥック・ユル|雷竜の国

日本人がJapanジャパンを『日本日出ずる国)』と呼ぶように、ブータン王国の人々も自国Bhutanブータンを『ドゥック・ユル雷竜の国)』と呼ぶ。

ブータン唯一の国営航空会社Druk Air(ロイヤルブータン航空)の尾翼には迫力のある雷竜をあしらった国旗が描かれている。

Druk Air(ロイヤルブータン航空)|Bhutan - Palo|2016

日本からブータンへの直行便はなく、アジア間のいくつか就航路線のうち、タイで乗り換えてインドのコルカタを経由するルートをとった。スワンナプーム空港からブータンのパロ空港まで、コルカタでのトランジットを含めておよそ4時間半。

外国人旅行者にとってのブータンへの空の玄関口は、世界で一番着陸が難しいと言われているパロ空港だ。

パロ空港

パロ空港のたった1本の滑走路と小さな建屋は、四方を山に囲まれた狭い谷間に埋め込まれている。この地形と空間的な制約に加え、パロ空港には管制施設が存在しない。明るい時間帯のみ飛行となるため、この地でパイロットの神業を繰り出すためには恐らく猛禽類のような視力が必要だろう。

ヒトは、中心窩に1平方mm当たり約20万個の視細胞を持っているのですが、イヌワシはおおよそ7.5倍の約150万個の視細胞を持つといわれています。また、この網膜の感度の高さに加えて、イヌワシは同時に2つのものをはっきりと見ることができます。ヒトは視線が一点に集中すると、それ以外の周りが見えにくくなってしまいますが、イヌワシは前を見て飛んでいるにもかかわらず、地上の小動物を見ることができるのです。

引用:イヌワシの目の仕組み・不思議:1,000m離れた獲物を見つけて捉える視力の良さ
|参天製薬

飛行中、視界の近景と超遠景をスケーラブルに捉え、超高速でピントを調整する。それができれば、精度の良い着陸が実現するのではないだろうか。

世界一〇〇な空港

しかし「世界一〇〇な」とか「日本一〇〇な」という形式の似たような評価を受けている空港は他にも存在する。

日本一空が混み合う空港:福岡空港

出典:空港についてどれくらい知ってる?|ホームメイト・リサーチ

日本一着陸が難しい空港:松本空港

出典:「日本一着陸が難しい」松本空港、新空路開拓に注力|日本経済新聞

世界一小さい空港:ファンチョ・E・ヨラウスクィン飛行場

出典:空港の広さの基準/ホームメイト|空港・飛行場

世界一危険な空港:テンジン・ヒラリー空港

出典:「世界一危険な空港」なぜそこまで危険? 圧巻の操縦席からの景色 ...|のりものニュース

ならば「パロ空港に着陸できるパイロットは世界の如何なる空港にも着陸できる」とブータンが自負する、その背景が気になるところだ。


雷竜の腹の中にて

さて、ツナとマッシュルームのパスタを滞りなく腹に詰め、食後の珈琲を受け取ったところで、我々を腹に詰めた雷竜が激しく身震いした。カップの縁をぐるりと走った珈琲は際どくも事なきを得たが、どうやら随分と気流が乱れているらしい。

ブータンどころか、まだ経由地のコルカタにすら至っていないのに、この有様だ。一体この先どうなってしまうのだろう。

乱気流を駆け抜ける雷竜

客席の間をCA達が慌てて退散していって間もなく臨戦体制に入った。
志半ばで取り残された食後のトレーを前にして、座席に張り付けとなった身体は落ちてゆく中で存分に浮遊感を味わっていた。リアルに急降下する雷龍の中では身体を支える座席も壁も床もそのすべての存在が無意味であった。

