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ノンキャリ出世~8~ 反面教師

朝、六畳一間の営業所に出社して上司と顔を合わせると、特段の会話のないままそそくさと車に乗り込み、計画に沿った行先へ向かう。
早く出発したいのは上司と一緒に居たくないからではなく(いや、それもあるが)、多くの顧客が朝から昼までの間に作業を終わらせてしまうからだった。
出来るだけ装置が稼働している間に訪問しておかなければ装置の状況がわからず、なによりこれから頻繁に顔を合わせるオペレーターさんたちに自分を認知してもらえないからだ。
作業の終わった午後はなにをしているのかというと、顧客リストを頼りにそこを尋ね、誰もいない作業場で装置の設置状況を確認し、リスト通りに装置があるか否かを確認しているだけだった。
つまりは午後の方が気楽な仕事だったわけだが、これがどうにもつまらなかった。つまらないのだが、作業中に飛び込んで、得体の知れない不具合に出くわし、これ直してなどと言われる不安に遭遇するよりはるかにマシで、とはいえそほど長く客先に逗留できるわけではないので、営業所にもどれるのも早かった。
戻ると日報を書き、上司がいれば明日の計画を報告し、上司がいなければ電話で終わった旨を伝えて帰る。
上司は日報を読むとあの人いた? この人いた? と、それは顧客企業の社長さんたちの名をあげる。名簿で名前こそ知っていたものの作業場しか訪れない私に社長に会う機会はなく、会ったところで何を話していいのかもわからずであったため会いにも行かないでいた。
「この仕事は、社長に会えるようにならないと」
上司がうつむきながら言った。
えーーーー! あんたと同行しているとき、そんな素振り一度も見せなかったじゃん!!!!
受け身が信条の私はもちろんそんなことは言えずに、はいとだけ返事した。

自分の担当エリアを任されはじめで半月ほどの夕刻。営業所に戻るとめずらしく上司から声をかけてきた。
「〇〇日、あけといてくれる?」
すでに計画は月間で組んでいたが、上司命令であれば抗う余地はない。
「商談に行くから見せておこうと思ってさ」
どこか誇らしげな上司の物言い。
商談という機会が特異なものであるらしいことに気付いて、はいとだけ返事をし、スケジュールの変更作業に入った。
ある一日の予定を変更すると、したがって元々の予定にしていた訪問先を別の日に組み入れなければならなくなる。県の半分というエリアは意外と広く、効率よく回るには、当日の行先方面に訪問先を固める必要がある。やってみると、意外とこの作業に難儀した。
頭の中と地図と、顧客リスト、それに訪問履歴のチェックリストを照合していくと、かなりうまくまわらないと「月に一度は訪問」というノルマを達成できなくなりそうだった。
そんなパズルに没頭している傍らで上司の行動を見ていると、製品カタログや見積もり作成に没頭している様子がうかがえた。
商談予定日まで一週間はある。にも拘わらず準備を進めているということは、よほど商談というももには準備が必要なのだなと察することが出来た。
「大変すね」
珍しく私から声をかけると、上司は顔を上気させながら、いずれ君もこれに追われる毎日になるよというようなことを言った。
毎日? 少なくとも私が入社して一か月以上はそのようなシーンなどなかったというのに、なんとも表現の下手な人だなと可笑しく思った。

