劣等感の強い人に遭遇した
昨日はネットで知り合った女性と喫茶店で会ってきたのだが、ものすごく劣等感が強く、学歴コンプレックス丸出しな感じで非常に疲弊した。
会っていきなり大学名を聞かれ、自分も大卒なのに自分は言わない(笑)
しかも、彼女の夫が私と同郷らしく、「〇〇県なら〇〇高校が優秀らしいですよね」と言ってくる。私は高校には行かず、高卒認定を取って大学受験をした経緯があるので、それを伝えると何だか戸惑っているようだった。
さらに、私の夫はどこの大学なのかとも聞いてくるので、大学には行ってないですよと言うととても驚いていた。
周りにごくごく一般的と言われるルートを進んできた大卒の人以外いないのだろうか…と思った。
彼女は漫画家志望で、けっこういい線まで行っているらしく、自分の漫画の選評の載っている雑誌をわざわざ持ってきて見せてくれた。
その後彼女の家に招かれたのだが(旦那さんもいた)自分がモデルとして載った雑誌、自宅のインテリアが取り上げられた雑誌などもどんどん持ってきて見せられた。
学歴コンプレックス感がなければ、雑誌のことは単に話のネタに見せてくれたんだとしか思わなかったと思う。
でも、強い劣等感を持っているのかもと感じたあとだったので、「この人は、認められたいために色々と自分の実績をアピールしているのだろうか」と思ってしまった…。
家に行く話は、最初は「ちょっと心の準備ができていないから」と断った。
でも、断ってから繰り返される「私はオープンハートなので、全然そういうの平気なんだけどあなたは違うの?」という謎のマウンティング発言(?)に少し対抗意識を燃やしてしまったのと、同郷であるという彼女の伴侶に興味があったので結局行くことにしたのだった。
インテリアの資格を持っているという彼女の自宅はとても綺麗で、私はそれを褒めた。
旦那さんは彼女に全ての熱量を吸い取られたかのように何も喋らない人だった。
しかし、なぜ初対面の人を家に招きたがるのだろう。
なぜ断ると、心を閉ざしている?と受け取られるのだろう。
私は、人間関係において適切な距離感というのはあると思うし、初対面でいきなり人を自宅に誘い、断られたからといって相手を狭量だと言うのは、その距離感を欠いていると感じる。
この、家に人を招きたがる心理というのは数年前からとても気になっている。
私も親しい友人を家に誘うし、来てくれたら嬉しい。私も親交を深めるために、その人がどんな家に住んでいるかというのが気にならないわけではない。
でも中には、すごく頻繁に家に招きたがる人というのがいる。
なんの知識もないけれど、家という安心ベースの中に自分の好みの人を入れることが最高のリラックスになるのだろうか?
それとも自慢のインテリアを見てほしいのか?
わからないけど、何かあるような気がずっとしている。
ともかく、カフェや彼女の家で話を聞いていると、学歴に関する話題が目立った。
私は本当に学歴コンプレックスを抱えた人が苦手だ。
私自身、一時は自分の行った大学があまりに無名すぎて人に言えなかった。でも、卒業して振り返ると、大学時代というのはすごく充実していて、自分にとってかけがえのない時間だったと思うようになり、それからは全くためらいなく話せるようになったという過去がある。
彼女も自分の出た大学に不満があるらしいが(なかなかの偏差値の私大なのに)、話の中で「その人は私と同レベルの人で〜」と言った形容のしかたをするので、とても不快だった。
彼女はあくまで自分の学歴に不満なのだと言うけど、単なる偏差値の高低をまるで人間のレベルのように語るので、「ではその大学の偏差値以下の大学を出た私や、大学に行ってすらいない私の夫は、あなたの中であなたよりも低レベルということになるのですね…」と受け取らざるを得なかった。
そのうちに話を聞くのが辛くなり、率直に「そういう考え方はあなたの思い込みに拍車をかけ、周囲の人も悲しませる可能性がある」と伝えた。
同時に、「あなたが今の学歴であろうがなかろうがあなたは素晴らしい人で、それだけで尊重されるべきだし、自分でもそれを認めてほしい」といった趣旨のことを伝えた。
次は飲みに誘われ、一応行くとは言ったけれど、たぶん断ると思う。
昨日は本当に疲れた。
以前もこんな感じの人とフェードアウトしたことがある。その人も「認めて!」というオーラが全身から噴き出しているような人だった。
学歴に関する話はまだ聞き流せる程度だったものの、40代半ばだったその人は「若さ」や「美しさ」についての執着が凄まじかった。
私が勤務している会社で少し仕事を手伝ってもらったこともあるのだけど、飲み会を開いた時に「私おばさんだからさ」という発言が5分に1回の頻度で飛び出し、「次は誰が『そんなことないですよ』と言うか」という罰ゲームのような状況になってしまったのだ。
単なる自虐ネタで、笑い飛ばせるレベルならいい。
でも、「そんなことないですよ」という他者からの承認を期待しての発言は、本当に周囲の人の気持ちをどん底に叩き落とすのでぜひともお控え頂きたい、と思う。
しかも承認欲求モンスターと化してしまった場合、自分よりも「低い」とされるスペックの人がその場にいた場合もその発言を堪えられないということがある。
40代半ばで「若いですね、きれいですね」という言葉を欲しがる人が、50代の女性がいる前でも同じように「私はおばさんだからさぁ…」と言う、というようなことだ。
この時50代の女性の存在は全く無視されたかのようになってしまうし、その場自体が「若くて美しいことこそが素晴らしい」という価値観を標準装備した空間のように錯覚してしまいそうになる。この女性も辛いが、自動的にフォロー要員にされた周囲の人間も、たいへん悲しい思いをする。
劣等感の強い人というのは、自分だけを責めているつもりでいて、実は周りの人の尊厳も踏みにじっていたりする。
しかも自意識が肥大しすぎているため、そのことにはずっと気づかない。
昨日会った女性も、若さと美に執着する女性も、「満たされなさ」の根幹にはとても悲しい過去があるのかもしれない。そこには深く同情するし、もしそうした人が身内なら、できる限り愛情をかけ、自己肯定感を育んであげたいと思うかもしれない。
でも、人の心のケアを専門で行っていない人間や、特に親しくもない人間にその欲求を思い切りぶつけてくるのは、個人的にはあってはならないと思う。
いや、厳しく断罪するつもりはないけど、少なくとも私は今後そういう人に近寄らない。
そういえば2人とも、強く強く占いを信じているようだった。彼女らの読む雑誌の星占いに、彼女らをエンパワメントする結果ばかり掲載されてほしいと思う。