インド北部の険しくも気高いヒマラヤ山脈から洗礼の風でも吹いているのだろうか。我らを孕んだ白い雷竜はうねりをあげて乱気流の中を突き進んだ。

空の路で雷竜の国Druk Yulへ至ることができるのは、この白い雷竜Druk Airだけである。

パイロットでも乗務員でもない我々は、ただしがみついて祈るばかりである。気づいた時にはコルカタに居た。しばしのトランジットの時間を経て、再び飛び立つことになる。

着陸態勢

コルカタからの離陸は実にスムーズで、その後は特に気流の乱れもなく白い雷竜の乗り心地は快適そのものだった。

いよいよ着陸態勢に入るのを前にして、緑豊かな集落が眼下に広がった。なんとなくむき出しの乾燥した褐色の光景を勝手に想像していたが、山に囲まれたこの土地は、非常に水に恵まれた印象を受ける。

眼下に広がる緑豊かな集落|Bhutan|2016

雷竜が旋回する最中、窓の向こうで羽根板の角度が微調整されている。再びの浮遊感と共にぐんぐんと滑走路へ向かって滑り込む。そしてそのまま着陸……することはなく、再び空へと飛び上がった。

着陸に成功するまで何度もトライするのだろう。
小さな竜体に積載可能な燃料には限りがあるから、コルカタでのトランジットの間に補給していたのかもしれない。

幾度となく竜に乗っている人にとっては、このようなことは珍しくないのだろうか。少なくとも私はこれが初めての経験だった。

高度を上げて旋回する竜体が再び美しい緑の集落の姿を見せてくれた。国旗が刻まれた羽根が空を切り、仕込まれた板の角度は繰り返し微調整される。

着陸態勢take2|Bhutan|2016

腕の良いパイロットだったのか、この時は2度目のトライで無事に着陸できた。普段は着陸後の周囲の雰囲気の変化で目覚めるまで眠っていることの多い私も、この着陸劇の臨場感はしかと記憶に刻み込まれた。

この時の私の脳内は、大きなモニターを前にしてロケットの打ち上げを固唾をのんで見守っていた皆で成功の瞬間に大歓声をあげて喜びあっている、という風な非常におめでたい状態だった。

現実にはアドレナリンが駆け巡るのを感じながら両手を固めに握りしめ、涼しい顔でベルト着用サインが消えるのを待っていただけだったけれど。

いよいよ白い雷竜から降り立ち、久しぶりに地上を踏みしめた。

降機直後の地上と空の様子|パロ空港|Bhutan|2016

端から端まで少しの時間で行って帰ってこれるほどのたった一つの滑走路周辺で、誰もが周囲の環境に目を見張っている。そして空が近い。まるで雲の中にある雷竜の住処に降り立ったかのようである。

滑走路のすぐそばまで迫る山々|Bhutan|2016

こんなにも滑走路のあちこちを自由に歩き回って良いものかというくらい、誰もが其処此処を彷徨うろついて、滑走路が本当に谷間にあることを体感した。

パロ空港の滑走路パノラマ|Bhutan|2016

距離、角度、速度、風向、風力……
ただでさえ様々な要因が絡む上、地域特有の空気の質や雷雨の可能性まで孕んでいる。おまけに平面的に狭いだけではない。

谷間に在るパロ空港と周辺の山|Bhutan|2016

谷間であるということは、空間に満たされた空気が竜の侵入によって押し除け流され、それによって新たに生じる乱れた風をも身に受けることとなる。

このパロ空港に着陸できる資格をもつパイロットは、世界に8人(4人とも)しかいないと言われているが、そのほとんどがブータン国営のドゥルク航空(DRUK AIR)に在籍しているそうで、そのためパロに就航している国際線の航空会社はこの1社のみ。
東日本大震災後に夫婦で来日して話題になった王妃の父親も、もとはドゥルク航空のパイロットだったとか。

引用:"世界最難関の空港は?"|スワンインターナショナル
Druk Air(ロイヤルブータン航空)|Bhutn|2016

四方を山に囲まれた唯一の滑走路と一仕事終えて佇む雷竜の姿は、ブータンの地を初めて踏んだ者の心を魅了して、中々放そうとはしなかった。

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