映画「キングスマン」と階級社会

最近、ネトフリに「キングスマン」が追加されていたので今更ながら初めて観てみた。事前に持っていた知識は、コリン・ファース演じる英国紳士風のスパイが出てくるアクション映画というくらいことくらいで、どちらかというとシリアスな作品なのかと思っていたが、予想以上にコミカルな描写も多く、良い意味で裏切られた。

真面目そうな英国紳士が激烈ハイテクなスパイ道具を使って破茶滅茶に暴れ回る、という時点で最高だが、エルガーの『威風堂々』に合わせて首から花火があがって頭が破裂する(Filmarksの成分ワードにも「グロ」とか「花火」などのワードがタグ付けされている)という不謹慎だけど笑っちゃうような描写もあってエンタメ映画としてかなり楽しめた。
後で調べて、「キック・アス」を撮ったマシュー・ヴォーンが監督だったというのを知ってこういった演出にも納得したが、やはり僕は、ヴォーンやクエンティン・タランティーノやガイ・リッチーなど、暴力的だったりグロかったりするような描写をどこかコミカルに表現する傾向にある映画監督が好きかもしれない。

このように「キングスマン」は英国紳士による破茶滅茶なスパイ・アクションを一番のメインテーマとして描いているが、それと同時にこの映画にはもう一つ重要なテーマがある。それは、イギリスの階級社会だ。

「キングスマン」の実質的な主役である、タロン・エジャトン演じるエグジーは、公営住宅団地に住む労働者階級の青年(いわゆる「チャヴ」とも呼ばれる)で、DV気質の義父やチンピラに囲まれた荒んだ生活を送っている。そんなエグジーが、コリン・ファース演じるハリーにスカウトされ、立派な英国紳士スパイに変身していくという、スパイ映画版のマイフェアレディ/ピグマリオン(実際に作中でも言及される)みたいなストーリーがこの映画の重要な側面の一つである。

「俺だって裕福な生まれならあんたみたいになれる。どうにもならないんだよ」と言うエグジーに、ハリーは「人は家柄で紳士になるんじゃない。学んで紳士になる」と言う。
この、人を作るのは階級の違いではなくマナーであるというのが、この映画の重要なメッセージの一つだろう。

しかし、エグジーの言うように、実際にイギリスでは階級間の流動性が少なくなる傾向にあるのも事実なようで、政治の世界では特に2010年から始まった保守党の緊縮財政によって貧困だけでなく、教育機会の格差も広がっているそうだ。
また、イギリス在住エッセイティストのブレイディみかこさんも、昔は労働者階級のサクセス・ストーリーがあり得た俳優や音楽などの分野でも、近年ではエリート化が進んでいることを指摘している。

イギリスの音楽界には、70年代のセックス・ピストルズや90年代のオアシスなど、労働者階級のヒーローのような存在がいたが、そういった存在がなかなか登場しずらい近年のイギリス社会を考えると、労働者階級から世界のヒーローになるエグジーを描いた「キングスマン」のメッセージには重要な意義があるのかもしれない。

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