太陽の少女[そ:卒業アルバム]
「A-41とA-72それと、C-82」
「C-82?それ、おまえ写ってなくないか?」
写真部の小嶋が驚いて顔を上げる。ひょろっとした顔に大きめの眼鏡をかけた彼は一昔前ならガリ勉と揶揄されただろう。
「いや、まあそうだけど…」
「ふーん」
小嶋は写真を確認するとニヤニヤしながら顔を寄せてきた。
「好きなのか?柳のこと。」
小嶋への誤解を解くのには苦労した。
そりゃ、柳さんは美人だしクラスでも人気があるし、彼女の写真が欲しくないと言えば嘘になるけど、僕の本命は柳さんと一緒に写った塔の写真だ。
その塔は日本を代表する芸術家によって作られた物だった。
彼の抽象と具象との間を行く独特の表現は対極主義と呼ばれ、それまでの美術とは一線を画す存在だった。
本当は一眼で撮りたかった。
修学旅行に貴重品は持って行ってはいけないらしくデジカメが支給された。
高校2年生は世間ではまだまだ子供らしい。
自由時間に見に行ったソレは思った以上に巨大だった。
左右に伸びる腕のような突起は、暴力的なまでの力強さを象徴していた。
僕は夢中で写真を撮った。
パシャパシャとシャッターの音が響く。
「伊藤も好きなんだ」
写真に夢中で隣に人が立っていることに気づかなかった。
柳さんだった。
太陽の光の下で白いオフショルのシャツにチノパンを身に着けた姿は塔の印象と対比的に柔らかくしなやかだった。
「意外だね。全然そんなイメージなかった。」
「いや、別に普通にいいなって思っただけっていうか」
普段クラスでも目立たない僕に彼女が何かしらのイメージを持っていること自体疑問だった。
沈黙が続いた。
塔の周りは緑が広がっていて人類が放棄した古代の遺跡に取り残されたみたいだった。
夏草が太陽に灼かれて草いきれが鼻に押し寄せる。
息が苦しい。
「私、将来考古学者になりたいんだ、だから好きなの、この塔が」
彼女の双眸は塔のまん中に彫られた顔と向かい合っていた。
それからしばらく僕らは将来について話した。
「ねぇ、写真撮ってよ」
塔から見て左側に立つと彼女はピースをした。
僕はカメラを構えてそれを撮った。
それは未開の地の儀式のように不思議な時間だった。
結局その写真が一番よく撮れていた。
柳さんのことが好きなわけじゃない。
いや、好きなのかもしれない。
兎に角、あの写真を選んだのは塔の写りがよかったからだ。
彼女は関係ない。
といいつつ僕は彼女の夢の続きが聞きたかった。
「え?柳?だれ?」
彼女のクラスに行っても姿が見当たらなかったので、クラスの女子に聞くとそんな答えが返ってきた。
表情にふざけた様子はない。
クラスの名簿を見ると確かに彼女の名前はなかった。
それどころかこの学校に柳という生徒は存在していなかった。
現像された写真にも彼女の姿がなかった。
写真の右側が不自然に空いたパッとしない塔の写真がそこにあった。
それからは、なんということもない日が流れた。
あれは夢だったんだろうか。
そう思うことすらあったが、その度にあの日の草いきれが鼻に押し寄せてきて。
確かにあれはあったことだと思い出させた。
学校を卒業する前夜、夢を見た。
彼女があの塔に縛り付けられている夢。
目が覚めるとなぜか涙が止まらなかった。
卒業式で配られた卒業アルバムにもやはり彼女の姿は無かった。
今日、校門を出れば僕と彼女を繋ぐものはなくなる。
きっと大人になれば彼女のことも忘れてしまうだろう。
僕はジリジリと校門へと歩いた。
3月のグラウンドから吹く風は冷たくのぼせ上がる頭を冷やした。
これで良いんだ、何度も反芻するが、心に刺さったそげが引っかかる。
なにか、忘れているような気がする。
僕は校門の前に立つと学校から外に出る一歩を踏み出す。
その時、それに気がついた。
僕は突き出した足を引っ込めると。
回れ右して下駄箱へ向かった。
生徒達の流れに逆らって上履きを履くと僕は写真部の部室へ走った。
「ギリギリだったな」
ドアを開けると椅子の背もたれに顎をつけて座る小嶋がいた。
小嶋の背後には真っ黒なカーテンが引かれてまるで暗室のようだった。
「もう来ないかと思った、もしかしたらそっちの方がよかったのかもしれないけど。」
小嶋の広角は上がっている。
「だから言っただろ、あの女はやめておけって。」
「彼女を連れ戻したい」
「いや、それは無理だ」
小嶋は即座に僕の言葉を却下すると立ち上がってカーテンに近づいた。
「彼女はもうこの世界の住人じゃない。」
小嶋がカーテンに手をかけてさっと開く。
「彼女に会うならこの世界を捨てていかなくちゃいけない。」
カーテンの向こうにはそこにあるはずの窓がなかった。
代わりに一枚の扉があった。
「この先に彼女がいる」
小嶋の説明を聞くまでもなく僕は扉にまっすぐ進んだ。
ドアノブを握る。
「開けたらもう戻れないからな」
高校生は世間から見ればまだまだ子供だ。
そんな子供でもそれくらいのことは分かっていたいた。
「もうここには戻ってこない」
「そうか」
小嶋は嘲笑とも感嘆ともつかない声を漏らした。
「最後にひとつだけ聞いて良いか?お前柳と話したのは高々数十分だろなんで、そんなやつのために、そこまでできるんだ?」
小嶋は心底不思議そうだった。
彼は何度もこんなやり取りをしてきたのかもしれない。
「まだ、高校生だからかな。」
ボクは思いっきりドアを開けた。
そこにはあの塔があった。
そして、塔から見て左側に柳さん。
あとはどこまでも緑。
草いきれが鼻いっぱいに押し寄せる。
ふりかえると、ドアはもう消えていた。
どちらともなくあの日のように並んで塔を見る。
僕の頭の中は何故かスーツを着て就活をする自分が思い浮かぶ。続いて会社に入って働く自分。結婚する自分。これは走馬灯なのかもしれない。
ふと、隣を見ると彼女もなにか頭に浮かんでいるようだ。
考古学者になったときの走馬灯が見えているのだろうか。
きっと今頃卒業アルバムから僕の写真も消えていっているだろう。
人類に放棄された遺跡で僕の青春は行きを引き取った。
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