かくして商談当日。久しぶりに上司と同乗して客先へ向かうことになった。
その客先は私の管轄エリアだったが、まだ私が道に疎いと思ったのか、運転は上司がしてくれた。
その道のりは約一時間。
たいした会話はなく、平日昼間の興味をひかないAMラジオを聞き流しながら、そこへ向かった。
訪問先が近づくと、上司は緊張をしていたのか、やたらとたばこを吸い続けた。私は、上司がハンドルから手を離してポケットをまさぐりはじめると、ほっとした。
たばこを吸うということは、窓を開けることになる。私はその瞬間を待ちわびていた。車内が暑かったとか寒かったとか、そういうことではない。
口外しにくいのだが、上司から漂う年齢相応のにおい(きっとマンガに描くと黄土色で表すであろう)に気分が悪くなっていたのだ。それに比べれば、自分も吸うたばこの方がいくらかでも耐えられる。
私はたばこを臭い消しにする上司と客先に到着すると、受付に向かう上司の背に隠れ、その成り行きを見守ることにした。
さすがに……。
あれ? 上司は“この道何年”になるのだろう。何年だかわからないが、さすがにベテランだけあって受付の人も上司の姿を見止めた瞬間に何者であるかをわかったようで、HOW TOものにでも出来そうなあいさつの文言の冒頭を口にはしじめたと同時に、受付の人が笑顔のまま受話器を握り、社長を呼び出していた。
それは、早く自分もそのようにお客さんに認知されるようになりたいなと、深く思わされる鮮やかな光景だった。
「あ。どうも」
出鼻をくじかれたような苦々しさ漂うひきつった上司の笑みは、しかしどことなく安堵も感じさせるものだった。
何分も待たされることなく訪れた社長は、まだ四十代くらいだろうか。若々しくスポーツマン体形をした人で、傍らには上品なスーツをきれいに着飾った女性を伴っていた。どちらかというとその女性にこそ威厳を感じる。だが、だからといって出しゃばることはなく、社長の一歩後ろでいかにも“寄り添う”という雰囲気をも感じたので、おそらくご婦人なのだろうと思った。まさか愛人秘書というわけではあるまい。しかし、そう思われても仕方のないくらい、さわやかな金持ち青年(中年?)と、煌びやかな恋人(ビジネスパートナー?)のように思えた。
と、その二人に気を取られている間に上司が仰々しく言い出した言葉に、む私は目が点になった。
「いつもお世話になっております」
上司はそう言って名刺を差し出しつつ、こうも言葉をつづけたのだ。
「はじめまして」
え!!!!
社長に会えなきゃダメだと言っていたのはどこの誰だ?
商談に持ち込めたのは、社長への営業が奏功したからではないか?
いや、たしか装置と現場の面倒を見続け、故障が直らなければ入れ替えを進言するのがこの商売の営業スタイルだと聞いていたので、営業そのものは現場にし、ようやく社長の牙城にたどり着くというものなのかもしれない。
私もつられ、慌ててポケットから名刺入れを出し、ぎこちない所作で名刺交換を行う。そばにいた女性は名刺交換には参加せず、社長の左一歩後ろで、その姿を笑顔で見守っているだけだった。
「どうぞどうぞ」
社長に個室へ促されるときも、この女性は社長の一歩後ろを軽やかに歩いていて、その姿はまるで女優のような雰囲気さえ感じ、思わず見とれてしまった。
「どうぞ」
女性は扉の前で私たちに入室を促すとそのまま扉を閉めた。商談の場には加わらないようだ。
「いい天気ですね」
席に着くと、上司が言った。
おぉ、こういう場では本当に季節の挨拶から入るんだなと、これは一種の感動をもって聞いた。
「そうですね。こんな日はこんなとこにいないで…」
ここまでを言った社長が一拍を置くと、上司が珍しく間髪を入れずに言葉を返した。
「ゴルフですか」
なるほど、ゴルフの芝生が似合いそうな社長だ。
「いや、私はゴルフやらないんですよ」
「そうすか…」
アハハ。と、身体を丸め、小さく笑いを含みながら言った上司は、声色こそ明るかったものの明らかに困っていた。この先をどう継いでいったらいいのか迷っているんだろうな。新人部下の前だしな。などと余計なお世話に思いを寄せていると、社長が思いもよらぬことを言った。
「ゴルフじゃなくて、ダイビングをやってるんですよ」
「ダイビングですか」
あー、きっともっと困っただろうな。我が上司にダイビングで話題を広げられる知識などあろうはずがない!(もちろん私にだってないのだが)
「いいですよ。海に行くまでのドライブも楽しめるし、潜って見る魚なんかかとても奇麗だし、気持ちいいし」
そのとき、事務員が人数分のお茶を持って入室してきた。
「ま、どうぞ」
お茶をいただくと、上司はカバンから封筒を取り出し、早速ですがとテーブルの上にそれを載せ、社長に提示した。
「先日、現場の方から調子が悪いという話を聞きまして調整してみたのですが、随分と使ってますしね。そろそろ寿命かなと」
「そうみたいですね。聞いてます」
社長は見積書に目を通しながらそうつぶやくと席を立ち、扉から顔を出して「おい」だけ言ってまたテーブルに向きなおした。
しばらくすると、さきほどの煌びやかな女性が入ってきて、「どんな感じ?」と、それはそれはとてもおおらかな動きで社長の後ろに立ち、肩越しから覗き込むように見積書に目をやった。
「ふーん。いいんじゃない?」
「そうだね」
社長は女性の投げかけに同意するように言って、商談は成立した。
なるほど、機械の入れ替え商談は上司の言ったとおりに進むんだなと感心させられた。
仕事内容としてはユーザーの定期訪問と機械メンテナスだが、それを行っていくためにはメンテナンスをすべき自社機が置いてなければならず、つまり入れ替えも会社存続のために必須であることは言われなくても察していた。
だが、決して安くない機械装置の入れ替え商談がこれほど簡単に済むというのは少しばかりの驚きも感じていた。
あれ? というか、ウチの装置っていくらするんだ? ま、そのうち聞けばいっか。
その程度の思いをもって商談の場を離れた。

