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ノンキャリ出世~20~ 幸運の駆け出し管理者
実務の修行と同時に、一気に10倍に増えた部下の管理もすることになった。
とはいえこれは仮の管理者設定で、移籍してきたばかりの身としてはありがたい措置だった。
次期社長と目されていた人物が他の複数部門も直轄していたので過多になっている嫌いがあり、私がこの転籍にマッチしていたと判断されれば、調達と一部の製造部門の責任者をいずれ譲るという流れになっていたようだった。
当初は自分の仕事を覚えることに必死で他人(部下)の行動になど目配りする余裕はなかったのだが、あれどうなった? これどうなった? という上層部からの問い合わせが私のところに届き、「あ」と思わされることから自分に目配りが足りなかったのだと気付かされる。
もちろん部下たちからも製造上の相談(というより判断)を寄せられることはあったが、上の求めることと下の求めてることは必ずしも一致しない。
私はその中間でそれぞれが気持ちよくなってもらえるような回答を!その場その場で導き、それをなんとも思わないまま続けていた。
なぜそんなことができたのかというと、これも受け身を得意としてきた結果だったと思う。
いろいろな技を長く続けていたことから、相手が何を求めているのかを見極める術をいつしか自然と身に付けていたようなのだ。
ただ、そこには大切な要素がひとつだけあると私は思っている。
それは、相手の技を受けるプロレスと似た感覚。信頼という人間関係だ。
プロレスのそれは、相手を信頼していないと安心して技を受けられない。信頼していない相手の技など、受けたら怪我をしてしまうこと必至で、なにも事前に練習をして受けたことなどなくても本番でいきなりそれを受け、いかにも効いたフリをしてマットにのび、あるいは瞬時に切り返して技をやり返す。
双方の信頼があるからこそ成し得る格闘演劇が、中間管理職にもっと必要な技術なのだと、時間を経るごとに感じさせてくれた。
上層部。特に社長との信頼関係は販売会社にいらころの上司であったことはもちろん、自分を招いてくれたという点で自分の中には確固たるものがあったので懸念はなかった。
だが、はじめて共に仕事をする部下たちとの関係がどうなるのかは私の中で少しの心配はあった。
ところが、なんの壁もなく彼らも私を迎え入れてくれたことには、何年も前の2日間の出来事があったのだと後に本人たちから聴かされなるほどと思った。
あれは私が転籍してくる3年前のことだったと思う。すべてのグループ会社が一同に介するイベントが催されたとき、その懇親会の場で私は彼らが集まる場の中に入っていたのだ。
懇親会でアルコールが入ってくると、自然と仲のいい人たちがそれぞれ輪をつくり、それぞれがそれぞれで盛り上がってしまうのは仕方のないことと思う。その方が楽だし楽しいのはよくわかる。
だが、私はそのとき、当時在籍していた販売会社の仲間たちの輪をはずれ、メーカー側の人たちの輪の中にいた。
そのキッカケを明確に覚えているわけではないが、そこで初めて会った彼らとの時間を楽しく過ごした記憶は私にも鮮明だった。
外向きの営業マンと内向きのものづくりの人間は決定的に違う性質がある。性格はもちろん、話題のテーマも異なる彼らのいずれとも仲良く楽しめたのは、紛れもなく受け身を続けてきた成果であろうし、言語の違う外国でも友達をつくってきた実績が故だったのかもしれない。
あれがあったから、まがたまさんが来ると聴いたときに安心したと製造部門の彼らは言った。
きっと、どこのどんな組織であったとしても、たとてば転校生のように、新たな誰かを迎えるときは「コイツはどういうヤツだ」と構えるものだろうが、この転籍に関して端からそれがなかったのは私としても非常に入りやすく、ありがたかった。ましてや全員が年下だったこともいい方向にいけたのかもしれない。
彼らとて、私がいずれ自分の上司になるというのはわかっていたことのようで、幾分の忖度はあったのだろうが、それに限らず年齢の上下は大きな要素となるだろう。
そういう意味でもすべてがマッチする移籍だったといえるのかもしれない。
ただ、作り手側の相談(というか判断を求められた場合)に対応できるまでには、それなりの時間を要する必要があった。
「こうしよう」
「それでいこう」
そういった判断の根拠は、可能な限り相手の納得・理解がなければうまくモノゴトは進まない。
私に必要だったのは、彼らが納得してくれるだけの知識・経験をバックボーンを得ることだった。
しかしそれは、販売会社のときに経験した謎の溶剤のように一夜漬けでまとめられるものではなかった。
なぜなら、装置に使用する部品は金属や樹脂の加工品や、それぞれの表面処理に基板やモーターといった電機部品と、それらをコントロールするプログラムまで、犯意があまりにも広すぎたからだ。
そのことに気付くまでには相当の時間を要したと、振り返ってみて気付くわけで、当時はその奥行きや幅広さを知る由もなく、リストに掲載されている部品のひとつひとつが欠品なきよう調達を進めることだけで精一杯だった。
そして、それさえ容易ではなかったことを、ほんの数ヵ月で知らされることになる。