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風の時代『バナナはおやつですか』問題はどうなる?

『遠足に持って行くバナナはおやつにカウントされるのか否か』問題。
どうでもいいフリしてたけど、何だかどうでもよくない気がして半世紀。

遠足に持って行くおやつに遣っていい金額を先生がみんなに告げると「先生!バナナはおやつですか⁉」と、確かめる子が出て来る。

「では、みんなで話し合ってみましょう」なんて先生も言い出して。

そうして、「おやつとは」に始まり「果物とお菓子は違うのか同じなのか」「お弁当に入っているか否かがポイント」なんて二派に分裂して。
「じゃ、イチゴは?」と、イチゴ好きまで黙っていられなくなって。

もういいじゃないかとうんざりし始めた頃、満を持して「ジュースも水筒に入れたらおやつじゃないよな!」と、さも何かいいことを思いついたみたいに得意げに言う子まで出てきて、バナナからどんどん遠ざかる。

HRは『なんのはなしですかジュニア大会』である。

自分がおやつだと思えばおやつでいいんじゃないですか。
自分で決めちゃいけないんですか。
そんなに持って行きたいなら誰が何と言おうが持っていけばいいじゃない。

何でもかんでもみんなと同じにしなければ生きて行けない不安を育むのが学校教育なんでしょうか⁉

なんて、高尚なことを考えていたわけでは全くなくて。

私にはバナナがおやつでもおやつでなくてもどっちでもよかった。
それより、HRが長引いて下校時間が遅くなることが問題だった。
早く帰りたい。
家が好きだったわけではないけど、朝、学校に着くともう帰りたい。
帰って『学研のかがく・がくしゅう』の続きが読みたい。ぬり絵の続きがしたい。浜に行って磯辺の岩陰にいるイソギンチャクに指を突っ込んで遊びたい。

でも「どっちでもええからはよ帰ろ」なんて言えない。
自分が邪なことを考えているみたいな気がして。
席でそれらしい顔つきを繕ってみんなの顔を悶々と眺めるばかり。

あれからウン十年。
バナナ問題を議論し合って私は立派な大人になったはずなのに、なぜかこの案件はカタチを変えてちょいちょい勃発する。
子供の頃と変わらず、出勤と同時にもう帰りたい私を阻止するのがこの問題だ。

たとえば私のいた小売業の現場だと。
あるとき、店の棚に新商品のペンを陳列するために、透明な円筒形のケースを何セットか購入し、『販促用物品』として経費申請をしたところ、あっさり差し戻された。

申請書のどこにも間違いが見つけられず、何がいけないのかわからなくて
経理担当者に尋ねた。

「購入明細の品目に“ペン立て”とあります。文具類なので、事務用品で再申請してください」

前髪の分け方1ミリにこだわる20代の経理担当者は愛嬌1ミリもない口調でのたまう。

経費申請のような書類業務はたいてい時間外にやるはめになるのが現場というもの。
面倒臭いから何度もやりたくないし、自分が間違っているとも思えない。

「商品陳列用なので、事務用途ではないんですけど」
「は?ペン立てはペンを収納する文具小物ですよね!?」

表面上はごくにこやかに、抵抗を試みるも、担当者は語尾をわざとらしく上げて返してくる。
こちらは早番で退勤時刻はとおに廻っているのだから勘弁しろとなぜかいえない現場の悲哀。

「そ…れはそうですけど、でも、商品のディスプレイ用ですよ?」
「あのね!飾ろうがなんだろうが、ペン立てはペン立てですよね !?」

ー あなた、バカなの? ー

イライラした口調からはそういうニュアンスが伝わって来る。

ーバカでいい、もう帰りたいー

お互い言葉を呑みこんでしばし無言。

…じゃあ、お聞きしますけどね?
あなたが遠足にバナナを持って行くとして、そのバナナの精算費目はどうつけますか?
おやつですか、弁当ですか。

水筒に入れたジュースはどうですか。

白米なら朝ご飯だけど、ショートケーキ食べたらそれは朝ごはんじゃありません。朝ごはんは食べてませんと言いますか?

「朝食に、ショートケーキ食べました」
って、普通に言いませんか⁉

そもそも『朝ごはん』て、何ですか⁉

・・・

「何を言ってるんですか」

経理担当者はにらめっこに負けたみたいに噴き出して笑った。
私も我に返ってばかばかしくなって笑った。

「お願い、もう帰りたいの」


この件、どうなったかは想像にお任せするとして。
(今浮かんでる答えでたぶん正解ですw)





『風の時代』
ここ数年、このフレーズをどこかで聞くこと、ありませんか?
2020年12月から地球はこのフェーズに移行しました。

占星術の定義で、惑星の周期と星座の位置関係によってそう名づけられています。

ちなみに2020年以前の220年間は『土の時代』でした。
私たちの前半戦はこのフェーズにあったのです。

『土』が象徴するものは物質です。
モノやカタチを所有すること、財を成すこと、固定概念や目に見える資産形成に価値を置く時代でした。

この200年の間に、私たちの物質的な生活の基盤はめまぐるしい発展を遂げましたよね。
鉄道に電話にパソコンなどなど、などなど。

カタチあるものをたくさん持つことが豊かで幸せとされました。
でも一方で私たちは物質を得るほどにどこか虚しさを覚えるようにもなりました。

生きる意味って?
しあわせって何だっけ?

バナナっておやつでいいんでしたっけ⁉


この先『風の時代』は200年続くようです。

目に見える物質的な豊かさではなく、目に見えない内面の豊かさの価値が高まる時代といわれています。

鉄道のおかげで見知らぬ土地へたやすく行けるようになりました。
電話のおかげで遠くの人と話せるようになりました。

それで満たされたものも確かにあるけれど、そこが到達点だったと心から言えない次の問題に私たちは気づいてしまいました。

孤独と不幸、豊かさと所有はイコールなのか?とか。
外側の事象に答えはないんじゃないの?とか。
あるいは、そもそも答えなんて要らないかもしれないとか。

これからの200年間は心とか、精神とかの内面へ意識がシフトして行くと言われます。

風の時代に『バナナはおやつですか問題』が、繰り返されるのかどうかわかりませんけど、『これが常識』とか『これが正しい』のような相対的な捉え方は自分を豊かにはしないよねって人が増えそうです。

『調和』に価値が置かれるかもしれません。

「そうはいっても、法律とかルールのない無秩序では世の中が成り立たないいじゃないか」と、そんなことも思ってしまいますが、果たしてそれもどうなんでしょう?

今の世の中の仕組みも土の時代のたかだか数百年の間に作られたものですから、200年後、人々にどんな意識や価値観が生まれているのか、今の固定概念では計り知れないような気がします。

200年後の未来の人たちが『バナナはおやつですか問題』にどう答えるのか、私は聞いてみたいのですよ。

「遠足?なんですか?それ」と返って来るかも?と、思ったりしますが、もしかすると「バナナって何ですか?」なんてこともあるのでしょうか?


あぁ、200年後の地球が見たい!!!



以上、年の初めに考えたことでした。
考えることが7才の頃とあまり変わってないことにも気づきました。


200年先も地球が健やかでありますように🙏




#なんのはなしですか
ずい分久しぶりに使わせていただきました。
帯イラストはこちらから🙇✨


これは過去記事のリライトです。



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