商談の同行からさらに半月を経たころ、「エリアミーティング」と称する会議に参加することになった。
私の所属する営業所と隣接する県の営業所メンバーが月に一度、全員で顔を合わせる会議とのことだった。
まじめでおとなしいく寡黙なおじさん集団。
お客さんから聞いた自社のかつての面々りの印象が頭に残っていた私にとって、全メンバーが集まる場というのは、なにひとつ楽しみや興味を感じさせてくれるものではなかったが、これも仕事なので仕方がない。
会社の会議というものもはじめて経験だったので、そういう意味での興味だけを携えて当日を迎えた。
ところが、いざ指定されていた場所の会議室に入ると驚いた。
全員が、とはわないが、多くのメンバーが私と同世代で、しかも生き生きとし、談笑で明るい場をつくっていたのだ。
仲間への興味はもっいなくてなさそうだという私の中の前提は完全にひっくり返され、しかしだからといって進んでの輪の中に入ろうと思えるほどの思考の急転換さえ出来ないほど、私は心の底から驚いていた。
たしかに聞いていた。間違いなく聞いていた。私の先輩方は誰もが真面目でおしなしく、口数の少ないおじさんばかりだ、と。でもみんな辞めちゃうのよね、と。それらの言葉の数々から、私は勝手に覇気のないおじさん集団の塊イコール、未来志向もないから仕事がつづかず辞めてしまう人たちばかりが吸い寄せられる会社と、思い込んでいた。
しかし、そうとはとても思えぬ面々に接して、なるほどとも思った。だから諸先輩方はこの雰囲気に馴染めず退職してしまっていたのか、と。
その会議には社長も参加していた。社長に会うのは面接以来のこと。顔せ合わせると、「お。がんばってるみたいだね」と声をかけてくれた。
会議は月ごとの営業実績をベースに、意見(というか指摘)の飛び交う活発的なものだった。
それまで慣れあいの談笑に盛り上がっていた面々が、心情を厭わず弱点や失敗を指摘し、改善につなげられるアドバイスをし合っている。
よく観察していると、その陣頭に立っているのは社長だった。時に厳しい顔つきで叱責に近い言葉を飛ばすその姿は、初対面にときに感じた土建屋のオヤジそのものだった。
やがて、我が上司の成績発表の番が訪れた。
内容を要約すると、新人の教育同行が続いていたので営業は出来ていないが、なんとか面会を迫って一台の装置入れ替えを決めた、というものだった。
最後の、機械入れ替えのところで拍手が湧くと、ある一人が上司にこう問うた。
「見積もり条件は?」
「メンテ工賃と消耗品サービスです」
即座に上司が答える。
「いつまで?」
聞き捨てならないといわんばかりに社長が割って入った。
「五年です」
ヤバイ。そんな表情をした上司が小さく答えた。
「五年もサービス? 年間いくらになるんだ?」 
「えっと…」
「そんな計算もしてないのか?」
「いや、あの…」
「装置の利益吹っ飛ぶぞ」
「はい。すいません…」
「まぁ、それで決まっちゃったんなら仕方ないけど、必ず今後にいかしてな」
と、社長はそれを全員に言い聞かせるように言って話題を変えた。
なるほど、あの商談がスムーズに進んだのはそういうことだったのか。要は過大なサービスを付けてしまったのだろう。実態がわからないながらにもそう察することが充分に出来ていたと同時に、自分はこの上司の下にいていいのだろうかという一抹の不安も感じ始めていた。

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