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ふと思い出した予備校時代

おはようございます。
2月26日 AM6:43です。

都内はまた暖かい朝になりました。
友人の誘いで隣駅のカフェにきています。

僕より先に若い男の子が一人、勉強していた。
あとから店主と話す機会があったのだが、その際に彼のことを我が子のように紹介してくれた。

現在大学4年生。誰もが知るキラキラの超エリート私大に在籍中。
毎朝6時に来て勉強しているという。

彼が目指すのはパイロット。
航空大学校の入学試験の勉強を日々やっているとのことだった。
文系(たしか法学部だったかな)に在籍しているとのことだが、パイロットを目指すには物理などの理系科目も当然必要らしい。
トップ大学と先に聞いちゃうと大変さがスッと入ってこないけど、、、笑
それでも猛者どもの戦いだろう、そりゃ大変だ。


我が受験戦争の入り口

予備校時代を思い出す。
僕は高校3年間、まるっと彼女にうつつを抜かしていたため、成績は散々なもので、受け入れてくれる大学はなかった。
高校2年になる前に担任から「バスケか受験勉強か選べ」と言われ、サッとバスケを捨てて、もっと全力で彼女にうつつを抜かし、ストレートで浪人した。

ちなみに彼女はブラスバンドで毎年のように全国大会へ出場し、3年間部活をやり抜いたのち、公立大にも受かった。文武両道。僕のうつつ抜かしの相手をしながら。
すごい人だ。当然、今は隣にいるはずはない。

努力生活

そんなあんぽんたんな僕も、予備校時代は一生懸命だった。
自分で言うくらいだから、本当にそうだった。
毎朝開門の7時前には到着して、開門まで外の階段に腰掛けて参考書を読み進める。
夜は自習室の閉まる22時過ぎまでギッチギチに取り組んだ。

僕より優秀なクラスの連中も頑張る姿に触発されて、それに負けないようにと自然と努力することができた。
「努力は実る」をスローガンに掲げるだけはある。
「北九州予備校」という予備校なのだが、朝から晩までの授業と、大量の宿題から「監獄」と言われ、受験を制すことは通称 ”だっぽく”と呼ばれていた。

屈強な仲間たちの中でも、僕はかなり自分を追い込んでやっていた方だと思う。
それでも、明らかに自分よりやってんな、と思う女の子がいた。
同じクラスのハラグーさん(と呼ぶ)だ。

3ヶ月に一回くらい模擬試験がある。
広い会場でみんな一斉に受け、昼休みくらいはクラスに戻って食べながら息を抜くものだ。
勇者である僕もそうしていた。

忘れ物をしてガラガラの試験会場に戻った時、ハラグーさんがいた。
先生をつかまえては質問攻めにしていた。
あの時見えて赤本の「東京大学」という文字はめちゃくちゃにカッコよかった。

受験後

予備校というものはなかなかにカラッとしたものである。
センター試験を終えたあとは、私大狙いの子たちは先に戦いを終え、徐々に閑散としてくる。
周りの「合格」の声に押しつぶされないよう、自習室から足が遠のく子も多かったのだと思う。
気心が知れた友人にも、合否なんてなかなか聞けるものではない。
徐々に孤独になっていく。ならざるを得ない。

しばらくすると、合格が決まった学生の報告を受けた予備校は、ロビーに大学名と氏名が書かれた札を所狭しと貼っていく。
クラスメイトたちの功績が壁を華やげていく。

ハラグーさんの名前も。
「東京大学」を無事に手にしていた。
彼女の努力が実って本当によかったと思ったのを覚えている。

センター試験で第一志望は諦めざるを得なかった僕も、一応そこに名を連ねることができた。
いつ振り返ってもこの1年間は僕にとっては財産だ。
努力できる、優秀な人がいること。
何年も何年も努力が報われない人がいること、、、
この世の残酷な縮図と、一縷の望み。

もう二度と受験戦争に巻き込まれたくはないが、努力すること自体は忘れないように生きていきたいと思う。

謝意

そうそう、高校卒業後も付き合い続けてくれていた彼女からは、2次試験が終わった後に振られた。
ずっと我慢してたんだと思う。

試験の10日前くらいから始まる、日めくりカレンダーを手作りで作ってくれたのを今思い出した。
ちょっと下手な絵と、僕の好きな文字で書かれた励ましの言葉。

ああ、「努力」を自分のもののようにここまで語ってしまった自分が恥ずかしい、、、
あんぽんたんは今もあんぽんたんだったと思い知る、、、

改めて礼を言いたい。
ありがとうございました。おかげで今があります。
あなたに恥じない大人になります。

齢三十五。

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