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海の魔法[せ:成長戦略]

ッフュン!ッフュン!

秋とはいえ夜の校庭は身を切るように寒い。

オーライ!

広い校庭に野球部の掛け声や素振りの音が飛ぶ。

成長戦略によって労働生産性を向上させ、その成果を働く人に賃金の形で分配し、労働分配率を向上させることで、国民の所得水準を持続的に向上させるのです!

選挙選に向けた選挙カーの演説がエコーになって校庭にぼわと広がって抜けていく。

来年こそは全国に行ってくれ

先輩たちは悔しそうにそう言っていた。

成長しなくてはいけない。いつからそう思うようになっただろう。

とにかく今のままではダメだといつからか思うようになった。

今はテスト前で部活の時間が制限されていていて6時で下校しなくちゃいけない。

家に帰ると俺は着替えて走り込みを始める。

走っている時間は好きだった。

晩秋の今は特に体に受ける風が気持ちいい。

俺の住む海辺の町は秋風に煽られて潮の匂いを町中に運ぶ。

今年の夏から確実に季節が進んでいることを感じた。

季節は進むのに自分は全然変わってないみたいだった。

「なにさぼってんだよ」

自販機の前で休憩していると、そんな声が俺に飛んできた。

声の方を見ると野球部のマネージャーのヒロがそこに立っていた。

手にはコンビニの袋を提げている。

「勉強さぼって走り込みしてるって聞いてたけど?」

彼女はカーディガンを萌え袖にして口元に手をやる。

彼女は夏も冬も長そでのカーディガンを着ていた。

彼女の周りだけ季節というものが流れていないみたいだった。

確か、3年生の先輩と付き合っていたはずだ。

バスケ部のチャラい感じの先輩だったと思う。

「先輩達の期待に応えたいのもわかるけどさ、来年の大会が終わったら私たち受験なんだよ。」

「いや、ちょっと休んでただけで。受験になったらそっちも頑張るし。」

「そっか」

彼女とは普段あんまり話したことはなかった。精々何人かでいるときに共通の話題に乗っかるくらいの関係だった。

「私はね将来のこと考えたんだ。部活って人生の中でほんの一瞬しかないしそれこそ大人になったらゴミみたいな短い時間だと思うのよね。だから、大人になったとき、もっと有意義なことに時間を使っていればよかったなって思いたくないなって思うの。」

