ノンキャリ出世~17~ 転機
待ち合わせの駅前からの道。
ロータリーを抜けた一本のメインストリートの先。
路地裏を何本か曲がるのを私は黙ってついていった。
前社長も言葉なく前を行く。
さほど饒舌な人ではなかったが、その背中に以前のような怒気を含んだ迫力はなく、やんだ雨でお役御免となった傘を邪魔そうに持ちながら歩いていた。
「ここだ」
誘われた一軒の居酒屋は常連だったのか、店長らしきオヤジが、どうも! と迎え入れて席に案内してくれた。
民宿のような小さな座敷。
そこに二人で向かい合って座った。
「ビールでいい?」
「はい」
私はビールが苦手だったが、目上の人に言われてノーとは言えなかった。
「よぉ。その前になんかつまませて! あと、水も!」
前社長がオヤジに言うと、お通しなのだろうか小鉢をすぐ、ビールより先に出してくれた。
「ちょっとでも胃にいれといた方がいいらしいんだ」
前社長はそう言って小鉢に入っていたほうれん草のおひたしを摘まんで食べ、薬を水で流し込んだ。
それを見計らったように出されたビールで乾杯すると、メニューを眺めていた社長がニヤリと笑い、オヤジを呼んだ。
「メンドクセーから。なんでもいいよな?」
私にそう問うと、うなずく私を確認してからオヤジに、なんか適当に頼むわとオーダーした。
「おなか、すいてます?」
オヤジは私たちにそれだけを確認すると座敷を出ていった。
「どうだ? 最近は」
わかってるクセに。私はそう思いながらも実直に答えた。
うつを患っていること。
思うように動けないこと。
現社長に辟易していること。
将来が不安である、ということを。
決して酔っ払いの愚痴のようにクドを巻いたわけでも、感情を露にまくしたてたでもない。だからといって苦しまぎれに絞り出したわけでも、滔々と語るように話したわけでもない。
気付けばいろんなことを話していた。この話を聴くことが目的だったのだろうから話さなければ失礼だとも思い、余計なことまで含めて喋った。
「ウチに来ないか」
一通りの話を聞いた前社長は、唐突にそんなことを言った。
言っている意味がわからず黙っていた私に、さらに言葉を継いだ。
「調達の担当者が辞めちゃってさ。ちょうど席が空いてるんだ」
調達といえば、飲食店でアルバイトをしていたときに食材の仕入れを担当していたことがある。私はそれをイメージすると即座に言った。
「行きます」
すると、あまりの即答に驚いた前社長が慌てて「答えは後日でいい。家族とも話し合ってこい」と笑いだした。
家族と話す? その言葉を聞いてようやく合点がいった。親会社と私の家は高速道路を使っても数時間を要する、つまり通える距離にはなかったのだ。
「連れてきてもいいし、単身赴任でもいいし。どっちにしても、悪いようにはしねぇよ」
最後の部分にようやく、いつもの土建屋のオヤジっぽい色をにじみ出して言った元社長は、これで目的は達したとでも言わんばかりに愛想を崩して世間話に興じ始めた。
店を出ると、完全にやんでいた雨でうっとうしく感じたのか、「これやるよ」と手にしていた傘を私に送ってくれた。
その高級ブランドの雨傘は雨染みで汚れ切ってしまったが、いまでも大切に使っている。
家族はもちろん、私の転籍を支持してくれた。
まずは単身赴任で向かい、慣れたら追いかけてくるか、そのまま単身赴任をつづけるかを改めて考えることにした。
親会社への転籍。この未来像は極秘裏に、一年の計画をもって進めることになった。その間に誰かを私の後釜として据える必要があったからだ。
子会社である販売会社から、メーカーである親会社への転籍は創業以来初のことだった。
そこまでして前社長は私を買っていたのかというと、決してそうではないと思う。
当時の私に、まだそれだけの素養は見出だせるはずはなく、むしろリストラを進める販売会社と、欠員が出た親会社の利害が一致し、そこに、病んで解雇するにも気を遣ってしまいそうな私を転籍させることですべてが丸く収まると思ったのだろう。
改めていうが、当時の私はその程度の存在だった。
リストラは固定費を削減する有意義な経営手法ではあるが、だからといって事業継続に必要な売上があがるわけではない。
将来性が希薄な業界に固執していては、会社存亡の危機を迎えるのは間違いない。
会社が求めていたのは新たな収益源だった。それには、既存の客先に新商品を提案するか、既存の技術を新たな業界に展開するかがもっとも近道だと、前社長が親会社の社長に就く前に言っていたことだった。
しかし、会社が持ち込んだ新たな商材は、新たな業界に売り込むことしか出来ない、我々にとっては奇想天外な代物だった。
あらゆるものを無毒化させるという消毒液で、H1N1と呼ばれた新型インフルエンザが世界的パンデミックを起こした際に一部で注目された溶剤だった。
これを精製する装置を仕入れるので売ってこいと、経営幹部が持ち込んだものだった。
新社長は将来のことなどまるで考えていない。大した危機感をもっていない。そう思っていたが、裏ではしかっりと動くよう担当役員に指示していたらしく少しは安心することが出来た。
しかしその溶剤のことは、説明を聞いたがまるで意味がわからない。
なぜこれが無毒化に有効なのか。
化学式を用いた説明に、機械装置しかいじったことのない我々の、一体誰が理解を出来ると思ったのだろう。
大学の研究結果をエビデンスとした資料をもって人間には無害だと、どうして我々が客先に理屈をこねられるのだろう。
恐ろしいくらいに、営業部員の全員がそっぽを向いた。
リストラで人手が足りなく、既存顧客の対応だけで精いっぱいだという陰口は本筋として議題にのった。
しかし、やらなければならなかった。
まだ、一部でしか認知されていない謎の溶剤を売らなければ、我々は沈没する。特攻隊のごとく身を挺して当社を守ってくれた新人君たちのためにも、やらなければならないと、私はそう思った。
幸か不幸か、私は不眠の症状を持っていたので深夜まで事務所で資料を読み込み、ネットで学術論文を読み、客先に説明できる資料を作った。どんな営業マンでも活用できるよう、簡素化して図解を入れた資料を、分厚くなってしまったがまとめ、全社員に公開した。
それでも誰も動かなかった。
まだ一部でしか認知されていないこのタイミングを逃したら、我々のような弱小企業に太刀打ち出来る隙はなくなる。そんな危機感は誰も持ち合わせていないようだった。
だから、私は一人で走り回った。
久しぶりに仕事に夢中になった。
これで生き延びられる。
そう、信じた。
他の営業所から中堅社員が異動で私の営業所にやってきて、彼に研修を兼ねて既存顧客の対応を任せ、私は新たな事業の拡大に奔走した。
病院、飲食、介護施設、学校、保健所。
衛生に気を遣いそうな先には、片っ端から飛び込んだ。
そしてようやく、ある自治体に導入が決まった。随意契約の入札は半ばデキレースで、当然のごとく私が落札した。
もちろん当社の第一号で、導入を進めた役員からは抱きつかれた。
その一方で現社長は、この事業にまるで関心を示していなかった。
そしてその影で、親会社の社長からも激励の電話が届いた。
転籍まで一ヶ月。その電話はそろそろ公開するぞという、正式な辞令交付の告知でもあった。