「はじめまして」
東京の夜、ビルのネオンが街を照らす中、絵美は一人でカフェに座っていた。外は小雨が降り、窓ガラスに滴る雨粒が街の喧騒をほんの少し和らげている。手元のカップから立ち上るコーヒーの香りが、心地よい温かさを感じさせてくれたが、絵美の心には、どこか不安が漂っていた。
スマホの画面を見つめながら、彼女はため息をついた。今夜は、とても大切な夜。ある一人の男性と「はじめまして」を迎えるための夜だった。
彼の名前は亮介。オンラインで知り合った、少し年上の彼。SNSで何度かやり取りを重ねるうちに、自然と話が盛り上がり、ついには実際に会ってみようという流れになった。それまで顔を合わせたことも、声を聞いたこともない。ただ、メッセージだけで築かれた関係。でも、不思議と彼とのやり取りには安心感があり、ずっと前から知っているような気持ちになっていた。
とはいえ、実際に会うとなると、心の中は緊張でいっぱいだった。
「もし、メッセージのやり取りと全然違う人だったらどうしよう……」
そんな不安が頭をよぎる。彼の写真は見ていたものの、写真と現実のギャップは大きいこともある。実際に会って話すとき、自分が彼にどう映るのかも心配だった。
ふと時計を見ると、約束の時間まであと10分。心臓がドキドキと音を立てて鼓動しているのを感じる。
「大丈夫、自然体でいればいいんだから」
そう自分に言い聞かせ、カップを手に取ったその瞬間、カフェの入り口が開き、一人の男性が入ってきた。スーツ姿で、少し濡れた髪を手でかき上げながら、店内を見渡している。亮介だ。写真で見た通りの、少し柔らかい表情が印象的な男性だった。
彼はすぐに絵美を見つけると、軽く微笑んでこちらに歩いてきた。
「はじめまして、絵美さん。亮介です。」
そう言いながら、彼は丁寧にお辞儀をした。その笑顔は、画面越しで見ていたものよりもずっと優しく、自然体だった。
「はじめまして、亮介さん。」
絵美は立ち上がり、少しぎこちなく挨拶を返した。亮介が椅子に座り、二人は向かい合った。
最初の数分は、互いに緊張していた。カップの中のコーヒーをお互い手に取りながら、無言の時間が流れる。しかし、次第に話し始めると、メッセージのやり取りで感じた通り、自然と会話が弾んだ。
「こうやって実際に会うのは、やっぱり緊張しますね」と亮介が言った。
「そうですね……。でも、亮介さん、思ってた通りの人で安心しました。」絵美は少し照れくさそうに笑った。
「え?どんな風に思われてたんですか?」亮介が茶目っ気たっぷりに聞くと、絵美は少し顔を赤らめて、「優しそうな人、かな」と答えた。
亮介は、嬉しそうに微笑んだ。「それならよかった。僕も絵美さんに会うの、ずっと楽しみにしてたんです。」
そう言われた瞬間、絵美の胸の中にあった緊張が、一気にほどけた。
カフェでの時間はあっという間に過ぎ、外の雨も止んでいた。亮介が会計を済ませ、二人は一緒に店を出た。
「少し歩きませんか?」亮介の提案に、絵美はうなずいた。二人は並んで夜の街を歩き始めた。街の明かりが反射する濡れた舗道は、どこか幻想的で、二人だけの特別な時間を演出しているようだった。
「さっきまでの緊張が嘘みたいだね」と絵美が言うと、亮介も笑いながら「本当に。会ってみて、思った以上に気が合う気がして嬉しいです」と返した。
この短い時間の中で、二人はもう何年も前からの知り合いのような感覚を覚え始めていた。
「でも、なんで僕に興味を持ってくれたんですか?」亮介がふと尋ねた。
絵美は少し考えた後、ゆっくりと答えた。「亮介さんのメッセージには、いつも温かさがあったんです。仕事が忙しい時も、丁寧に返事をくれて、なんだか本当に大切にされている気持ちになったんです。」
亮介はその言葉に少し驚き、真剣な表情で頷いた。「それは僕も同じですよ。絵美さんとのやり取りは、どんなに忙しくても、心が癒されました。だから、こうして会うのが楽しみだったんです。」
お互いの気持ちを確認し合い、二人は少し照れくさそうに微笑み合った。二人の間には、すでに何か特別なものが芽生えていることを、二人とも感じていた。
その夜、駅まで送り届けてくれた亮介と別れる時、絵美は心の中でこう思った。
「この出会いは、きっと何か大切なものになる」
それからというもの、二人は頻繁に会うようになった。カフェでお茶をしたり、映画を見たり、何気ない日常の中で二人の関係は深まっていった。
亮介は仕事が忙しい時期でも、絵美との時間を大切にしてくれた。彼の真面目な性格と優しい心遣いに、絵美は次第に惹かれていった。一方で、亮介もまた、絵美の明るさや思いやりに心を打たれ、二人の関係は自然と恋愛へと進んでいった。
ある日、亮介は彼女を特別な場所へ連れて行くと言った。それは、東京の夜景が一望できる高台の公園だった。二人はベンチに座り、広がる夜景を静かに眺めていた。
「絵美、僕は君と出会えて本当に良かったと思ってる」
亮介がそう言った時、絵美は彼の真剣な瞳を見つめた。
「私も、亮介さんに出会えて本当に良かった。こうして一緒にいられることが、私の幸せです」
その瞬間、亮介は少し緊張した表情でポケットから小さな箱を取り出した。
「これを受け取ってほしいんだ」
箱の中には、美しいシルバーのブレスレットが入っていた。
「このブレスレット、僕がずっと大切にしてきたものなんだけど、これからは絵美に持っていてほしい。僕の気持ちを込めて」
絵美は驚きと感動で言葉が出なかったが、静かにブレスレットを手に取り、亮介の手を握った。
「ありがとう。これからもずっと、あなたと一緒にいたい」
二人は夜景を背にして、そっと手を重ね、未来への第一歩を踏み出した。
それから数年が経ち、二人は互いに支え合いながら、人生を歩んでいった。亮介と絵美が出会ったあの日の「はじめまして」は、二人にとってかけがえのない物語の始まりだった。