「お前そんな風に考えてて人生楽しいか?」

「うーんどうだろ。でもね、今悩んでることも大人になればチッポケに感じられるとしたら、素敵だと思わない?」

彼女は暫く考えた後こっちを見た。

「ねぇ、付き合わない?」

「は?」

「なんかノリで付き合ってみたら面白いんじゃなかなって思って。多分大人になったら軽いノリで付き合うとかできなくなるだろうし。」

「いや、3年の先輩はどうするんだよ付き合ってるんだろ?」

「あんなのとっくに別れたよ。将来のことを考えたらそうするべきだって思ってね。」

「……」

「……どうかな?」

俺は混乱で二の句が継げなかった。

暫く沈黙が流れた。

「そう、じゃあまた明日学校でね」

彼女はその間も微笑を絶やさなかった。


「……行ったら」

「ん?」

俺の微かな声に踵を返して離れていく首をこちらに向けた。

「次の大会で全国に行ったら。付き合ってくれないかな。」

しばらく沈黙が走った。俺の心臓はドッドと体中に血液を送っていた。

「ッブゥ!」

彼女が噴き出した。

「なにそれ?普通そういうのは告白する側が言うやつでしょ?しかも全然ノリじゃないし。」

彼女は、あーお腹痛いと笑いながら苦しそうに言った。

「まあ、でもいいよ。それで。」

彼女はもう一度踵を返して街灯がぽつりぽつり灯る闇に消えていった。

その日は帰りのランニングコースは歩いて帰った。

風が俺の体の熱を冷ましていくのが心地よかった。





カーテンの切れ間から光がチラチラと差し込む。

アラームが鳴り響いてる。

「……また、同じ夢を見ていた」


「パパ―早く起きてー」

目覚ましに手を伸ばしてアラームを止めると寝室の外から娘の声が聞こえてくる。

せっかくの日曜の朝はもう少しゆっくりしていたい。

「あなた、朝ごはん冷めちゃうでしょ。早く来て!」

シングルベッドに腰かけてまどろんでいると追い打ちをかけるようにヒロの声が飛んでくる。

リビングに向かうとヒロと娘がテーブルに向かっていた。

「パパねぼすけだね。」

「ユキは早起きで偉いな。」

娘の名前は俺が決めた。この名前しかないと思った。

トースターで焼けたパンをもって俺は自分の席に着いた。

「パパ、今日一緒にお散歩する約束だよね」

アキは上機嫌に話す。

「ああ、そうだったな」

俺はトーストに齧りながら今日の予定を立て始めた。

「そうだ、お母さんがこの前行ってみたいって言っていた公園があったな。今日はあそこまで散歩しよう。」

俺は朝食を食べ終わるとアキを抱きかかえてベビーカーに、ヒロを抱きかかえて電動の車椅子に運んだ。





ヒロには自傷癖があった。

彼女がいつも着ていた長袖のブレザーは手首の痕を隠すためのものだった。

そうでなくてもヒロの体は傷だらけだった。

結局その年の年末にはヒロと付き合っていた俺は初めて彼女の裸を見たとき正直少しぞっとした。

彼女は体中に黒々としたミミズ腫れがあった。

酒が切れると父親にベルトで殴られるらしい。

あの日も父親に酒を買いに行かされた帰りだった。

「引いた?」

彼女は眉をひそめて俺を見ていた。

しみったれたラブホテルの窓の外には雪が降っている。

結局その日、俺は彼女とヤラなかった。





公園は小高い丘の上にあって街が一望できた。

ベビーカーを押す俺と並走してヒロが車いすを進める。

公園にいた家族連れはそんな俺達をチラチラ見ながら眉をひそめた。

「お昼ご飯はどこで食べようか」

俺は弁当を食べられるベンチを探した。

「パパ―見て!あそこ!海が見えるよ!」

ユキの目線の先、街の向こうに少しだけ海が見えた。

以前はここからは見えなかったはずだ。背が伸びたからか、景色が変わったのか、いずれにしてもあの日から着実に時間は過ぎ去っていることがわかる。

海……

俺はヒロの方を見た。

ヒロは不思議そうにこっちを見ていた。





ヒロには大切にしていた友人がいた。

その友人はよく海辺に現れた。

ヒロは海猫のように真っ白なその猫をウミと呼んでいた。

ヒロが家に居場所が無いときに海辺で一人で居るといつもミャアミャアとすり寄って慰めてくれたんだそうだ。

「魔法使いの飼ってる猫みたいだよね。魔法なんてホントはないんだけど」

「そんなの分かんないだろ。」

「分かるよ。魔法なんてあったらみんな成長しなくなる。私たちは将来のためにもっと成長しなきゃいけないんだよ。」

練習終わり。たまにヒロとウミの二人と一匹で落ち合うことがあった。

こんな時間が続くなら成長しなくて良い。そう思えた。

そんなウミが死んだ。

雪がちらちらと舞う寒い日だった。

無残に傷ついたウミが水に浮かんでいるのをヒロが見つけた。

ヒロからの電話でウミの死を知った俺はヒロと一緒に墓を作った。

近所の空き地にウミを横たえると持って来たスコップで穴を掘った。

穴の右側に掘った土の山が、左側にウミの遺骸、神様でも祀ってるかのように儀式的な光景だった。

ウミの真っ白な遺骸に雪がうっすら積もる。

まるで羽が生えたみたいに神秘的な姿だった。

ウミを埋めると俺は泣いてるヒロを置いて一人で帰った。

ヤッたのはヒロの父親だった。

俺たちが一緒に居るのをみて気に食わなかったらしい。

以前ヒロが3年生の先輩と別れたのも父親の命令だったそうだ。

ヒロの父親はヒロが誰かと親しくすることを極端に嫌っていた。

きっと俺が居なければ、ウミも死ななかっただろう。

その日以来ヒロは学校でもボーっとする時間が増えた。

彼女は学校で俺が声をかけても無視するようになった。

意図的に無視してるというより、俺のことが見えていないみたいだった。

まるで、俺の生きている世界と彼女の生きている世界が違っているみたいだった。

俺は必死で野球の練習をした。

必死に成長すればヒロを取り巻く理不尽な世界を全部否定できると思った。それこそ魔法だって使えるようになると思っていた。

彼女は魔法なんか無いって言った。

でも、こんなひどい現実よりも魔法でできた成長しなくて良い世界の方がずっとマシじゃないか。

ヒュン!ヒュン!

