出かけてきたよ⑤(長崎)
(夏の思い出を、ゆっくり綴っています)
稲佐山の眺めを楽しんだ、次の日の朝。
近所に見つけた、地元系カフェに行った。
長崎の街のどこへ行きたいか、のんびり家族と話す。
一日で街を満喫できるよう、ある程度計画が立ったところでカフェを出て。
タイミングよく滑り込んできた路面電車に飛び乗った。
路面電車から、街の風景を楽しむ。
現在は人々が行き交い、たくさんの家や商業ビルが並ぶその姿。
1945年8月9日、広島に続きこの街にも、原子爆弾が投下された。
街は閃光に包まれたのち、焦土と化した。
そして、多くの方々の命が奪われた。
平和公園を訪れる。
鉛色の曇り空に、平和祈念像は溶け込んで見えた。
天を指した右手は、原爆の脅威。
水平に伸ばした左手は、平和。
そして、軽く閉じた瞼は、原爆犠牲者の冥福を表しているそうだ。
この祈念像と向き合っていたら、不思議なことが起きた。
一瞬のことであったが、この像にだけ、天から光が差したのだ。
スポットライトを左肩に受けたその姿に、胸打たれる。
彼の左手は、「平和」を表す。
天からの加護が、この世に満ちますように。
公園に隣接する爆心地公園を通り、長崎原爆資料館へ。
入館料はチケット制になっている。
私は、クレジットカードを活用することが多い。
しかし、なぜかこの時は現金で券を買おうと、券売機に向かった。
券売機のボタンに、赤いランプがついていた。
「色々な型の機械があるけど、
必要なボタンを押したら合計金額が出てきて、支払うタイプかな?」
そう思い、ボタンを押した。
すると、家族と私の分のチケットが出た上、
ちょこっとおつりまで出てきた。
驚いて、家族と目を合わせるばかり。
たぶん、このような経緯だったのかと色々考えてみた。
私達の前にこの券売機を利用した方が、
何らかの理由で、お金を多めに投入して。
精算しそびれたまま、入館してしまったのかも。
または、券売機にお金をいれた時点で、
連れの方が先に、隣接の券売機でチケットを購入したことを知り。
お金をいれたことを忘れて、そのまま入館してしまったのかも。
いずれにしろ、不思議な巡り合わせ。
館内を案内してくださるボランティアの方から、様々なお話をうかがう。「長崎」が、「ナガサキ」となったいきさつ。
長崎に投下された原爆の型と、広島に投下された原爆の型の違い。
広島の時は閃光で、米軍は原爆投下直後の記録の一部が取れなかった。
そこで長崎の際は工夫?して、キノコ雲を写真に捉えることができたこと。
初めて知ることが、たくさんあった。
小学校の時の教科書に掲載されていた写真は、
ナガサキからのものが割合多かったことにも気づいた。
亡くなった小さい体の弟を背負い、火葬の順番を待つ少年の写真。
凛とした、その瞳。
その後、彼の瞳にはどのような世界が映ったのだろう。
どなたかわからない入館者のお一人、または”神様”のお蔭で、
この資料館に入館させていただいたことを、有難く思う。
その方の厚意に私たちの気持ちも添えて、この街のプロジェクトに力添え。
命の尊さと強さ。平和がいつまでも続きますように。
ありがとうございます! あなた様からのお気持ちに、とても嬉しいです。 いただきました厚意は、教育機関、医療機関、動物シェルターなどの 運営資金へ寄付することで、活かしたいと思います。