ノンキャリ出世
スタートはヒモでニート
二十代はヒモでニートでした。
人生でもっとも大切な時期ともいわれるその時期。私は高卒で勤めた会社を二十代の前半に退職して海外をぶらつき、帰国後はひとまわり年上のお姉さんや同世代の女性に養ってもらいながら生きていました(交際時期はかぶっていないので悪しからず←そこまで落ちぶていない!←自慢にならない)。
振り返ると、我ながら浮世離れをした生活を送っていたと思う。
なぜ彼女たちが当時の無為な私をかわいがってくれたのか。それは後日のアップに譲るとして、とにかく社会生活の中核を担うであろう四十代五十代の礎を築くに大切な、若さと情熱あふれる二十代を堕落して生きていたことだけは事実である。
そんな私が、三十代に中途採用された企業グループの本丸である創業七十年超の某中小企業役員となり、次期社長と目される立場に至った経緯を残しておきたいと思った。
時折、ふと疑問に思うことがある。
ヒモでニートであった自分の二十代の生活を“堕落”と自認してはいるが、それははたして本当に堕落だったのか、と。
その当時に見た景色は、いまもって鮮明に心の奥底に残っている。
恋人とのデートを優先して会社をさぼった日のホテルの一室。
いまでも“この人”として記憶しているたった一人の心から愛した女性。
中流階級世帯に生まれ、公立中学から平均的な私立高校を卒業し、バブルに浮かれていた社会に出てまもなくのバブル崩壊。
残業残業で年齢の割に高収入を経ていた日々から一転した退屈な日常。
このままでは不安だからと退職を決意した二十二歳の夜(←この決意はいまだ自分自身でも謎)。
エンパイアステートビルの屋上から見た「宝石箱をひっり返したような夜景」と、そのビルのふもとにいたホームレスが路上に置いた空き缶。
ギター一本を抱えて「俺はビッグになっちゃる」と単身渡米してきた若者との、シカゴでの夜。(←彼は今でもアメリカで音楽活動を続けている!)
大西洋に沈む夕日は、太平洋で朝日になっているのだと気付いたポルトガルの海岸。
日本にいては未来がないと、プロを目指して渡欧してきていたマイナースポーツの名プレイヤーと過ごしたバルセロナでの日々。(←彼は後に日本代表監督としてオリンピックに出た!)
一緒にごはんを食べようよと、私の手をひき家屋に連れ込んでくれたトルコ・メルシンの子どもの小さな瞳。
そして生きる目的なくふらふらと過ごしていた私を励まし、養ってくれた女性たちの笑顔とぬくもりと涙。
社会の底辺でうごめいていた私に様々な施しを授けてくれた人たちのことが忘れられない。
その施しの形は金品や肌のぬくもりだけでなく、語る言葉や夢。神に祈る真摯な姿勢であったり、言葉なくともともに過ごした時間であったり、一瞬の握手であったり、とにかくあらゆるもののひとつひとつが私の心を突き刺してくれていた。
夢、科学、自然、信心、空、道。すべてのものをまっさらな心の目で見ていたことが自分の心を醸成していった。
とりわけ、人。仕事や会社といった枠のない生活をしていたおかげで、多くの人とのつながりを持てたことが、いまとなっては自分の礎になっていたと思う。
無為に彷徨っていた私にとって、自分以外のすべてのものに対する気持ちは“受け”だった。
なにもない自分には、誰かに何かを授けることなど出来なかった。ただ聞くこと、見ることだけが当時の自分の武器だったといっても過言ではない。
右でも左でも、古臭くあっても先鋭的であっても、すべてが当時の私には新鮮で斬新だった。だから素直に聞き入れることが出来ていた。
やがて自分でも社会経験を経ていくことになるわけだが、その過程で過去に収穫していた影響の取捨選択を繰り返していたのだと思う。その結果がいまの自分であり、これからの自分をつくっていくのだろう。
これは自信をもっていえる。私の特技は相手の気持ちを理解すること、出来ること。そう言えるのは、二十代のころに経験してきた“受け”の姿勢であり、三十代から実践してきた行動の経験であり、四十代から任せられてきたマーケティングであり、だからいま、五十代に入ってマネジメントにも自信が持てるのだと思う。
運は誰にもでも平等に散らばっていて、運がないと嘆く人はそれに気付けないだけだと言う人がいるけど、私は違うと思う。運は養い育てるもの。誰もが平等に持って生まれ、どれだけ大切に育てるかが肝要だ、と。つまり、運の核はたったひとつである、ということ。
運が運を呼ぶ、という現象がある。私はそれをこう解釈している。元の運と新たな運は別物ではなく、元の運の広がりなのだ、と。
植物の育て方がそれぞれの品種によって違うように、人の運の育て方も人によって違うと思う。
ある人は徹底的に痛めつけ、ある人はのんびり散歩をするように、ある人はカリキュラムに忠実にわき目を振らずに邁進させる。
どのやり方が適切なのかを見極めるも、自分なのか師匠なのか親なのか、それもきっと人それぞれなのだと思う。
私の幸運は、出会いに尽きる。
出会いを受け止め、出会いに意味を感じ、出会いに感謝する。
これから少しずすつ、順を追って過去を紐解き、偶然の出会いが道しるべとなっていたことを話していきたいと思っています。