駄菓子。知らない生活。

先月、誕生日だった。
もう10年の付き合いになる友達が「誕生日プレゼント何が欲しい?」と聞いてくれた。私はちょっとした好奇心で「君が小さいときによく食べてた駄菓子の詰め合わせ」と答えた。

駄菓子が好きだけれど、ついついいつも同じものばかり買って食べるので、新しい出会いがあればうれしいなと思ってのリクエストだった。そして、その友達がどんなお菓子を好きだったのか知りたかった。

渡された駄菓子の詰まった袋の中には、知らなかったその子の世界があった。
何を選んでくれたのか、一緒に一通り見させてもらった。知っている、よく食べているお菓子もあった。でも、最近は、もしくは幼少期もあまり食べなかったものがちらほらあった。

それは味の好みの違いかもしれない、よく行っていた店の違いかもしれない、お小遣いに始まる懐事情の違いかもしれない、当時の友達の影響の違いかもしれない。


私は、この子のこれまでの人生を、生活をまだ殆んど知らない。これからも、さほど知らないまま生きていくだろう。言葉にして伝えるには、何も無いとりとめの無い毎日だとしても、日々の生活は深すぎるから。

物理的に近い隣人も心理的に近い友人であっても、毎日家族と食卓を囲むときの席順を知らない。シャツの畳み方も、シャンプーの補充するタイミングも、誰がティッシュを取ってくれるのかも知らない。
その人が何年も積み上げてきた、別にわざわざ伝えるものでもない一瞬一瞬の行動や思考に満たされている。

私は本当に小さい世界しか知らないことに、気が遠くなって怖くもなった。違う家に住み違う生活を送る友人たちを、異世界の住人のように思ったこともあった。今もたまに思う。

好きなものが同じと分かれば嬉しかった。だけど今は、違うものが好きだと分かっても嬉しい。違うものが好きでも友達はここまで続いてきた。それを不思議で、尊いことだと思うから。
その違うことが、今の大好きなその子を作り上げていると思うと、愛おしくてたまらないから。


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