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個人商店に思いを馳せる

私が小学生の時は、家から歩いて20分以内のところに駄菓子や調味料が売っている個人商店が、記憶の限りでも3つほどあった。

放課後に友達と遊んで、30円で買えるプラスチックビニールに入ったジュースをよく飲んだものだ。
今はもう地元から離れて10年以上経ってしまったものだから、通っていた個人商店がどうなったのかわからないが、ここ最近、日本で個人商店を見かけなくなった。

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なぜいきなりそんな話なのか、というと。
モロッコでは、日本では昔話になりつつある個人商店が主流なのだ。
コンビニという業態は存在しない。

家から歩いて徒歩5分くらいの距離で少なくとも3〜4個は商店がある。
それぞれのんびり野菜や卵、調味料などを取り揃えており、店によって得意ジャンルがあるように見える。
(衛生用品が多いところ、お菓子が多いところなど取り揃えに特徴がある)

地元の人はそれぞれ家から近いお気に入りの商店に、ちょっとしたものを買いに行く。
個人商店だとレジにいる人はいつも同じ人なので、買い物にもれなく雑談がついてくるのが日常風景である。
こじんまりしたお店の中は、なんとも朗らかな空気が流れている。

この風景素敵だな、と感じると同時に、日本ではどうして個人商店がなくなってしまったのか気になり、調べた。

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どうやらほとんどの個人商店はサプライチェーン化して、コンビニに業態を変更しているか、近所にコンビニができて潰れてしまったらしい。

そう言われてみれば、日本の市街地では、徒歩3分以内にコンビニがぎゅうぎゅうに存在している光景をよく見る。かつて個人商店だったところが軒並みコンビニになっているということだ、なるほど。

コンビニチェーンはそれぞれの店舗はサプライチェーンであるものの、本部(本社?)は大手企業であることから、各店舗の運用資金も潤沢にある。

一方個人商店のままだと、行政機関の支援を含めた資金繰りが年を増すごとに難しくなっている現状があるようで、業態変更もしくは店を畳むことを余儀なくされている背景があると知った。

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日本の経済成長を考えると仕方ないことなのかな、と思いつつも少し寂しい気もする。

お豆腐屋さん、お餅やさん、駄菓子屋さん。
こういう名称で呼ばれる商店がなくなるのは、近隣の人同士の繋がりが気薄になっている都会の冷たさに似ている。

下北沢に住んでいたときに、家の目の前に個人商店があった。
いつもニコニコしているおじさまと奥様で経営しているその商店は、夕飯の支度で調味料を切らしてしまった時に、よく走って買いに行った。

いつもニコニコと話しかけてくれるおじさんのことが大好きだった。
元気のないときは、特に用事もないのにおじさんの笑顔が見たくてお酒を買いに行ったりした。
引っ越してからも下北沢に遊びに行くたびに、個人商店に顔を出す。
おじさんはいつも本当に喜んでくれた、あの空間が本当に温かかった。

個人商店って、買い物という本来の目的以外にも、住んでいる地域に知り合いがいることや他愛ない話ができる空間を提供してくれているんだと思う。
なくなってほしくないなあ、と改めて思う。

日本に帰ったら、下北沢の商店にお土産を持って遊びに行こう。

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親愛なる三河屋さん。ワインが安くて美味しい。

三河屋酒店
https://goo.gl/maps/s9Gf9N3RfHp2RiZq8

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