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やっぱり解剖学の理解が必要だ

アスリートが運動指導者として活躍する為に必要な学びを提供しているメディアです。

言い訳になりますが、ここ数日新規プロジェクトの準備などでバタバタしていて、なかなか執筆する時間を確保できませんでした。

仕事が少し落ち着いたのでまたぼちぼちと書いていきます。


前回記事では「手の骨」を解説していて、まだ解説は全て終わっていないのですが、少し記事の間が開いてしまったので、少し趣向を変えた記事をアップします。

日記的な記事なのでお気軽にお読みください。


運動指導者という仕事は、指導対象が誰であれ、読んで字のごとく運動を指導する、すなわち運動を教える仕事です。

教えるというと上から目線だとも感じられますが、間違いなく教える仕事です。

どうへりくだっても、お教えするとか、お伝えするとか、そんな表現にしかならない、教える仕事なのです。


教える立場になるということは、教える内容をしっかりと知っておく必要があります。

しかし、人間の身体というのは正直申し上げて、分からないことだらけです。

だから昔も今もそしてこれからも、研究者たちは研究しますし、研究結果と異なることが発生するのであって、それこそが我々運動指導者が学び続けなくてはいけない理由です。


ずっと分かっていなかった理論が研究によって明らかになったとすれば、その理論を知りに行かなければなりませんし、常識だと思われていたことが実は誤りであったという場合には、即座に考え方をシフトする必要があります。

また、正しいと思い込んでいたことが、単純に勘違いだったなんてこともあります。

これらは、珍しいことではなくて、ことの大小はあれど頻繁に発生する事なのです。


ただ、その修正を図る為には、ベースとなる考え方を構築しておかなくてはなりません。

ベースとなる考え方とはつまるところ哲学なのでしょうが、ちょっと今回はそういう堅苦しい話はやめておきましょう。

ここで言うベースとは、やはり基礎的な機能解剖学が代表例なのではないかと考えています。


運動を指導するのですから、身体を動かすことを教えるのが仕事です。

その身体がどういう仕組みになっているのかを、しっかり理解しておかないとまともな仕事はできないでしょう。

教科書で学ぶ基礎的な機能解剖学と、現場で実際に生かす解剖学的な考え方には差異がありますが、それでも確実に土台になっているのは基礎的な機能解剖学です。


アスリートの場合、天才的な感性のお陰で(?)基礎的な機能解剖学を知らなくても、それなりのことが出来てしまいますが、人に教えるとなったら話は違います。


細かいところまで理解すればそれでよいというものでもありませんが、やはり雰囲気や感覚だけで物事を伝えることは難しいでしょう。

もし伝わったとしても、それはきっと偶然です。


上手く伝えることができれば、指導の対象となっているクライアントやアスリートの人生は良い方向へ向かうでしょう。

しかし、下手な伝え方しかできない様であれば、残念ながら運動指導者として失格です。

これは私自身も本当に注意していることです。


そして本気であれば、絶対に学びたくなるはずです。

学び方が分からない方は、是非このメディアを活用してください。

専門書を読む前段階の学びを、共に進めましょう。


大切なのは考え方です。

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