当事者にしか見えないもの
今年も1月17日が訪れた。27年前に阪神淡路大震災が起きた日だ。
被災当事者以外にとっては、特別な感情が湧く日ではないかもしれない。95年の7歳当時、四国にいて震度4の揺れに見舞われた私でも、そうだった。
だけど、神戸出身の夫と結婚してからは、この日が特別な日になり、毎年震災の話をするようになった。
夫は神戸市長田区の出身で、小5のときに起きたこの地震で家が全壊し、近くの市に引っ越した。
よく言えば下町、悪く言えば在日コリアンとの関係など、関西特有のしがらみのある町なので、夫は長田での暮らしに満足していたわけではないようだ。
それでも、故郷は故郷だし、思い出もいろいろあっただろうと思う。
地震当日は、2段ベッドにタンスが倒れかかり、三角形にできた隙間から部屋の外に出たと聞いた。
幸いにも家族はみんな無事で、お母さんが近くのパン屋さんでパンを分けてもらってきたこと、買ってあった上等なお米を地域の人に差し出したこと。
復興が進むとあちこちで食事の炊き出しが行われて、山○組の人が作ってくれたラーメンで空腹を満たしたこと。
そして、避難所や親戚の家に生活の場を移し、生家を見に行ったらホームレスの人が上がり込んでいたことなど…。(全壊認定だが、かろうじて家の形は保っていたため)
毎年この日を迎えるたび、夫から少しずつ話を聞いてきた。
また、関西に足を運ぶ機会があれば長田にも立ち寄り、実際の町や資料館も見た。
自分の大切な人が、人生の前半で遭った大きな出来事を、少しでもわかりたいと思った。
自分の気持ちを言葉にすることが苦手で、どこか人生を諦観している夫の、芯の部分がそこにあるのではないかとも思ったからだ。
でも、いくら知ろうとしても、私には夫が体験したこと、見たこと、心に残ったものについて想像することしかできない。
彼が発する言葉の断片から、その影響の大きさ、深さを推し量るほかない。
そんなときに、夫からソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」(まんげつのゆうべ)という曲を教えてもらった。
夫のいた小学校は1学年50人程度だったそうだが、震災のせいで多くが転校することになり(夫もその1人だ)、そのお別れ遠足のときに教えてもらった曲だと言っていた。
私はこの曲を聴いて驚いた。
いわゆる「前を向くための歌」ではないように聞こえたからだ。
とくに、
悲しくて すべてを笑う 乾く冬の夕
飼い主をなくした柴犬が 同胞とじゃれながら道をゆく
このあたりは当事者の気持ちや情景が立ち上がるようで、思わず涙がこぼれてしまう。
小学校の遠足でこの歌を教わるなんて、いったいどれだけ神戸という町に虚しさや諦めが漂っていたのかと、言葉にできない気持ちでいっぱいになった。
でも、ここで私は一つのことを思い出した。
もう8年ほど前になるが、アメリカの白人ラッパー・マックルモアの「Same love」という曲に私は涙した。
歌詞の和訳や解説はこちらのサイトに任せるけれど、ラップ界ではアウェーであろう白人の彼が、勇気をもって(?)同性愛への理解を呼びかけた一曲だ。
歌詞の中では、いまのヒップホップ界におけるゲイ差別の現状、矛盾に一石を投じている。まさにそうだよな、と頷くことしかできなかった。
ゲイとして生まれた少年がセクシャリティに気づき、大人になってパートナーと結婚式を挙げ、老いるまで添い遂げるMVもとても美しく、感動して思わずゲイの友人にURLを共有した。
そうしたら、「これはいい曲だね!でも、ゲイに関する曲のMVだと僕はこれがグッと来る」と言って教えてくれたのが、ホージアのTake me to church だった。
この曲は歌詞が宗教的で、100%理解はできないので割愛し、MVにフォーカスする。
映像では、ロシアでのゲイ弾圧の様子が描かれている。とあるゲイカップルが追われ、逃げまどう内容だ。2人にとっての大切なものは奪われ、引き裂かれる。思わず胃のあたりがギュッと締め付けられるほど、見ていてつらい内容だ。
教えてくれたゲイの彼は、今の日本社会で表立ってゲイ差別を受けているわけではない。理解者も少なくなく、カミングアウトへのハードルもそこまで高くない。
それであっても、これを見てシンパシーを感じるという友人に、日頃世間からどれだけのストレスがかかっているのか、その重みを垣間見た気がした。
このときのことはずっと記憶に残っている。
そして、当事者とそうでない人間との隔たりは一生埋まらないからこそ、わかったふりも、わかることを諦めることもせずに、わかろうとし続けたい、と胸に刻んだ出来事となった。
それから数年して、「満月の夕」を聴き、この明るく悲しい曲に驚き、夫の失ったものの大きさを推し量ることとなり、友人との出来事を思い出した。
当事者たちは、きれいな言葉で覆い隠したものには必ずしも惹かれない。(そういう場合もあるだろうが)
むしろわれわれ外側の人間からすると生々しくグロテスクであったり、残虐に思えるものにこそ親しみを感じたりすることがある。
その領域やその感性を尊重して、その人自身を愛することが、唯一自分にできることだ。
彼らもつらいが、わからないものをわかりたいと思い続けることもまた楽ではない。でも、この楽ではないことこそが、彼らの抱えているものに近いのだろうと思う。
※マックルモアのSame Loveはとても素晴らしい曲です。「きれいな言葉で覆い隠したもの」と書きましたが、これはこの曲への批判ではなく、この曲から美しい部分だけを受け取ろうとした自分について書いています。
詳しいことはわかりませんが、アメリカのラップ界においてとても意義のある一曲だったのだろうと捉えています。