鶏モモ肉を骨まで使い切る
日本で鶏肉を買うと、ちゃんと「鶏モモ肉」や「鶏ムネ肉」のように部位によってパッキングされ、骨も取り除かれた状態で売られている。
私も生粋の日本人なので、鶏肉というのはそのようにして売られているのが普通だとばかり思っていた。
しかし、モロッコは全然違った。
地元の肉屋では、生きた鶏が店で売られている。
狭いお店の片隅にだいたい3㎡のケースがあり、そこに20羽以上のニワトリがぎゅうぎゅうに詰まっている。
もちろん生きたまま購入はできないので、お店の人に「もも肉2本欲しい」などと言う。
そうすると目の前でニワトリを絞めてくれるのだ。
カルチャーショックだ。
そんな感じなので、「鶏もも肉」というと足をスパーンと切った状態で売られる。骨がついている状態、ということだ。
これだけを読むと、結構抵抗のある方もいると思うがその分美味しい。
そんな理由で我が家でのもっぱらのブームは鶏肉である。
ただし、日本のように「唐揚げ」だとか「照り焼きチキン」なんてものを作るには一手間かかる。
骨を綺麗に取り除いて、もも肉をカタマリとして救出しない限りは毎日骨つき肉を食べることになってしまうからだ。
骨つき肉を捌いたことはさすがにないので、以下のブログを参考にさせてもらった。
ちなみに、このブログでの捌き方のコツで「よく切れる包丁」という記載があるが、モロッコで包丁を見つけられてない私はこの小さなナイフで奮闘した。
無謀すぎる。
RPGだと、ラスボスのボスに木の棒と木の盾の装備で挑むような心持ちだ。
できればこの骨スキ包丁が今すぐ欲しい。
捌いている過程は、必死すぎて写真に収める余裕がなかったので割愛するが、なんとか肉と骨を分けるミッションはクリアできた。
この小刀では作業が順調に進むわけもなく、この時点で私の達成感は最高潮。もはや若干燃え尽き感もある。
ここから何を作ればいいか全く思いつかない、こまった。生で食べちゃう?
そんなわけもなく、ちゃんと作った。
肉本体は一番簡単にできる照り焼きチキンにした。
感動的に美味しい。苦労したのでその分美味しい、泣ける。
この日の夕飯はほとんど夫にチキンを食べられ別の意味でも泣けた。
さて、問題は残りの部分である。
照り焼きチキンで使ったのは肉本体だけなので、赤く括った部分が丸々残っている。
しかも捌き方が下手なことにより、結構お肉が付いていて捨てるのもなんだかもったいない。
ここの部分は鶏がらスープを作ってみることにしよう。
大きな鍋にショウガ、玉ねぎとこの鶏の残骸を全て入れる。
本来は玉ねぎではなく長ネギということだが、わざわざ長ネギだけを買いに行く性格ではないので玉ねぎで代用した。
生姜の風味を出すために若干炒めてから、なみなみとお水を入れる。
あとは煮込むだけである。
どれくらい煮込めばいいかわからないという点と、出汁の味に飢えていたこともあり、ここぞとばかりに時間をかけることに決めた。
濃厚な鶏ガラ出汁取るぞ、と気合は十分である。
しばらくするとアクが出てきたので取り除く。一度取り除いてからはアクは出なかった。
たまにお湯が蒸発して足りなくなってきたら差し水をしつつ、結局2日かけて4時間〜5時間ほど煮込んだ。
意図せず鶏白湯スープの完成である。めっちゃ白濁した。
塩で味を整えるだけでかなり美味しいスープが爆誕した。
小刀で骨つき肉と奮闘した甲斐があったというものだ。
こちらのスープは追加で鶏肉を購入し、鶏白湯鍋とし即席で作ったポン酢で大満足な和風鍋になった。
このことで気づいたことが2つある。
ひとつが、鶏肉は骨まで全て美味しく食べられる万能肉だということ。
もうひとつが、鰹出汁ではなく鶏ガラ出汁でも和食の幅が十分広がるということだ。
出汁って本当に大切だということを痛感した。
醤油だけでもだいたいの日本食は作れる、とは言ったものの、出汁の味は染みる。
鶏がらスープを煮込んでいることで懐かしい思い出も蘇った。
昔、亡くなった祖母が自家製ラーメンを盆と正月に作っており、親戚の集まりの際に良く振る舞っていた。
酔っ払った親戚のおじさんたちが「うまい、うまい」と宴会の締めにラーメンを頬張る姿は微笑ましく、幼心にその空間が大好きだったことを思い出した。
鶏がらスープでラーメンでも作れるようになって、日本に帰ったら孫ラーメンということで家族だけにでも振る舞ってみようかしら。