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【音楽エッセイ】ピート・ドハーティの歌声と弾き語り

個性的なヴォーカリストというのは、歌唱テクニックや声質といった要素だけでなく、歌声を聴いただけで強烈な「イメージ」を喚起させるものだと思う。
例えば、リアム・ギャラガーの歌声を聴いていると、世界に中指を立てながら希望を歌う、近所のカッコいい不良のにいちゃんみたいなイメージが浮かんでくる。全然違うところで言うと、例えばデヴィッド・リー・ロスなんかは、完全にエンターテイナーのイメージで、エディ・ヴァン・ヘイレンという世界最強のギタリストを擁するロックンロール・サーカスのリングマスターのように聴こえる。

僕にとっては、ピート・ドハーティも、そういった個性的な「イメージ」を持った大好きなヴォーカリストの1人である。ピート・ドハーティは言うまでもなく、イギリスの2000年代を代表するバンドの1つであるリバティーンズのヴォーカリスト兼ギタリストの片割れの1人として、親友?のカール・バラーと時には喧嘩しながらもリバティーンズの音楽を作った人だ。そんな眩いばかりの才能の一方で、若い頃には薬物にハマって色んな奇行を引き起こした面もある。

僕が、そんなピートの歌を聴いている時に浮かんでくるのは、夢見がちな吟遊詩人のイメージだ。
夢見がちなのが、ロマンチストだからなのか、アブナイ薬で幻覚を見ているからなのかは分からないが、とにかくピートの歌は自分の中の詩的なファンタジーに酔いしれながら甘く囁いているような感じで、とにかく声がすごく眠たそうだ。

なので、ピートは勿論バンドで歌ってる時も好きなんだけど、個人的には弾き語りで歌ってる時の方が好きなんじゃないかと感じることもある。

例えば、1stアルバムに入っている、Radio Americaは、このアルバムで唯一アコギが主体となる楽曲である。"take my love, my love to you...”と囁くピートの歌声には独特のロマンティシズムが漂う。

他にも、リバティーンズの曲をアコースティックで弾き語っている音源が色々あるが、個人的には下に貼り付けている、Can’t Stand Me Nowがとても好きだ。

Can’t Stand Me Nowは、カールとのケンカをそのまま歌詞にしたような楽曲で、原曲ではピートとカールが代わる代わるヴォーカルをとっているためまさに2人が言い争っているように聴こえるが、1人で歌うこのバージョンでは、カールへの敵意よりも、ピート自身の寂しさや切なさの方が表現されているように聴こえる。

また、この演奏を聴いていて思うのは、如何にもガレージパンクといった感じのバンドの演奏を取り払ってリバティーンズの曲を聴いてみると、それがとても美しいメロディを持っているということだ。

これはオアシスを聴いていても感じることだけど、やはりイギリスのロックというのは、ドタバタうるさいロックンロールでありながら、楽曲自体はセンチメンタルで美しい、という一見対立しそうなものを組み合わせる美学を持つ傾向にあるのではないだろうか。

↓他にも、ピートの弾き語りで好きな音源を貼り付けてるので良ければ聴いてみてください。

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