懐かしむこと。大人になること。
幼い頃。昔のヒットソングを振り返る歌番組は、私が知らない人たちばかりだった。隣で見ている母は「学生の頃はこの人のファンでね」だとか「この人のコンサートに行きたかったんだけどね」だとか思い出を話す。その時の母は少し、その古い映像と同じものを纏う。知らない人の話は少しつまらなかった。
まだ私は、今テレビに出ている人たちがいつかいなくなることを分かっていなかった。終わりというものを知らなかった。幼い私には今しかなかった。過ぎ去った時間がそう多くないのだから、そんなものだ。
世の先輩方に比べたら、今の私もまだまだ経験した過去が多くない。だけれども時代の移り変わりを幾つか肌で感じた。終わりを知った。もう画素数の少し物足りない映像でしか見ることのできない人や、画面に映ったのを見て「そういえば久しぶりに見たな」なんて思う人が、ゆっくりと、でも確実に増えてきた。
「この曲が流行った時、私も好きでね」なんて話せるようになってきた。きっとこれが、沢山ある「大人になる」や「生きる」のうちのひとつなんだろう。
それは寂しいものだと思っていた。でも、その人たちがいた私の時代たちは色褪せず、きっとふとした時、VRゴーグルをつけたみたいに瞼の裏によみがえる。
その瞬間に寂しさはない。だって私はそこに飛んでいる。終わりを知らないその時代に。永遠なんて言葉をわざわざ脳裏にちらつかせる必要すらないくらい、永遠が当たり前の時代。終わらないなら、寂しさは存在しない。
そんな時代を胸の中に幾つも抱えていけるなら、私は沢山大人になり、ぜひとも毎日を楽しみに生きていきたい。
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