描いていた自分を弔ってくれる友達のこと
去年、結婚した。
Facebookで報告したら、もう何年も会えていないAちゃんという友達からLINEでお祝いのメッセージが届き、読むうちに熱いものが込み上げてきてしまった。
Aちゃんは、小学校の4年間、私が転校してしまうまで熱烈に絵を描き続けた仲間だった。2人とも、いわゆる「クラスに1人はいる絵のうまい奴」ポジションだった。私たちは絵を通して意気投合し、4年生まで毎日のように自由帳にイラストやマンガを描きまくり、5・6年生を私の転校により別々の小学校で過ごしたあと、中学でまた再会して再び死に物狂いで描いた。この頃は漠然と「絵に関わる仕事に就く」と思っていたと思う。
結局、中2の時に私が不登校になったことで私達のまんが道は終わってしまったけれど、その後もAちゃんは描き続けて美術短大に進学し、成績が優秀すぎて奨学金をもらって4年制大学に編入。私は高卒認定を取り、文系の大学へ進学した。
お互い30歳を迎える現在、Aちゃんは地元の有名企業でデザイナーとして採用され、県内の企業の広告イラストを作ったり、クリエイターの集まりにも顔を出し、着実にキャリアを積んでいる。
私は小さなIT企業でライターとして採用され、自社のウェブサービスやメディアに載せる文章を書き続けている。本当に良い会社で、沢山の経験を積ませてもらってとても感謝している。
基本的に、私は自分の人生に後悔はないと思っているし、好きな仕事をして、好きな人と結婚をしたことに満足している。
でも「描くこと」をやめたことについては、かなり長い時間、じんわりとした葛藤があった。「やめる」と言っても、プロでも何でもないし、能動的にやめたわけでもない。描きたいなら描けばいいだけの話で、私の人生に描くことが「必要なくなった」のだ。それを自分の中で認めて、受け入れるのに思ったよりも長く時間がかかった。
私は物心ついた時からずっと絵を描いてきて、幼い頃はクレヨンでどこにでも落書きをするために、母によって壁一面に模造紙が貼られたほどだった。大きくなってからは、マンガチックな人物のイラストをベースに、複雑なポーズや様々なアングルの絵が描けるようになることが何より嬉しかった。同人誌を作って売ったりしたこともある。不登校をこじらせて引きこもりになっていた時期があるのだが、特にその時は絵だけが心の支えと言っても間違いではなかった。
しかし、晴れて大学に進学してからは、とたんに描かなくなった。
「自然に」としか言いようがないけど、とにかく描かなくても大丈夫だし、描きたいとも思わないことが日常になった。
でも中学ぶりに会ったAちゃんが美大で優秀な成績を収めていることを知って、素直に嬉しい半面、「描かない自分」を突きつけられた気がした。少しの羨ましさもあったけど、それよりも「あぁ、自分はもう描かない人生を生きているんだ」と思い知らされた感覚だった。
それでも「描こう」となるわけではなかった。「描く」分野で活躍する人を見ては時々それを突きつけられる、そんな風な生活を送っていた。
それを繰り返すうち、悔しさや寂しさも薄れていった。折り合いをつける、つけない、なんてことも頭の中に浮かばないほど、「描かない」ことが日常に浸透した。頭の中は将来のこと、恋愛のこと、次に読みたい本のことなんかでいっぱいだった。
そんなこんなで大学を卒業し、就職し、結婚した先日、Aちゃんから件のLINEが来た。
そこにはこんな風に書かれていた。
「結婚おめでとう!
思えばまりこちゃんとは小学校から一緒で、ずっと2人で絵を描いて、そんな毎日が大好きだったことを今でも忘れません。
こんなに上手な子がいるんだって、自由に描いて許されるんだって思えてたの、まりこちゃんに出会えたからだったから。
私も仕事のデザインばかりで、好きな絵はどんどん描かなくなっちゃったけど、それでもあのとき2人で描いて楽しかったことや「つくる」ことの原点を思い出して頑張れてるよ!
今から出会う人はまりこちゃんのこれからを知っていくのだろうけど、これまでのことは私が知ってるよ。まりこちゃんの絵は、これからもずーっと覚えてるからね。
たくさん幸せになってください!」
突然、忘れていた宝箱のふたを開けてもらえた気持ちになった。
読むうちに涙がこみ上げてきた。
Aちゃんは、夫も知らない「描いていた私」を覚えていてくれた。「描いていた私」は、日の目を見ることがなくても、私自身にすら忘れ去られそうになっても、Aちゃんの中で存在し続けていたんだな、と思ったら、すごく泣いてしまった。成仏できず彷徨っていた亡霊を弔ってもらえたような、そんな感じがあった。
今や地元で若手デザイナーとして第一線で活躍するAちゃんの原点が私との思い出にあるというのも誇らしくて、嬉しかった。自分のできなかったことをAちゃんが果たしてくれるなら、それほど嬉しいことはない、とも思った。
このことがあってから、もっと本格的に「描かない自分」に折り合いがついたと思う。Aちゃんがいる限り「描いていた自分」も生き続けるんだと思えるようになったからだ。
AちゃんとはLINEの連絡だって年に1回程度だし、私があまり実家に帰らないため次会えるのが何年後かは分からない。それでもAちゃんはかけがえのない友達だ。もし今後死ぬまで会わなかったとしても変わりはない。お互いの、今好きなもの、周りにいる人、最近起きたこと、そういうことを知らなくても、ずっと友達だ。
Aちゃんとも、「描いていた自分」とも、私は繋がり続けている。今日も明日も、愛すべき「描かない自分」の人生を生きていこう、と思える出来事だった。