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文学作品中に語られる成熟した感想
中高生の頃、小説を読んでいて登場人物が映画の感想を語るシーンに出くわす度に思っていた。
「この登場人物は私とそんなに変わらない年齢なのに、なんて成熟した感想を持っているんだろう」
そして、その高い視点に立ち、どの台詞が映画全体でどんな役割を果たすか、人生のどんな局面に喩えることができるかまで深く思考する彼らにもはや恐怖した。
ただただ、同じ映画を見てハラハラドキドキ見守ったり共感したり感動したりしている自分が恥ずかしくなったのだ。
私は自分が幼稚だと思って、自分を責めた。
月日が経ち、今日ふと気付いた。
あの登場人物達の語った映画の感想は、小説を書いた人が書いた文章だ。
小説家の意見と登場人物の意見はイコールではないが、それでも多少なりとも小説家のものの見方や経験が入っても不思議はない。
つまり小説家が私より年上である場合、登場人物の言葉は大人びているように感じられるのではないか。
長年の不安が解けて妙に安心してしまった。
年を経ながら、こうしてたまに重荷を下ろしていけたら幸せだ。