個別性の原則
アスリートが運動指導者として活躍する為に必要な学びを提供しているメディアです。
トレーニングの原理原則を簡単に解説しているシリーズもいよいよ終盤です。
今回は「個別性の原則」について解説します。
個別性の原則とは
先に記事では以下の様にまとめました。
個々の体力レベルを考慮する
これは個別性の原則に限ったことではありませんが、こうして解説文なりまとめをみると「当たり前やん」と思いますよね。
しかしあまりにも当たり前すぎることは往々にして蔑ろにしがちです。
そして当たり前すぎて深く考慮しないという現象も頻発します。
個別性の原則というのは特に蔑ろにされ、思慮浅くと解釈されがちであると考えています。
体力レベルとは?
これはよく出てくる話ですが、体力というのは何も持久走が得意かどうかということではありません。
この点については前回記事の「全面性の原則」をご覧頂くと理解しやすいかと思います。
さて、ここで考えなければならないのは体力というのは精神的要素も含まれるということです。
例え全身持久力の水準が高くとも「有酸素運動が好き」とは限りませんし、なんなら「運動が好き」とも限りません。
逆に全身持久力の水準が低くても「有酸素運動が好き」ということもあります。
このあたりの「好き嫌い」みたいな価値観も含めて、個人個人に見合ったプログラムを作成する必要があります。
特異性の原理とごっちゃにしない
トレーニングの原理「特異性の原理」というものがあります。
解説記事は以下よりご覧ください。
この「特異性の原理」は目的に対して適切な手段を講じる必要があるという話でした。
目的というのは目指すべき結果という風に言い換えることもでき、手段すなわちトレーニングプログラムというのはその結果を目指す方向性という風にも言えるでしょう。
現在置かれている状況と目指すべき結果というのは人それぞれ異なるのですから、トレーニングプログラムも人それぞれ違うということになるので、この解釈が「個別性の原則」とごっちゃになりがちです。
確かに「特異性の原理」に従っても「個別性の原則」に則っても、個人個人で行うことが異なるという現象が起こります。
しかし、前者は原理であり後者は原則です。
ここは大きな違いがあります。
「特異性の原理」は例えば、全身持久力を高めるのであれば俗にいう有酸素運動をすることが必要だから、無酸素運動ばかり行うようなことはいけないという話で、どちらかと言うとマクロな視点に立っています。
それに対して「個別性の原則」は、有酸素運動を行う必要はあるが、その人が有酸素運動として運動できる強度はどれ位なのか?身体の状態はどうか?精神の状態はどうか?今日の体調はどうか?といったミクロな視点から考える話です。
非常に理屈っぽい話になってしまいましたが、理屈っぽく考えるクセをつけるとトレーニングプログラムの精度は高まります。
集団指導の際は特に注意
私のようにパーソナルトレーニングを主体として運動指導していると、自ずと「個別性の原則」に則ったプログラムを提供することになります。
世のパーソナルトレーナーの中には金太郎飴みたいなメニューを提供している人もいるようですが、それではただのマンツーマン(1対1)なだけでパーソナル(個別)ではありません。これは言語道断です。
しかし部活の外部指導等チームに指導する際はこの「個別性の原則」というのは非常に難しい問題だと思わざるを得ません。
どうしても右に倣えとか、チーム全体で乗り越えようという空気感が強すぎて、個人がかき消されてしまうことがよくあるのです。
それは例えば持久走であれば、仮にグラウンド10週走るというメニューがチーム全体に渡されたとしましょう。話を簡略化する為にその目的や意図は一旦無視してください。
持久走が得意な選手は楽に10週走る事が出来るでしょう。
しかし苦手な選手は10週はしるどころか、5週走ったぐらいでもうバテているかもしれません。
この時、実は誰も得していません。
前者は楽に走り終えていますからもしかしたら過負荷の原理に従えず、ただ走ったという事実だけが残りトレーニングになっていない可能性があります。
後者は言うまでもなくオーバートレーニングで疲労が蓄積するだけですし、途中からもう何やっているか分かったものではないでしょう。
こういう時は、例えば心拍数をモニタリングするとか、タイムを設定するなどして、ある一定の水準の範囲内で走る様にするなどして、ここの体力レベルを考慮する必要があります。
しかし先述の通り、どうも「みんなでやるぞ!」みたいな空気が特に運動部では醸成されがちです。
それはなんとなく部の常識として認識されて行きますが、これは危険ですね。
たまたま得意だった人が勝手に強くなり、たまたま苦手だった人はどんどん水をあけられていく……これは運動指導とは言えません。
非常に複雑な問題ではありますが、少しの工夫でその手の常識を打ち破り新たな空気を作ることは可能です。
私自身、そういった意味で非常識な、言い換えれば実はまともな運動指導者として成長していきたいと考えるのです。
少し気持ちが入りすぎて記事が長くなりました。苦笑
最後までお読み頂きありがとうございます。
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