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全ての庵野秀明になれなかった人たちへ


■ついに公開したシン=エヴァンゲリオン 

2021年3月8日シン=エヴァンゲリオンがついに劇場公開された。
 そして3月22日に監督、庵野秀明氏のドキュメンタリーとしてNHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で取り上げられた。
 ここ数日で感じたのは、テレビシリーズから考えると26年以上という長い年月の終止符、的なものが打たれたのだと。
 
 これを書こうと思ったのはプロフェッショナルをみて、衝動的に、発作的に沸き起こった感情をなんか形にしたかった。稚拙な文章にお付き合いいただけると幸いです。

 20世紀末、世間では世紀末ネタがはびこり、PHSでアニメの主題歌の着メロを作るのが日課だった学校生活に突如事件が起こった。
 それが新世紀エヴァンゲリオンである。このアニメの登場の衝撃はそれまでの自分の世界、周囲が変わった。
 毎週、番組放送後の学校で、ヲタク友人らで、放課後の部活に、図書館の隅っこに、ゲーセンのコミュニケーションノートに、エヴァの感想、今後の展開の予想、持論をまき散らしていたと思う。その頃はwindow95が出ておらず、まだインターネットするには難易度の高い時代であった。
 しかし、その拡散力はインターネットのそれを超えていると思う。
 ただ、自分たちヲタクの世界においてであるが。
 当時のアニメヲタクにとって、世間は異世界であり、その異世界に触れることなく、自分たちの世界「アニメの話が気楽にできる場所」に生きていた。学校でもエヴァの話をしていたのが教室で4人。それが世界のすべてだった。同じような世界を持っている人は全国たくさんいたと思う。
 そう、あくまでアニメ好き人間らのごく一部の、ちいさな世界の、大きな事件でしかなかった。いくら面白いアニメがあっても、結局その小さな世界の出来事でしかないと思っていた。
 ところが、そうではないのを気づかされる。

■異世界「世間」へと飛び出したエヴァ

 異世界と思っていた世間がエヴァンゲリオンを見つけてしまったのである。もしくはエヴァが異世界「世間」に飛び出したのか。
 コンビニの週刊誌にエヴァの名前が、たしかオリコンの雑誌にエヴァ特集がくまれるのを見たときは、人生にそれまでないぐらいの驚きを覚えている。ああ、いつもと違うアニメであるのを逆に気づかされる瞬間といえる。このような似た経験をした当時のアニメヲタクは多かったのではないだろうか。
 そしてTVアニメがあの終わり方をみて、理解と納得しがたい自分がいた。しかし、世間はエヴァの影響があちこちにでだしていた。いわゆる「エヴァっぽい」ものがはびこるようになる。アニメだけでなく、実写のドラマでは踊る大捜査線というフジテレビの刑事ドラマがそのテイストに似た演出をしている。(こっちもハマはまったクチである)
 エヴァ特集を組めば売れると分かった出版業界は隙あらばエヴァ特集を組み、その大きなブームの波に乗じてアニメブームが大波になって現れた。そしてわかりやすい2匹目のドジョウを狙う人たちがわんさかと増えた。
 あの当時、みんな「庵野秀明」になりたかっていた。

 エヴァに触発され、アニメ業界、声優業界に飛び込む人はどれだけいたろうか。エヴァのような作品を作りたいと思ったクリエーターがどれだけいたのだろうか。
 自分もアニメ業界にいた時期があった。そして挫折した。そりゃもうぽっきりと。
 当時のアニメ制作の劣悪な環境に身をゆだねるほどの人生に博打をうつ勇気はなかった。自分のやりたい、好きという感情をパワーとするならば、日に日にすり減っていくのが怖かった。

■庵野秀明という存在

 庵野氏は番組のプロフェッショナルの中で「命より作品作り」といった。アニメ業界を劣悪、危険と感じてしまった時点で庵野秀明にはなれないのかもしれない。
 結局、業界に飛び込んだ人99%は挫折し、業界を去る。残った人も庵野秀明にはなれなかった。(いるとすれば新海誠氏ぐらいかもしれないが)
 番組で取材ディレクターから「いろんな人の人生を変えてるじゃないですか」という問いに「それは申し訳ないともいえる」と語る庵野氏。

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 それだけエヴァという世界をつくった庵野秀明は特別な存在となり、庵野秀明になれない者はある人は神のように崇め、悪魔のように罵る。すがり、拝み、怒り、侮蔑する。
 ネット掲示板2chは色んな庵野氏を使ったネタで書かれており、大喜利をやってる雰囲気になっていた。友人らで暇さえあれば話のネタとなっていた「庵野にエヴァをやりなおしさせる方法」「庵野に魔法少女アニメを作らせたら」「庵野にナウシカ続編作らせるには」
 NHKのプロフェッショナルでネットで殺害方法を考えられてたと語る庵野氏のシーンがあったが、庵野秀明という存在が人という概念でない、とてつもなく大きなものになっていた。
 しかし、「人間」庵野氏にとっては我々には想像しがたい苦痛だったと思う。自殺未遂まで追い込まれていく辛さは番組を通して伝わってきた。

 ■エヴァという存在

 エヴァの最初の映画(旧作映画)が終わり、あのラストをみて感動より脱力感だったのを覚えている。何度も溜息ついて後にしただろうか。それがつまらないからではない。何かしらひっかかって、それがなんなのかと消化するのに時間がかかる、または消化不良を起こしている。それが癖になるほどに。
 その旧作映画で一旦終了したエヴァは結局、終わってはいなかった。
 アニメだけでなく、ゲーム、パチスロと幅広いコラボ作品が途切れることなく続き、今では世間でいうアニメの王道作品と地位にある。アニメを題材にしたバラエティ番組を見ると、ドラえもん、サザエさん、ドラゴンボール、そしてエヴァとなるぐらいに。TVシリーズから見ている身として、鼻で笑ってしまう。

■大人になりきれない

 あのブームの時にエヴァに憑りつかれたヲタク達は社会人になり、それぞれの人生を歩んでいると思う。第二の庵野になりたかった人間たちは現在どういう気持ちで今回のシンエヴァをみたのか。
 
 番組の中で鈴木プロデューサーの庵野氏を「大人になりきれない人」と称した。
 あの時、庵野秀明になりきれなかった多くの人にもそうだった。誰もがつまらない社会人になりたくないと思い、庵野秀明になろうとしていた。
 結局、普通に社会人として普通に仕事をしている。

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 シンエヴァンゲリオンで、「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」とシンジが言ったとき、なんか自分の中で変化があった。
 どこにあるかはっきりとしない、ただ心の中に残る「熱意」か「熱病」。心が隅っこでくすぶっているソレ。変に割り切ったつもりでいたのが、ひょこっと出てきたようなソレ。

そして終わらせると番組で語った庵野氏の言葉にもソレは響いた。

番組ではエヴァという重荷を下ろしたいのではという、長年庵野氏とともにエヴァを支えてきた鶴巻氏はそう語った。庵野氏は番組で卒業という言葉を使った。番組をみて庵野氏が一つの区切りをつけたがっていたのはわかった。

そして映画をみた僕は区切りをつけたのだろうか。

全ての庵野秀明になれなかった人たちへ

あの映画でなにか区切れましたか?


 

 
 

 
  
 


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