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家【で:デリケート】

アラームの音が響く

今日はもう3回もスヌーズ機能を使ってしまった。いよいよ起きないとやばい。

っえいや!っと布団から飛び出るとさっきまで自分を追い込んでいた寒さや眠気は大した事無いもののように思えてくる。

急いで制服に着替えてリビングに向かう。

「ごめん、今日は朝いいや」

「ダメ!味噌汁だけでも食べていきなさい。」

ドアを開けると始まる喧噪

何処にでもある普通の家族

どこかで満足を覚えつつ玄関を出る。

僕がこの家に来て5年目、最初はつたなかったが、やっと本物の家族のようにふるまえるようになってきた。




「黒田君、寝癖ついてるよ」

何とか1時間目に間に合った僕に後ろにいる黒田がこっそりと耳打ちする。

ッヤバ、朝急いでたから髪セットするの忘れてた。

俺は急いで手を挙げる

「先生!トイレ行ってきます。」

国語教師の小田は四角い眼鏡を押し上げて怪訝な顔をした。



2月にもなると水道の水は凍るように冷たい。

俺は頭から水をかぶるとポケットから白いハンカチを取り出した。

青い鳥の柄が目に入る。

あーこれはダメだ。


俺がびしょぬれのまま教室に戻ると

教師は輪をかけて怪訝な顔をした。


席に戻る途中、田崎と目が合う

本当は中学生なんじゃないかと思うほど幼い瞳は何があったのか理解できないようでぱちくりと瞬く。

女みたいな目だな。


彼のカバンにはいつもサンリオのストラップがぶら下がっていた。

ぼさぼさ頭のペンギンのキャラクターでピンク色の縁取りがされている。

普通の男子だったら恥ずかしくて買うのを躊躇うだろうが、彼なら何の躊躇もなくレジに持っていくのだろう。なんとなくだが田崎はそういうのを気にとめないタイプのようだった。

