青春と君の髪【と:ドラム】
まるい音がした
僕が彼女の音を初めて聞いたのは雪の日だった。
放課後の音楽室からはブラスバンド部のジャカジャカした音が飛び交っている。
少し廊下を行くと先ほどの喧噪が嘘のように静謐な空気に切り替わる。
まるで目に見えない空気の幕を通りぬけたみたいだ。
廊下の突き当りにある美術室、そこはめったに人が通らないシンとした空間。
ドアに手を伸ばすとまるいシャボン玉のような音が壁から染み出してきた。
ピンポン玉くらいの大きさのその玉たちはしばらく空中を飛び回り、力尽き、ぽとっと地面に落ちた。
また一つ、また一つ、染み出してくる。
足許にどんどんと彼らの死骸が溜まっていった。
足元から胸元、のど、ついには口の下あたりまで溜まった死骸に僕の体がうずもれていく。
僕は息が詰まる感覚に耐え切れず、がばっとドアを開け放した。
逃げ場を探していた玉が一気に流れ込む。
玉の流れに押し流されて美術室になだれ込む。
君は大きなそれの前に立って、不思議そうに僕を見る。
長く切りそろえられた清潔感のある髪が少し揺れて。君は少し困った顔をした。
「ごめん、ここ使うつもりだった?」
「それもしかして楽器?」
僕と君との間で言葉がぶつかった。
僕らは暫く面食らったように黙った。
空気が重くなる。
部屋中に散らばった玉をがぷちんぷちんと潰れていく。
「スティールパン」
先に沈黙を破ったのは君だった。
「え?」
「これの名前、うちのおじいさんは昔マドリードでスティールパン職人をやっててドラム缶で作ってくれたの。」
音の球たちはこれから生まれていたのか。
「スティールパンはトリニダードトバゴの楽器じゃないの?」
「そうなの?そういうの詳しくなくてさ。私ね、バンド組みたかったの。ドラムの代わりにスティールパンを使いたかったの。それでいろんな人誘ったんだけど誰もついてきてくれなかったんだ。今はとにかく練習しなきゃって思ってね。」
彼女の意志の宿った瞳に僕は心打たれた。
僕はその日の帰りにギターを買った。
よくわからなかったからとりあえず高いのを買うことにした。
それからの2ヵ月は必死だった。
毎日部屋にこもって弦をはじき続けた。
校庭の木には梅の花が芽吹き始めた。
僕は思い切ってもう一度あの場所に訪れた。
そこには誰もいなかった。
部屋の隅には悲しげに音の玉が2、3個転がっている。
僕は君の姿を必死で探した。
廊下を歩く君を見つけて思いっきり詰め寄った。
「スティールパンはどうしたの?」
「ああ、あれ?飽きて捨てちゃった就職にもあんまり有利にならないみたいだし。」
僕はどうしても諦めきれなくて駅前の占い師に相談したが30万の壺を売りつけられそうになったのできっぱりと諦めることにした。
あの日、美術室の隅に転がっていた音の玉は今でも自室の引き出しの奥に転がっている。