病院2021年5月

紹介状を持って初めての精神科受診。

とても大きな病院で、受付を済ませ別棟へ。
しばらく待ち、診察室へ入る。

紹介状はあるのものの、ドクター同士でやりとりを事前にして頂いていたので、私に出ていた症状はあらかた伝わっていたんだと思う。

3月あたりから、出勤時に気分が悪くなり、動悸がし始める。車通勤なので駐車場に着くまでよくヒヤヒヤしていた。
更衣室にて過呼吸が出て座り込み、立てなくなる。これが4月にも2度出た。目眩もよく出ていた。
過呼吸になりかけながら落ち着くのを待って仕事をする日々が続いた。

1番辛かったのはその症状ではなく、書類を書く仕事なのに、突然文章が書けなくなった事だった。
その症状は初めて出た日に上司には伝えてはいた。

だんだん出来ていたことができなくなり、日に日に症状が強くなっていく。

そんな中、子供が大きな病院へ治療しなければならない出来事が起き、紹介状を渡され「今すぐこれを持って病院に行ってください」と。

クリニックから市内のいつもよく通る病院へ…


…道がわからない。
長年住み続けた地元内で、どの道から行けば目的の市内の病院の入口の道路に出れるか、一生懸命考えていたのだ。


「ごめんね、もう着くからね」と子供に言いながら、どうにか無事到着。
治療も点滴に通い、無事治癒した。


この間休みを頂いていたが、休み明け、やっぱり文章が全く思いつかず、私はフリーズしていた。

上司に「辛いです…」と泣いてしまった。
今まで当たり前のようにできていた仕事ができない事。同職種の子達ができている事が私にはこなせない事。


元々自己肯定感が低く、常に劣等感を持っていた私には、仕事すらできないなんて自分に価値がないと思った。


それからすぐに精神科への受診となった。
急を要すると予約を無理やりねじ込んでもらえたのだ。


仕事以外のプライベートの面でも辛いことがあった為、先生に話をしていく。

優しくて丁寧に話を聞いてくれる女医さんだった。

子供がいるのに、家事もできないくらい辛い事を伝えると先生の表情が変わった。

「もうそれは限界です。休みましょう。」と。

子供達はお風呂は2人で入れる年齢だったので困っていなかった。
実は私は真冬の寒い中、2月辺りから夜、湯船に浸かる事ができなくなっており、毎朝シャワーを浴びてから出勤していた。
洗濯は、帰ってきてから洗濯機をまわすものの、干す気力がなくそのままで、何度も洗い直していた。
晩ご飯を作る気力もなく、そもそも前の日の晩ご飯の食器が常に翌日の晩ご飯前にようやく洗われる状態だった。
惣菜にも頼ったりはしていたが、キッチンリセットなんて程遠い世界だった。

帰ってきて、気力がわかず、遅い時間にようやく「もうご飯にしてあげなきゃ」とどうにか食器を洗い、ご飯を食べ、子供達がお風呂に入り、「おやすみー」という。

私はそのまま毎日リビングの床で寝ていた。冬場はこたつだったので本当に即寝落ちしていた。

私はこの異常さに、全く無自覚だった。
子供達の連絡帳と宿題したかの確認くらいしかしてあげれていなかった。
今思うと本当にごめんね、と思う。


初回の処方
・ベタヒスチンメチル酸塩錠6mg(メリスロン)3回3錠/日
・ロフラゼブ酸エチル錠1mg(メイラックス)2回2錠/日
・ミルタザピン錠15mg(レメロン)1回1錠/日


※ジェネリックで処方してもらってます

レメロンがまぁ初めて飲んだ時、凄まじい眠気と、朝のふらつき加減にびっくりした。
寝坊してしまい、子供達の学校へ送り出すのがギリギリになる事もあった。

日中1人でリビングで寝込み、起き上がるとめまいでふらつき、徒歩圏内にいる実母に晩ご飯を作ってもらう日々が始まった…。

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