一人残った校庭に素振りの音だけが響いた。





公園から見える海は高校生の頃見た海よりずっと小さく感じた。

あの日から俺は確かに成長してきたんだ。

自分に言い聞かせた。

その度に当時の後悔が胸に迫ってくる。

いや、あれはもう過去のことだ。

隣にはヒロが、そして。

俺の押すベビーカーには娘が乗っている。

俺たちは広い公園をあてもなく歩いた。

周りの木々、遊具で遊ぶ子ども、それらを見ながら3人で話しながら見て周った。

冬の日は短い。

公園で暫くゆっくりしただけのつもりだったがあっという間に西日になっていた。

「予定通りにはいかないな。これだと家につくときにはもう夜だ。」

「予定は未定だから」

ヒロは柔らかな笑顔でそう言った。

「ヒロ、俺、今日ここにこれて良かったよ。」

ヒロは一瞬キョトンとしたあと吹き出した。

「ちょっと急に笑わせないでよ。なに、真面目な顔して」

ヒロはツボに入ったのか、ずっと笑っていた。

俺はその顔をずっと眺めていたかった。



家に帰る途中俺はコンビニで晩御飯を買った。

自宅に帰るとユキとヒロをテーブルにつかせる。

俺はコンビニで買ってきた弁当をレンジに入れると、二人と向き合って俺も席に着く。

「パパ今日も楽しかったね。」

ユキがはしゃぎながら言った。

「うん、そうだね。」

「あなた、今日は仕事で疲れているのにありがとうね。」

ヒロは一日の終わりに俺をねぎらってくれる。

「うん、こちらこそありがとう」

まさに幸せそのものの景色だった。

今日も幸せな一日だった。

「ユキ、ヒロもういいよ。」

「そう、おやすみなさい」

「パパ、おやすみ、明日もよろしくね」

ユキとヒロがそういうとプロジェクションマッピングの電源が落ちた。

俺の前には今まで家族だった2体の人形が残った。

ブゥゥンとレンジの音だけが響いている。





高2の2月にヒロは死んだ。

学校の修学旅行で船に乗って地方に行く途中のことだった。

その日俺たちは船の上で一泊していた。

なぜだか全然寝付けなかった。修学旅行の興奮もあったが、ここ最近ヒロのSNSが全く更新されなくなっていたことも原因だった。

最後の投稿は1週間前だった。

「どこにいっちゃったのかな」

ヒロのSNSには一言そう投稿されていた。

相変わらず学校で声をかけてもヒロは俺が見えていないかのように俺のことを無視した。

俺は夜中コッソリ船のデッキに抜け出した。

海風が船のドアに吹き付ける。

その先は真っ暗だった。

月も雲に隠れてデッキの柵もまともに見えなかった。

もっと明るくてほかの生徒もコッソリ抜け出してきてるかと思っていたが、実際はただ波と風が虚しくどこまでも響いてる真の闇だった。


潮風に頭を冷やされた俺は船内に戻る。

そこにはヒロが立っていた。

ヒロは相変わらずボーっとしていた。

俺は無視されると分かっていたから声もかけなかった。

ただ、彼女と向き合って立ち尽くしていた。

彼女が生きていることが確認できただけで安心だった。

急に背中が明るくなった。月が雲間から顔を出したらしい。

月に誘われたのか船の外でミャアミャアとウミネコの鳴く声がした。

その声にヒロの表情は我に返った。

「私!行かなきゃ!」

即座にそう言って彼女はデッキに走り出した。

「おい!」

俺は一瞬遅れて追いかけた。

考えてみればこれが1ヶ月ぶりの会話だった。

彼女は船尾まで走るとそこから海に飛び込んだ。

水泳選手のようにきれいなフォームで飛び込む彼女は。

さっき顔を出した月に照らされて、今までのどの瞬間よりも生き生きとして満たされて見えた。





結局彼女の遺体は揚がらなかった。

もしかしたら、まだどこかで生きているのかも。

そんな妄想にも近いことを考えたりもした。

本当は分かっている。

彼女は死んだ。

だからもうここにはいない。

あまりにも分かり切った現実だった。

将来のことを考えると言っていた少女の将来はあまりにも短かった。

僕はさっきまで彼女だった物を寝室に運び込むとシングルベッドに座らせた。

そのとなりに俺も座る。

どこまでも無機質な人形に、もはやヒロの面影はどこにもなかった。

なにやってんだろ、俺。

無意識に右手で自分の喉を絞めていた。

ヒロがウミの死語よくやっていた仕草だ。

薄暗く静かな寝室はまるで深海にいるようだった。

今もヒロはこんなところに居るんだろうか。

俺も行かなきゃいけないんだろうか。

思わずグッと右手に力が入る。

血が頭に回らなくなる

「ぶはぁ」

こんなことしたってなんにもならない、ましてや彼女が喜ぶとは到底思えない。ただ、ほんの少し彼女のことを考えなくてよくなるだけだった。

今は何も考えたくなかった。

ただ、ボーッと海底を眺めるように虚空を眺めて彼女のことが気にかかると右腕に力を込めて喉を絞めた。

なんどそれを繰り返しただろう。

コツコツと窓の外で音がした。

カーテンを開けて驚いた。

もう、そこには朝日が顔を出して、窓の外の真っ白なウミネコを照らしていた。

きっと近くの海から飛んできたんだろう。

手を伸ばそうと少し窓を開けた。

するとウミネコは窓の隙間から部屋に滑り込んだ。

あわてて捕まえようとするが、するりするりと避けられてしまう。やっと気がすんだのか、ウミネコは突然窓からプイッと出ていき。また海へと戻っていった。俺はヘトヘトになって少し眠ろうとベッドに入った。

でもすぐに違和感に気がついた。

さっきまで、ベッドに座らせていた彼女が消えていたのだ。

「私行かなきゃ。」

頭の中に彼女の声が甦る。

彼女が望んだ世界はどんな世界だったんだろうか。

ウミのいる世界だろうか、それとも父親のいない世界だろうか、あるいは俺がいない世界だろうか。


俺の足は気づくとあの公園から見た海に向かっていた。

もしかしたらそこにはヒロとウミがいて俺を迎えてくれるかもしれない。

そんな魔法みたいなことが起こることを信じてる。

彼女が魔法なんて無いと言ったこの現実で、それでも俺は魔法を信じる。


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