ジャグアタトゥーを入れたって人生は変わらないかもしれないけれど。
はい。ということで、久しくジャグアタトゥーを入れてきた。
いわゆる「フェイクタトゥー」の一つであるジャグアタトゥーはインク一つあれば誰でもできるものではあるのだけれど、本当に上手な人がやってくださるとこんなにもタトゥーっぽくなるのが特徴だ。
フェイクタトゥーと言えばヘナタトゥーもそうであるが、それ自体は黄色からオレンジっぽくなるためにどうしてもタトゥーっぽさはない。
その一方で、ジャグアは色合いといいグラデーションといい、ここまで「本物っぽいタトゥー」に仕上がってしまう。やっぱりすげえなと思い知った次第なのだが、まあそれは後述しよう。
痛くないどころか、二週間で消えてしまうジャグアをなぜ始め、そしてなぜ今も時間を見つけてはこうして腕に刻んでいるのか。今回はそれを書きたいと思う。
ちなみにジャグアタトゥーに関する小説を書いたこともある。1年前か。
きっかけは「何かを変えたいから」だった
元々タトゥーに興味はあったのだけれど、何分痛いのが大嫌いで(注射なんてものはこの世から無くなれば良いと思うくらい、痛いのは嫌いだ)、身体に彫るということに強い抵抗があった。
だけれど、何となくそれっぽいものがあると良いなあと思っていたのも事実だった。そんなことをぼんやりと思いながら過ごしていた2年前の12月、自分はそれまでポジティブに過ごしていたのが嘘のように一瞬で何もかもすべてが崩れていってしまうほどショックなことがあった。
その瞬間からすべてが狂って行って、何もかもがおかしくなり始めて。かみ合わない日々を過ごしながら感じたことがあった。
↑こんなの聴いてスト缶の長いのを少なくとも1本空ける夜を過ごしていたからなマジで。
だからこそ今、ここで何かを変えないといけない、と。
だからジャグアタトゥーに手を出したわけだ。いや、手を出すところそこかよと思った人は大体合っているが、何分28歳まで黒髪ショートヘアーを貫いてきて冒険してツーブロックだった自分である。そこは勘弁いただきたい。
その時に入れたのがこれである。
歯車だった。
何もかもがかみ合わなくて、思うように行かなくて。自分ってこのまま誰も愛せないまま、誰にも愛されることも無いまま消えていっちゃうんじゃないかって思いながらそれでも何かを変えるなら今しかないと思って、入れたのがこれだった。
そこから何かが変わるまでもなく、世の中が大きく狂って行ったのだけれど、常に自分の中でメッセージを忘れてはいけない時、必ず思い出しては入れるようにしていたのかもしれない。
もっともっと、軽く。という意味も込めて、羽も入れたことがあった。
ジャグアの良いところはこうやってしっかりと変わって行くメッセージをしっかりと反映できるところだと思う。
それが、次の瞬間や消えてしまう2週間後に変わっていても何も問題はない。むしろそうした「変わりゆく何か」が遥かにきれいだと思った。
……それにしても太陽の出来と雨雲の出来に雲泥の差があるな。ということで、いつもお世話になっているエイカさんはさすがであるということもお伝えしておきたい(インスタの画像シェアは、全て彼女のところより失礼させていただいております)。
結局「人生変わったのか?」と訊かれたら。
まあ、ジャグアタトゥーそのものに人生を変える何かがあるとは思わない。
ただ、自分の中にある表現をメッセージとして形として「刻むこと」が出来たのはとても意味があることなんじゃないかとは思う。おしゃれだし。
何よりも良いのはお手軽にできるキットもあるということ。あらかじめ作られたシートのものもあるし、インク単体でも売られている。
↑こんな感じで簡単にできてしまう。不思議そうに見ているのはフシギダネのダネとイリオモテヤマネコのぬいぐるみ、輪入道くんである。
お手軽にできるし、そうしたお店に行けばすごくクオリティの高いジャグアタトゥーを入れてくれる。
やっぱり女性が多いのだろうけれど、男性でもタトゥーっぽくなるので、社会的にタトゥーを入れるのが憚られる人やぼくのように痛いの嫌いな人で、ぜひとも興味がある人はやってみてはどうだろうか。
とまあ、そういうわけで。
たまにはジャグアタトゥーについて書いてみたということで。それでは。
いつもお世話になっているのは↑の表参道のお店であるので、是非に。
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