席に着くと彼はもう一度僕に耳打ちしてきた。

「黒田君って変わってるよね」


変わっている。小さなころからよく言われる言葉だった。どこかそれを誇らしく思っていたが。それがデリケートな意味を持つようになったのは五年前だ。





その日は珍しく大雪が降った。小学校6年生にはそれだけでお祭りみたいだ。

昼休みはみんなで少ない雪の取り合いになった。

テンションが上がった俺は学校が終わってもまっすぐ帰らずに友達と遊びながら帰った。

家で起こっていることなんて知る由もなかった。





廊下からリノリウムが軋む音と喧騒が響く。

いつの間にか授業は終わり、クラスの皆は次の移動教室で廊下に出てしまっていた。

廊下側の僕は外の喧噪から壁一枚隔てただけで別の世界に住んでいる気がした。

ただでさえがらんとした教室は冬に見るセミの抜け殻のように寒々としていた。

廊下側の窓に寄りかかってぼうっとしていると突然窓が開く。

「なにしてんの?遅れる」

田崎だった。相変わらずの大きな瞳に天然パーマと草食系っぽさ丸出しの顔を窓から出す姿はリスを思わせる。

「ああ、ありがとう」





うっすらとしか積もらない雪でも都会に住む俺には特別だった。

雪を口に含んでみたり、小さな雪だるまを作って遊んでみたりした。

時間を忘れて遊んだせいで家に着くころには夕暮れになっていた。

家に続く角を曲がると家の前にパトカーが止まって人がたくさん集まっていた。

嫌な予感がする。僕は大人の人たちの隙間から家を覗いた。


いつもは閉まっているドアが開け放たれていて、赤いランプで途切れ途切れに照らされた室内は戦隊物の敵の基地みたいに禍々しい雰囲気が立ち込めていた。

玄関には黄色と黒のテープが何本も張り巡らされていて、これじゃあ、これじゃあまるで……

「殺人現場みたいだ」

目の前のおじさんが言った言葉だった

俺の手の指が不自然に落ち着かなる、膝がカタカタ動く。

「どうしたの?大丈夫?もう遅いからそろそろ帰った方がいいよ。おうちの人心配してない?」

おじさんは僕の気配に気が付いて振り向くと、かがんで僕に話しかけた。

「おうちの人……」

その言葉と目の前の光景がうまくつながらなかった。

おじさんが何か言いながら手を伸ばしてきたけどその姿は妖怪にしか見えなかった。

俺はわけも分からず走っていた。

走って、走って、走って、角を曲がったときに薄く積もった雪に足元を取られて滑って転んだ。

地面についた手のひらがしびれる。

街灯の灯がピコンピコンと夜を迎え入れるように等間隔でついていく

殺人現場みたいだ、さっきのおじさんの言葉が反響する。

たらたらと頬にあたたかい液が流れてくる。

俺はその日天涯孤独の身になった。




今日もし暇だったらうちに遊びにおいでよ田崎は臆面もなくそう言ってきた。

「もしかして…俺に言ってる?」

「うん、黒田君面白そうな人だなって前から思っていたんだ」

田崎の家は郊外の大きな団地だった。

かなり高い建物だがエレベーターはないみたいで田崎が階段を上るのについていく。

くるくると回るように上る階段はところどころ鳥の糞がついていて斑になっている。

田崎の部屋は5階だった。

その階より上へ続く階段は金網が張ってあって実質的にはここが最上階のようだ。

「今日は仕事で親はいないから、勝手に上がって」

田崎はドアを開けながら中に入る玄関には赤色と黄色の球暖簾が下げてあり、キッチンと部屋がもう一つ部屋があるだけだった。

田崎はどこで寝ているんだろう…

田崎は僕を奥の部屋に招いた。

部屋にはダンボールがいくつかと押し入れがあり奥にテレビが置いてある。
大きめの窓の向こうにはベランダもあるようだ。

僕はテレビの前に置いてある機台に目がいく。

「え!それもしかして64?めっちゃ懐かしいじゃん」

「うちの親レトロゲームが好きでさ、よかったらいっしょにやろうぜ」

その日は一通り昔のゲームで一緒に遊んだ。

少し時代錯誤じみた部屋で彼の存在だけが異質だった。

窓の外を見ると空はすっかり暗くなっていた。

街灯の灯がピコンと灯る。

今朝の回想が一瞬頭にながれる。

僕はなんとなく気を紛らわせようと思った。

「両親はいつもこんなに遅いの?」

「そうだよ、うちの父親が帰ってくるのはいつも早くて11時とかかな」

「ふーん、お母さんは?」

それは今に思えば不用意な言葉だった。

「いやさ、うち離婚してて片親なんだ」

田崎は気まずそうに言う。

暫くの間沈黙が流れた。

「ごめん!ほんっとにごめん!」 

それから俺は必死で謝り倒した。

「いや、本当にそんなに謝らなくていいから、うちじゃこれが普通だし」

「いや、でもやっぱ離婚とかって大きいことだし」

俺だって家庭のことに突っ込まれたら少なからず不快になるだろう。

「普段はあんまり人にこんなこと言わないんだけど、なぜか田崎には親近感みたいなものを感じて。」

田崎は不思議そうに僕の方を見た。

「なんで、離婚したんだと思う?」

「お金の関係とか?かな?」

「残念、ハズレ。浮気したんだよ、うちの親父。」

「……」

「昔から気が弱くて母の尻に敷かれっぱなしだったからそんなこと出来るなんて想像もしてなかった。

だから浮気の話を聞いたとき正直見直したくらいだったよ。

家族全員の前で母は親父と浮気相手の一緒に写った写真を突き出したんだ。

それからは母親の面罵の嵐だった。

妹はよく分からなかったみたいで、でも母親の鬼気迫る顔を見て空気を読んで黙っていた。」


「妹がいるの?」

「いるよ、当時小1だったから今は小6かな。」

俺が田崎に親近感を感じた理由が分かった気がした。

「もしかして田崎がいつもつけてるストラップって?」

「うん、妹が誕生日に買ってくれたんだ。ちょうど五年前の今日。これがあればいつか妹と再会できるような気がしててね。」

田崎の目はこんな話をしてる時もくりくりとコミカルに動いている。

「実は俺もさ」

隙あらば自分語りという言葉がある。

田崎になら話せるかもしれない。ずっと自分だけで背負ってきたものを引き受けてくれるかもしれない。

「俺も今日誕生日なんだ」

「そっか、僕たち同じ誕生日なんだね」





結局田崎には言えなかった。

俺にも妹がいたこと。

今は一緒にいないこと。

そしてこれからもその可能性はないこと。




うちの父親も浮気をしていた。母は薄々気が付いていたらしい。

うちの母は田崎の母とは違った。

母のとった道は無理心中だった。

母は家に浮気相手と父とを呼んで二人を殺した。

そして、俺と妹の帰りを待っていた。

母は先に帰った妹を殺すと、事態を不審に思った近所の人が警察に通報した。

彼女はパトカーのサイレンに追いつめられる形で自らの命を絶った。

あの日、俺が先に帰れば、いや、せめて一緒に帰れれば。

俺は無理でも妹のことは助けられたかもしれない。




田崎の家が貧乏なことを理由にいじめられている。

そんな噂を聞いたのはそれから暫くしてからだった。

学校での彼は相変わらず明るく周りとも上手くなじめているように見えた。

きっとデマだ。彼へのやっかみか何かだろう。

そう思っていた。でも、俺は帰り道見てしまった。高3の先輩に田崎が金を渡してるところを。

小さな川が流れるコンクリートの橋の上だった。

田崎の顔は暗かった。あのくりくりとした目は半月みたいにシボシボして三年生に頭を下げていた。

彼の行動はそれだけでは済まなかった。

彼は田崎のつけているペンギンのストラップを嘲りそれに手を伸ばした。


田崎がカバンをかばう様に体をひねるのがスローモーションに見えた。

俺の中で何かが爆発した。

体が勝手に動く。上級生に組み付く。そして見事にボコボコにされた。

俺のポケットから白いハンカチが落ちた。

「なんだ、お前も女みたいなもん持ってるのか。」

上級生は毛虫が這いずるような声で俺に語り掛けると。

ハンカチを拾うと川へ投げ捨てた。白い点が川下に流されながら小さくなっていく。






それからのことはあまり覚えていない。

次の日学校に行くと田崎は僕と目を合わせようとしなかった。

机に掛けられたカバンには申し訳なさそうにあのストラップが光っている。



それから間もなく俺は新たな養子縁組が決まった。

県内の家だが少し遠いので転校することになった。

それ以来、田崎の姿を一度だけ見た。電車の向かいのホームに女の子と並んで立っていた。田崎の隣の女の子はくりくりとした丸い目で田崎の方を見ている。

二人のカバンには同じペンギンのストラップが光っていた。


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